かわいいこ

 少年がぐすぐす泣いている姿はライブラの面々にとっては見慣れたものだ。
 カツアゲ、自宅の爆破、バイト先の爆破、生活費の枯渇、例を挙げたらキリがない。19歳の青年と言うには発育がよろしくないレオナルドは歳の割に本当によく泣く。どっからそんなに水分が出てくるのだと考えてしまうほどにはべそべそぐすぐすうわあんと惨めったらしく、時には豪快に泣く。

 ところでスティーブン・A・スターフェイズに嗜虐趣味は無い。
 話が急に飛んで申し訳ないが彼の趣味は料理やホームパーティー、読書などまぁ一般的なものだし歪んだ性癖など持ち合わせていない。はずなのだが。
 ザップに食べていたドーナツを略奪され「今日唯一の飯ぃ!」と喚き立て打ち負ける彼は泣き伏している。いつもの風景、なんてことは無い日常。しかしスティーブンの心中は騒めいている。
 最初は気の迷いか、ストレスだと思っていた。

 一回り年下の部下の泣き顔が可愛い。可愛いのだ、とんでもなく。

 少年は愛嬌のある顔をしているが顔が整っている訳じゃ無い。可愛いならぶさかわとかの部類だろう。鼻は低いし掘りは薄い。全体的にペチャっとしている。その平たい顔がわぁんと泣いて顔をくしゃりとさせるとスティーブンの幸甚指数が跳ね上がるのだ。
 大いにべそをかき泣き喚いているのも可愛いが、目尻にいっぱい涙を溜めて「ふぐぅっ」とよく分からん鳴き声をあげているのも可愛い。
 この間スティーブンの長い御御足に引っ掛かって(あれはワザとではなく偶然だ)少年が転げた時に歪めた顔も可愛かった。少年がわんわん泣く度にストレス発散リフレッシュをキメていたが異常事態なのは重々承知。虐げられる少年の泣き顔を可愛いと感じるなんて百人いれば百人とも可笑しいと指摘するに違いない。どうしたもんかと思うがこんな内容相談出来るような人間はいない。

「キュートアグレッションって知ってますか?可愛いものを見るとぎゅっと抓ったり食べたくなったりする衝動のことらしいんですけど」
 両腕に巻かれた包帯を見せながら少年が説明する。
 新しく隣に引っ越して来た隣人にやられたらしい。ヴァーミア族からすると体表の毛の少ない生き物は愛玩動物に見えるとかなんとか。棘の付いた触手で両腕にぎゅうぎゅう巻きつかれて大変だったとかなんとか。
 そんなご近所さんはハドソン川にでも沈めてしまえと思ったが口には出さない。少年は懐が広く深すぎる。ご近所さんに暴力はNG!ラブアンドピースの精神で生きましょう!阿呆の極みだ。
「食べちゃいたいくらい可愛いなんて言われて食べられたら笑えないぞ、少年。異界式の挨拶を受け入れるより、人界式だとでも適当にでっち上げて距離を取りなさい」
「えぇー…でもヤヴゥヤさん結構良い人ですよ。お詫びにってパンプキンパイ貰いましたし」
 テーブルの上に置いてあるパイがそれか。怪しい異界人手作りのパイを事務所に持ってくるんじゃない。
 再度軽く注意を促し僕はデスクに戻った。

 少年が隣人に食べられかけたのはそれから3週間後の事だ。

 念の為私設部隊に見張らせておいて良かった。あわや大惨事だ。
 異界人は触手で少年を捕え、ヤツメウナギの様な口を開けて捕食せんとしていた。かわいくておいしそう。たべちゃいたい。
 すんでのところで首を切り落としたと聞いている。少年の頭の3分の2まで口内に呑まれていたのだ。仕方の無い措置だろう。

 迎えに行けば少年は呆然と突っ立っていた。頭から血を被っている彼をタオルで覆って車に詰め込んだ。
 後部座席からぐずぐずと啜り泣く声が聞こえる。この3週間ですっかり親しくなっていたのは聞いている。事務所に来る度今日は何を貰っただの、お勧めのお店を教えて貰っただの、一緒に食べに行っただのと報告していたからだ。
 僕が警戒しろと忠告したのに反して、彼は気の良い隣人が無害であると証明したかったんだろう。だがその結果は散々なものだ。

 風呂で血を落とさせれば、マシな見た目にはなった。この子供は秘密結社に属して居ながら血が似合わない。後方支援がメインだとしてもだ。生まれ持った性質はそう簡単に変わりはしない。変わりはしないせいでこうもぐずぐずと泣きどおしている。
 今夜は彼の泣き顔を見ても爽快感は感じない。血の匂いが残っているせいだろうかと、香り付きのドライコンディショナーを勝手に使ってみるが駄目だ。血の匂いが原因では無いらしい。少年はぷぴーっと間抜けな音で鼻をかむ以外されるがままだ。
 えっえっと嗚咽する彼に、だから言っただろうと追い打ちをかけてみた。びゃーびゃー泣き出す顔の方が良いかと思って、勿論今後の人付き合いの注意もある。何度も同じことを繰り返してすり減るんじゃ面倒だ。
 泣き喚くかと思えば顔を胸に擦り付けたまま左右に首を振った。
「うぇっ、だっ…て、ヒューマーの友達は、ひっ…初めてだから…食べないって、ひぅっ、友達になれて、っく、嬉しいって」
「…食べようとしてたじゃないか」
「!」
 少年は眼をかっ開くとわぁん!と泣いた。絞り出すように涙が次から次へと零れていく。
 顔中くしゃくしゃにさせた泣き顔は可愛いと感じるが、いつものストレスが吹き飛ぶ高揚感が無い。むしろ純粋な可哀想の比率が高い。仕掛けたのを少し後悔した。
 胸を貸す代わりにクッションを顔に押しやる。大人しく抱き込んだのでよしよしと頭を撫でてホットタオルを取りに行く。シャツとクッションは洗濯必須だろうな。生暖かく濡れている。

 べっしょべしょになったクッションを取り上げてタオルで顔を拭けば「んぅっ」と小さな声をあげる程度に収まった。目元は真っ赤に腫れてる。涙を出せる分出し尽くしたのだろう。
 甲斐甲斐しく拭ってやると彼の小さな脳みそも漸く情報と状況を整理出来たようだ、羞恥から顔を染め「もう大丈夫ですから!」と喚き立てる。構わず拭っていると、また少年の目元がじわりと赤みを帯び表面が薄く潤み出す。

 ここに来て突如あのふわりと舞い上がるリフレッシュ感が僕を襲った。
 可愛い、顔を真っ赤に染めて羞恥に涙を浮かべる彼が。先程まではうんともすんとも無かったのに。
 犬でも撫でるみたいに頭から頬のラインに沿ってうりうり撫で回す。嗚呼可愛い。癒される。
「んぶぁっ!もう!いいですって!」
「何がもういいのか分からないね」
 泣き顔だけじゃなく触れ合うとセラピー効果まであるなんて、くそ、可愛いな。ペットを飼うとストレス値が下がると聞くが人間でも有りらしい。
「だから!その、あれなんすよね」
 どれなんだ。
「スティーブンさん、俺のこと慰めてくれてるんでしょう?」
 ピタリと撫でる手を止める。
「そんな事は………あるな」
「慰め方がペット扱いですけど…下手なんすね、意外です」
 へへへ、くしゃりと笑う。そんな笑顔は初めて向けられた、僕にだけ向けられた笑った顔。
 ぐぅ、と喉奥から声が出た。へらへらと締まりのない顔、それは泣き顔とはまた別の可愛らしさがあった。
 オキシトシンが絶え間なく分泌されていくのが分かる。少年は泣き顔も可愛いが笑っているともっと可愛い。べそべそ泣いていれば丸いほっぺに噛み付いてやりたくなるし、笑っていれば撫で回してやりたくなる。少年を見ているとじっとしていられない。
 なんというか、こう、ぎゅっとしたい。


 とりあえずあの日から少年に餌付けしている。
 K・Kからは不審な目を向けられているが貧困に喘ぐ子供に施しているだけだ。何故そんな目で見てくる。躓かせて転ばす訳じゃなし、ちょっとランチやらディナーやらを奢ってやってるだけだろう。
 齧歯類かと疑う頬袋に料理を詰め込む少年は可愛かった。泣いても可愛い笑っても可愛い食べても可愛い。
 最近は家に泊める事もあるが彼は寝ていても可愛いんだ。可愛いと思う度にぎゅっと抱きしめたくなる衝動を抑えるのは大変だ。渾身の力で彼を抱きしめれば少年の口から内臓を吐き出す未来が見える。
 "グロ可愛い"という特殊な趣向もあるそうだが僕は違う。確かに少年は可愛くて食べたくなる、が、異界人のヴァーミア族では無いので頭からバリバリ食べる気にはならない。だが食べたい。
 余談だが近頃食欲が湧いて止まらない。食べても食べても満たされないのに少年を見ていると多幸感だけではなく食欲まで顔を出す。美味しそうなのだ。
 むちむちとした太もも、ぷにぷにした二の腕、ぽよりと締まり無いお腹、触れた事はないがカサ付いている唇もつついて喰みたい。甘噛みして舐めて喰みたい。想像するだけで喉と腹がグゥと鳴る。
 ああ可愛い。


「これがキュートアグレッションか…」と感慨深く頷く上司に斬りかかりたくなった。おげぇ。
 端末でぺろっと調べてみるが本来赤ん坊やら犬やら猫やらの小動物に向けるやつだそりゃあ。少なくともちんちくりんの陰毛頭に向けていいもんじゃねぇ、あいつなら小動物枠に入るとかの話じゃねぇ。あとそれはもう食欲ではない。
 番頭がレオに向ける視線を見りゃ誰だって分かるわ。姐さんが警戒する理由にだってなるだろ。

 あんた、そらなぁ、嗜虐性でも食欲でもなくてほら、あれだ、性欲だわ。

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