ラビアレ

色鮮やかな果物の中からいくつか選ぶ。
帰りの汽車を待つ間に市場に寄って行こうと言い出したのは俺だった。
アレンの腹に飼っている胃袋の鳴き声に耐えれなくなったのが理由。
「ほれ」
「ありがとうございます」
二つ林檎を渡すと待ってましたとばかりにアレンが食べ始めた。汁が垂れるから手袋を外せと注意する。
見た目に反して意外とだらしがない奴だという事が最近分かってきた。
ラビ、一口あげる。口元に差し出された林檎にそのまま齧りついた。美味しいでしょう?そうさね。
買ったのは俺なのに自慢げに言うあたりがアレンだなぁと思いながら駅へ向かう。まぁ教団の経費で落とす訳ですが。一袋はお土産にしましょう、きっと喜んでくれますよ。ジェリーにでも渡したら美味しいデザートに進化して帰って来るかもしれねぇしさ。それいいですね、タルトにパイにパフェでもいいなぁ。ステップでもし出しそうな様子に苦笑する。

アクマこそ居たものの今回の任務は外れだった。
戦闘での怪我もたいした物ではなく、残りの時間は観光でもして来ればと案外適当に放り出された。
おかわりください。芯まで食うなよと呆れながら三つ目の林檎を渡す。
「あ、アレン。ついでに飲みもんも買って行くさ。あの駅で売ってんのはまずくて飲めたもんじゃねぇし」
コーヒーショップに立ち寄ろうと声を掛けたが返事が無い。ぽとり。足下に食べかけの林檎が落ちる。
彼が食べ物を手放すなどよっぽどの事なのだろう。
「アレン?」
隣の子供は魂が抜けた様な顔をして呆然と遠くを見つめていた。
アクマかと思い身構えるがアレンの口からこぼれ落ちた名前に首を傾げた。
「行かないで!」
「アレン!?」
名前を呼び切るより先に駆け出した彼に慌てる。両手は買い物袋で埋まっていた。一瞬考えて地面に落とした。盗まれても痛んでもまた買えば良い。どうせ経費は教団持ちだ。アレン!俺は彼の名を叫んで後を追った。ざかざかと人の間を縫うように走る。人気の無い裏路地に入るとようやくアレンが立ち止まり俺も止まった。乱れた呼吸を直す。
彼は深く帽子を被った長身の男の袖を握っていた。知り合いなのかと目を凝らすが影が濃く顔はよく見えない。
「アレン、急にどうしたん。帰るぞ」
言葉で促すも、アレンの身体は動かなかった。
聞く耳を持たないのか、否聞こえていないのか。男の姿を目にしてから目眩がするし頭は痛いし白い子供は言う事を聞いてくれないし、何なんだよと脳内で毒づいた。
アレンは男に二言三言囁いた。男が頷く。
男がアレンの左目を撫でた。絵の具が溶けるようにペンタクルが消えた。
俺はそれを呆然と見ていたが混乱する頭とは別の回路が冷静にその瞬間を記録した。

「私の愛しい息子」

次に髪を撫でた。魔法が解けるように白銀の髪が栗色に変る。ついにアレンが泣き出した。マナ、マナ。
マナ・ウォーカー。墓の下に埋まっていなければならないはずの人間の名前。
「罪は流れた。一緒に行こう」
「うん」
男の言葉にぼやけていた意識がパチンと弾けた。
このままではアレンが連れて行かれてしまう。直感だったが外れではないと思った。止めなければいけない、いけないのに。
焦燥している俺とは正反対にアレンは俺が見た今までの中で一番嬉しそうに笑っていて、その笑顔にショックを受ける。
俺たちの言葉なんて結局お前の父親を上回りはしないと証明されてしまった気がした。
「アレン」
呼びかけてもこっちを振り返りも見もしない。同じ空間に居る事を認識されているかも怪しい。
男がアレンの左手を掴んだ。じわりとコーヒーの染みのように辺りが黒く浸食されて行く。
行くな、行くなよ。
「アレン!」
ようやく振り向いた彼はぞっとするほど奇麗な笑みを浮かべていた。

「じゃあね、ラビ」



じんじんと頭部に感じる痛みにそれが夢であったと気がついた。
ベッドから転げ落ちるなんて何歳ぶりだ。上下反転した景色から起き上がる。
ほっと息を吐くがまだ心の奥がざわりと落ち着かない。
小さなこぶが出来たぐしゃぐしゃの頭を掻いた。
「あーもう、馬鹿さね」
今すぐアレンに会いに行こうと思った。

どうでも良いときはよく遭遇するくせに会いたいときほど見つからないのはタイミングが悪いのか仕組まれているのか。
アレンの部屋は空っぽで、なら食堂かと向かえばそこにも居ない。鍛錬でもしているのかと向かえば今日は来ていないと首を振られた。早く顔を見て、存在を確かめたかった。夢とは分かっていてもあれは気分の良い物ではなかった。
談話室でソファーからひょっこり覗く見慣れた白い頭に安堵した。
連れて行かれてなんてない、ちゃんとここにアレンは居る。とりあえず今日一日は離れられそうに無い。

「うわ、ちょっと何ですか」
腰にべったりと張り付いてきた赤髪の青年に苦言を漏らした。
ぐりぐりと頭を擦り付けて来たかと思えば腰に腕を回される。兎は万年発情期と要らぬ知恵を教えてくれたのは誰だっけ。
いい加減にしろと頭をはたくと口を開いた。
「腰ほっそ」
謝罪かこのおおげさなスキンシップについての理由を期待した僕が間違っていた。読みかけのスイーツ雑誌で再度頭を叩いた。もちろんありったけの力を込めて。
非難の声が上がったのでだったら離れて下さいと言えば黙ってまた定位置に戻った。
叩かれてもめげずにくっつく彼にマゾヒズムの疑惑が浮かんでちょっと引いたけど、また雑誌に視線を戻した。

ケーキ特集をちょうど読み終えた辺りで後ろから誰かに抱きつかれた。
振り返るとリナリーだった。目を赤く腫らしていてどうしたのかと聞くと首を左右に振って首元に埋まった。
「話があれば聞きますからソファーに座った方が」
「嫌」
「立ったままだと疲れますし」
「このままじゃなきゃ嫌よ、嫌」
こんなところコムイさんにでも見られたら明日の朝日を拝む事が出来ないとラビに視線で助けを求めようとしたけど未だに腰にへばりつき踞っている。ラビ、リナリーが。声に出すもチラリとこちらを見ただけでまた踞った。一体どうした事か。
仕方なしに周りの人間に助けを求めようと思ったけど残念ながら通りがかった神田しか居なかった。
僕はこういった事に関して彼は戦力外とみなしているので実質周りに人間は居ない事にした。困ったなあ。

「おい」

戦力外が話しかけて来た事に目をぱちくりと瞬かせた。
この不可解な状態に鬱陶しいとか文句でも言って来るかと思えばもう少し詰めろだと。首を傾げるとさっさと詰めろと苛立った。失礼、彼はいつだって苛ついている。
むっとしつつも優しい僕がずるずる左に寄ればラビもリナリーもずるずると移動した。シュールな状態だと僕は思った。隣に腰を下ろした神田も含めて。向かいのソファーに座ればいいのにといったニュアンスで見上げたが一瞥されるだけだった。
「みんな何か変じゃないですか?」
誰も返事をしてくれないから段々と気まずくなって来る。
誰か、誰かこの異常な状態におかしいだろうと一声かけてくれるだけで脱出口が見つかる気がするんだけど。室内にはぱらりとページをめくる音だけがして空気に息が詰まりそう。
目の前の人気のデザート100選!レシピ付き月刊誌だけじゃ乗り切れない。これはよほどの事態だ。ここは談話室なんだからもっと明るい空気でなければならないはずだ。
何か話題をとわざとらしいくらい明るい声を出す。わざとなんだけどね。
そういえば今日幸せな夢を見たんですよ養父に会う夢なんですけど、僕は呪いもイノセンスも無いただの子供で、マナとずっと遠くへ旅に行く夢だったんですけど。
なので今日はすごく目覚めが良かったんですよ。へらりと笑うと一斉に三人が顔を上げて僕の方を見た。神田とラビは眉間に皺を寄せて、リナリーは小さく呻いた。
ファザコンに引かれたのだろうかと慌てたが益々キツく抱きつかれ、神田には舌打ちされた。場を明るくするつもりが益々暗く重い空気になってしまった。もう何の話をしても駄目な気がする。

その日三人とも同じ夢を見ていただなんて、そんな事知る由もなかった僕はぎゅうぎゅうと抱きしめられながらため息を吐いた。

inserted by FC2 system