メロー

ウォッチ家には決まり事がある。一年でたった1日だけ、玄関のチャイムが鳴ろうと外から声を掛けられようと決して扉を開けてはならない日がある。

決まり事が出来たのはレオナルドが五つか六つ、そこらの年からだ。外で遊んでいた兄妹二人が転げるように家の中に駆け込んで来て「扉を全部閉めて!窓も!」と真っ青な顔で叫んだのだ。
普段からおっとりしている息子が声を張るのは珍しい事で、おまけにカタカタと震えながら妹と抱きしめ合っている。奇妙に思いながらも言う通り夫妻は全ての扉と窓を戸締りした。
瞬間、家のチャイムが押された。兄妹がびくりと跳ね上がる。

「出ないで!」

シンと静まり返るとまたチャイムの音が鳴る。
レオナルドは引き攣った声をあげた。扉を開けてくれるなと必死に両親に目で訴えている。
少し間が空きコンコンと控え目なノック音。それでも出ないで居ると打ち鳴らす様に激しく扉を叩かれた。

これは尋常では無い。母親が子供二人を抱き締める。
父親が恐る恐る扉に近付きドアスコープから外を確認し声を失った。
それは全体に滑りけを帯び、体長は優に二メートルを超えている。皮膚には所々に鱗が貼り付き、極端に細長い腕と手の間にはヒレ、蛇の様な尾が塒を巻いている。口はあるが目は無い様に見えた。
タチの悪い悪戯の仮装と断定するには出来が良過ぎる。それはカパリと口を開けるとガラスを引っ掻いた様な甲高い声で言った。
「開けて、開けてレオ。約束通り迎えに来たよ。リボンを届けたら代わりに君を連れて行くと言ったじゃないか。開けて、開けてレオ」
家族全員皆失神してしまいそうだった。
それは何度かチャイムを鳴らし、扉を叩き、声を掛けた。その間誰も動けずにいたがその内諦めたのだろう。「また来年迎えに来るからね」と言い残してそれは去って行った。

そこからはもう大変だった。扉の前には机や棚を寄せ、窓には全て木板を打ち付けた。当然警察にも通報したが真面目に取り合っては貰えず冗談と流された。
そりゃそうだ。家に怪物がやって来ただなんてこの現代において誰が信じるというんだ。一体全体どうしてあんなものが家にやって来てしまったのか、未だに震えたままの兄妹に尋ねれば要領を得ない内容で理解するのにえらく時間がかかった。
要約すると数日前遊んでいた際にミシェーラの緩んだリボンが風に巻かれて湖面へ飛ばされた。
レオナルドはどうにかしてリボンを取ろうとしたが小さい腕では全く届きゃしない。その時だ、大きな魚がリボンを咥えて湖岸まで運んで来たという。
リボンを受け取ると魚はパクパクと大きな口を動かしてから湖の底へと消えてしまった。
そして今日湖の近くで遊んでいたら件の魚が現れあの怪物へと変化しレオナルドを連れて行くと言い出したそうだ。

妙ちきりんで子供のついた嘘にも思える話だが、先ほどの出来事があっては信じるしかなかった。

「それからそれが来る日には遠くへ旅行に行ったりもしたんですけど、何故か必ず来るんですよ。でもずっと居留守を決め込んでおけばその内諦めると思うので」
へらりと笑うレオナルド。と、ガンガンと打ち鳴らされる建て付けの悪い扉。


明日一日ライブラも非番でバイトも休みと言うから恋人らしく一緒に過ごそうと言えば素気無く断られ、ゲームの発売日でも無し一体どうして断るんだまさか浮気か!?浮気なのか!?
バイト先のあの無駄に筋肉質でやたらとボディタッチの多い糞野郎か!?許さないぞお前が別れるつもりでも絶対に手放すつもりなんて無いからな!と一人妄想に暴走していたら「何でそうなるんすか!?」と怒られ一悶着どころか二悶着三悶着と混乱に混迷を極めた挙句最終的にエアホッケーで勝敗を決める頃には双方訳が分からなくなり「ああもうじゃあ僕ん家に泊まりに来て下さい」と言われ少年の家にお泊まりなんて地味に初めてだよなぁとホイホイ付いて行きヤる事ヤって安っぽいパイプベッドの上でも恋人と一緒なら良いもんだなと朝の寒さに身を震わせつつ狭い安アパートでお家デート(僕の一方的な認識では無いはず)を楽しんでいた所でそもそも何でレオの家に泊まる事になったんだっけと思い出し今に至る。

半信半疑で話を聞きつつ浮気疑惑を消化出来ずにいたら狂った様なチャイム音とノック、ノック、ノック!
開けて開けてと喚く耳障りな甲高い声。
「これが毎年?」
「えぇ毎年」
困った様に笑う少年は心なしか顔が青ざめ震えている。
怖い癖によく一人で立て篭もろうだなんて言い出したもんだ。それにしてもガンガンガンガンキーキーキーキーうるさい。
ウキウキお家デートもこれじゃげんなりしちまうだろ。

僕はベッドから立ち上がるとそのまま玄関へと足を進め今にも壊れそうな錠を開けた。少年が「は!?」と声をあげる。
さっきの「は!?」には「あんた何してくれちゃってんですか」とかシンプルに「は?」とかが含まれているのだと思う。
あと怒涛の勢いで僕への好感度が下がっているだろう。まぁこの後爆上がりさせるんだけどね。

扉を開け間髪入れずに蹴り上げる。なるほど見た目は怪物だがこんなのその辺の異界人と変わり無いだろ。
心臓を貫いたら呻いて痙攣して血反吐を吐く。そら変わりない。
「迎え…れ…やく、約束を…じだのに」
「一方的な契約は無効だろ。魚の言葉で人間に届くとでも思ってるのか?んな訳ないよな。確信犯だろお前は」
少年へと向けられた細長い腕を地面へ踏みつけ凍らせ砕く。
呻き声が甲高くて煩い。喉を潰す。これでマシにはなるだろう。
「大体ね、湖底へ少年を連れて行ってどうする気?いやごぼごぼ言うな、分かってる。お前みたいな種族は魂を抜き出して籠に入れるのが趣味なんだろう。知ってるよ。こっちはその道のエキスパートさ。けどそんな趣味には付き合いきれないね。むざむざ恋人を連れて行かせる馬鹿なんて居やしないだろ」
パキパキと全身を凍らせて行く。
深度を深く、深く。中の血まで凍りつく様に。
「そういう訳だから潔く死んでくれ」
長年ウォッチ家を煩わせて居た怪物はスティーブンが玄関を開けてから一分も経たずに砕け散った。

恐る恐る後ろからのぞき見る少年は驚きと安堵で可笑しな顔になっていた。
変な顔でも可愛いと思えるから参っちまう。こういうのを惚れた弱みって言うんだぜ。
扉を閉めて錠をかける。残骸の後始末は彼らがやってくれるだろう。

「それじゃあお家デートの続きをしようか」
にっこり笑うと少年が飛び付いて来た。

ほら見てみろ!好感度爆上がりだ!

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