妖精の輪

「やべっ」
 明らかに見てはいけないものを見てしまった。
 そこだけ小さな淡い光がこぼれていたものだから、つい目で追ってしまった。
 そして”あちら”も自身が見えている事に気づいたようだった。ぶるりと全身が震える。今夜は特に冷え込んだ夜だが気温とは別の寒気なのは明らかだ。
 レオナルドは速攻で踵を返した。触らぬものに祟りなし。ここじゃそれが鉄則だ。


「菌輪ではないのかね?」
 左右に首を振る。この眼で見間違える事なんてのは無いのだ。
 テーブルに貰ったキャンディ達を円状に並べていけばカラフルな輪っかが出来上がる。キャンディは妖精。キャンディの輪、妖精の輪。
「そっちじゃなくてですね、御伽噺の、フェアリーリングです。妖精が輪になって踊る方っすね」

 ここはアイルランドでもスコットランドでもない、国としての歴史も新しく伝承や伝説は駆逐されてしまった元ニューヨークの現ヘルサレムズロットだと言うのに。
 妖精なんてナンセンスとも思うがヘルサレムズロットになったからこそ居るのかもしれない。妖精が現世と異界のどちらに属するものかは分からないが。有り得ないことなど有り得ないのがこの街。何より見てしまったのだから証明はそれだけで事足りてしまうのだ。
「それは興味深い」
「でも実際見たらちょっと怖いっすよアレ」
 昨夜の情景を思い浮かべて渋い顔をしていると急に肩へと重みが増した。
 ザップさんかとも思ったが、肩にかけられた長くしなやかな指先から腕、肩、と辿って見上げればライブラの副官がそこに居た。気配を殺して背後に立つのはやめて欲しい。残念ながら視覚以外は鈍くて仕方ないのだ。
「一体なんの話だい?」
「レオが昨夜妖精を見たと」
「ふぅん」
 興味の薄そうな生返事をしてからスティーブンはぐ、と身を乗り出した。レオナルドは小さく身を屈める。テーブルに並べたキャンディを1つ摘むとレモンイエローの包装紙をペリペリ剥いで口に放り込んだ。
 口の中でコロコロ転がしていたかと思えば顔をしかめる。安物の味は高給取りの舌には合わなかったようだ。
 レオが飲んでいたコーヒーの残りを問答無用で全て飲み干した。まさに略奪。
 甘過ぎてコーヒーが無いと駄目だなこれは。おまけに化学調味料の味が酷い。そんなん言うなら最初から食べんでくださいとは言えなかった。わたくし部下ですもの、相手は上司様ですもの。
「スティーブン」
 咎めるようにクラウスさんは言うが、別にキャンディもバイト先からの貰い物だしコーヒーだってギルベルトさんがいれてくれたものなのでそこまでレオナルドにダメージは無かった。コーヒーは惜しいけど。本当に、惜しいけど。
「悪かったな少年。ランチかディナーでも奢ってやるよ」
「いえいえいえいえいえお構いなく!」
「そこは素直に奢られとくもんだろ」
 スティーブンは溜息をつきながら隣に腰掛けるとギルベルトにコーヒーを追加で2つ頼んだ。
 クラウスは乱れたキャンディの輪の間隔を均等に直し、満足そうに頷いた。こういったことは気になるタチらしい。

 腰掛けた分の重みで少しスティーブン側に傾いた身体をにじりにじりと距離を取り軌道修正しては縮こまった。パーソナルスペースの確保は大事なのです。
 レオナルドはこの隣の上司が得意では無かった。年齢も共通の話題も何もかもが噛み合わない。嫌いではないのだけど会話に困る相手。しかし最近スティーブンが目に見えてレオナルドと距離を詰めようとしてくるので参ってしまう。
 こちらの心情を見抜いてコミュニケーションを測ろうとしてくれているのか、単なる気まぐれか、どちらにせよ困惑した。返しが分かりにくい相手は苦手なのだ。
 その点どこぞのクソ猿先輩はダダ漏れで分かりやすいが、下世話な方面までダダ漏れで困る。そこは隠せよと童貞は主張する。
「それで妖精ってのは?」
「興味あったんすか」
「お茶請け代わりにはなるだろ」
「あっそういう…」
「私は大いに興味をそそられるのだが」
「くらうすさぁん!」
 気を取り直して新しく入ったコーヒーを受け取る。いい香りだ。
 一口飲んでからレオナルドは話し始めた。
 ええとですね、昨夜バイトの帰りに旧バッテリー公園を通ったんですよ。そしたら少し丘になっている所がぼんやり光っていて、思わずそこに目を向けたら妖精が輪になって踊っていたんです。はい、はいそうです。嘘じゃないですって。
 妖精自体は5〜10センチくらいの小さな感じで、御伽噺の挿絵に載ってるようなまんまの姿でした。蝶や蜻蛉の羽で、小さな花の帽子を被ってました。
「それは、愛らしい」
 ホクホクと嬉しそうなクラウスに申し訳ない気持ちで言葉を続ける。
 ただ、その輪の中で踊っていたのが妖精だけじゃなくてですね。ガリガリに痩せた、それこそ骨と皮って言えばいいんでしょうか、身なりはよさそうなんですけどあまりにも萎びた姿の人達が妖精と一緒にくるくる踊っていて。足なんてもうボロボロで真っ赤に血が滲んで虚んな顔で踊ってるんです。僕それで怖くなってきてすぐ帰ろうって思ったんですけど目を離す直前に妖精がこっちに気付いたみたいで、さっきまで笑ってたのに振り向いた顔は無表情でした。感情が抜け落ちた能面みたいな顔で…1人が振り向いたらあとは皆一斉にこっちを見てヤバいなって慌てて帰った次第です。
「なんと・・・」
 想像した通りガクンと気を落とすボスに心の中で詫びを入れる。
 レオが悪いわけでは無いが、例えるなら彼の心境はクリオネの捕食シーンを見た時のような気持ちだろう。
 あれは衝撃だよな。もう天使とか言ってらんないもん。あの姿は天使に擬態していたエイリアンだ。
「君それ大丈夫なのか?変な呪いとか貰ってないだろうな?」
「あっそれは帰って確認したんで多分大丈夫です」
「念の為後で検査しておこう」
「っす」
 その後は珍しく特に事件も問題もなく、検査も異常がなかった為速やかに帰路に着いた。はずだった。
 リュックを背負い、さぁ事務所を出ようとした所をスティーブンに捕まった。
「君が朝言っていた妖精のことで話があるんだが」
「はぁ」
 首根っこを仔猫みたいに摘まれてレオナルドは一目散に逃げ出したい気分だった。ちなみにソニックは脱出済である。悲しや悲しや。
 スティーブンはレオを引っ掴んだままデスクへ移動すると引き出しから無造作にファイルをいくつか取り出した。
 クリップで顔写真がいくつも挟まれている。どの人物も身なりが良く、地位が高そうに感じた。
 レオとは縁もゆかりも何も無い人物たちだろうに、どこかで見たことのある顔ぶれだった。
 頭の中に浮かぶぼやけた顔と写真の顔はすぐには合致しない。
 それでもフォーカスを合わせるようにゆっくり丁寧に照合していけばカチリとハマリ納得した。
「スティーブンさん、この人達です。妖精たちと踊っていたのは」
「やっぱりか」
 スティーブンは難しい顔をして思考し、尋ねた。
 この写真の人間たちは生きていると思うか?骨と皮の、虚ろな目をした人間たちは君の目から見て生きていたと言えるかい?

 彼らは踊らされているように見えたし、意思も生気も感じられなかった。人形、そうだ人形のごとく上から糸で吊られたような踊りだった。
「生きているか死んでいるかと問われると生きてはいるんでしょうが、中身は空っぽな気がします」
「そうか」
 彼はどこかへ電話を掛けると同時に片脚でがっしりとレオナルドを包囲した。
 用が済んだのなら帰ろうとしていたのが見透かされている。あくせく藻掻くがビクともしない。布越しにもスラリと引き締まったスポーツ選手張りの筋肉である事がよく分かる。ポテポテした怠惰な己が脚と比較して世の不条理に嘆いた。

 ああ、恐らくね。身体を?まぁ仕方ない、分かったよ。
 電話を切った彼はとてもいい笑顔で言った。さぁ今から楽しい仕事だぞ、少年。
 レオナルドは別にワーホリでは無いので全くもって楽しくない。が、馬鹿ではないので口には出さなかった。どちらにせよハイかYESしか返答を許さない人だ。嫌がったところで残業は確定。
 霞みたいな希望でもって見上げるとにっこりと微笑まれてこりゃダメだと縮こまった。今日はお家に帰って存分にゲームをする予定だったのに。でもゲームより命の方が大事なのだ。いのちだいじにこれ絶対。
 そんなに脅えるなよ、終わったらディナーを奢ってやろう。ステーキなんてどうだ?和牛A5ランク、厚みがあって程よく肉汁が滴るミディアムレアだ。シンプルな塩と胡椒で最高牛を頂く。どうだい?
 現金なもので、僕は速攻でさぁさぁお仕事頑張りましょう!と諸手を挙げた。
 貧者は目の前の食欲に勝てるはずもないのだ、仕方あるまい。
 あとどうせ逃げられないならご褒美付きの方が良いに決まってる。


「妖精を見る方法としてはセカンド・サイトを持つ者との接触が好ましいが、まぁ視界の共有をしてくれればそれでいいよ」
「スティーブンさんには見えないんですか」
「君は義眼以前の今までで、妖精を見たことがあったか?」
「あー、無いっすねぇ。そもそも居るとすら思ってなかったです」
「そういうことだよ」
 すっかり暗くなった公園は静かなもので夜の散歩にはちょうど良さげだ。
 しかし2人の目的は散歩なんて訳もなく、被害者の回収(生死は問わないそうだ)と出来るならば妖精の処分だ。
「結局あの写真の人達は建設会社の重役さん達だったんすねぇ」
 男は頷いて公園を見渡した。
「ここに大型デパートを建てる予定だったらしい。が、まさか妖精の住処とは思わないよな」
 いくらヘルサレムズロットといえども妖精は流石に初めて聞く。英国から移住でもして来たのだろうか、案外有り得そうだ。
 崩落後、廃れたはずの神秘や魔術は盛り返し、呪いが当然存在する世界になった。
 伝説の生き物なんて呼ばれている生物が当たり前にその辺を闊歩していたりする。この間なんてユニコーンの脱走騒ぎがあったくらいだ。
「崩落直後にはそういなかったはずなんだが」
 それこそ1、2年前から聖書や絵巻物に登場する生き物が増え続けている。
「似た境遇とか生まれの生き物に囲まれていた方が安心するんでしょうね」
「こっちからすればいい迷惑でしかないけどな」
 それもそうですねと笑う。
 二人だけで話すのは珍しかった。何分接点が無いのだ。
 前にも夜に二人だけで話した日があった。ザップさんのせいで余計クタクタになった最悪の日だった。
 たまたま探していた猫が、スティーブンさんの知り合いの子供さんに保護されていた。そこまでは良かった。
 猫をひったくったシルバーシットにバイクごと持っていかれて途方に暮れていた。彼は哀れな僕を見兼ねて怪我の手当をしようと言ってくれた。
 普段の会話は少ないけれど、きっと優しい人なのだろうと思った。施す事を実行するのとしないのでは明確な差がある。
「妖精、また現れますかね」
「現れるさ。君がいるんだ」
 1度領域を踏み荒らした人間がもう一度来るんだ。彼らはプライバシーの侵害をひどく嫌う。
 月夜の輪踊りを見られるなんて以ての外だろう。きっと君を踊りの仲間に入れたがるに違いない。
「好きで見たわけじゃないのに」
 姿を見られる事を嫌うのなら元から踊らなければいいのにとボヤく。
 言えてるな。スティーブンさんが肩を竦めた。
 赤い実、踊り、夜、人気のない場所、月、歌、美しいもの、音楽、夜露。
 妖精の好むものが此処には大体揃っている。居心地がいい住まいなんだろう。
「だからまた現れるよ。良く目を凝らしてご覧」

 丘の上にはくるくると回る妖精と表情のない人達。
 視界を共有すれば、なるほど気味が悪いと小さく笑った。
 気のいいお隣さんなんて呼び方もあるらしいが、どう見たって荒くれたお隣さんだ。

 ギョロリと視線を一斉に向けられる。
 滑るように音も無く向かってくる。きっと一人だけだったら叫んで泣いて喚いて逃げ出してる。でも一人じゃない。怖いけど大丈夫だって思った。怖さだけなら隣の男の方が断然ヤバい。
「弱点が明確に分かっている生き物っていうのは哀れなもんでね」
 スティーブンさんが一歩踏み出す。氷が妖精達を覆う。1秒も掛からなかった。
 物理攻撃が効く相手で良かったなぁと僕は冷えた空気に腕を撫でさすった。
「ベタな所だと鉄と十字架。僕の武器とは相性が良いようで何よりだ」
 氷の前衛アートみたいになってしまった妖精を見て頷いたが、こうもカチコチだと相性もクソも無い気がしてならない。
 踊っていた人達はどさりと落ちて動かなくなった。息は辛うじてある。意識が戻るかは分からないけれど脳さえ無事なら大丈夫だとスティーブンさんが言った。脳だけ、脳…抜くんだろうなぁ。
 うげぇと顰めっ面している間に依頼者に連絡をし終わったらしい。
「じゃあ早速飯に行こうか」
「ういっす。でも本当に奢って貰っていいんすか。本当に今回は視るだけしかしてないのに…労力と割りに合ってます?」
 僕の問いかけにスティーブンさんは目を皿の様にしていたがニヤリと笑って襟首を掴まれた。
「割りに合う合わないで言ったらまぁ不必要とは言えないけど確実に足りて無いよね」
「え"っ」
「でもその代わり有り余る分の利益があるから気にしない気にしない」
「えっ…えっ!?利益って!?まさかこの後に無茶な仕事振る予定とか無いですよね!?」
「はぁーあ、結構露骨にアピールして来たつもりなのにこれだもんなぁ。女相手なら簡単に落とせるってのに全くもって度し難い鈍感さだ」
「なになになになに怖い怖い怖い!」
 ま、これから二人っきりだし少年は押しには弱そうだし。

「君ときたら妖精は見える癖に上司からの下心は全く見抜けないからなぁ。想定外の触れ合いと美味い話には邪な想いが付き物だよ。れーお」
「は」

 襟首がきゅっと締まった。

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