猫ちゃん/パロ/未完

魂九つ(1/9)

(一巡目:猫)

僕が彼と出会ったのはまだ瞳が開いたばかりの子猫の時だった。
ネズミをたくさん捕まえておくれと部屋に放られたが何分子猫だ。歩きだってまだ覚束無い。
開いたばかりの目よりも匂いで周りを探った。ふわりと甘い香りがする。
匂いの元を辿るようにクーファンをよじ登った。中には人間の赤ん坊が居た。ふかふかとした踏み心地に甘い香りと温かい体温、隅に置かれた使い古しのタオルより余程寝心地が良い。
当たり前の様に僕は赤ん坊の隣に丸まって眠った。

普通、猫と赤ん坊を一緒には寝かせないものだ。
ネズミを引っ捕まえる(その時の僕は全くネズミを追うともしなかったが)猫と赤ん坊では衛生的に宜しくない。
だがウォッチ夫妻は僕が夫婦らの子供、レオナルド・ウォッチと寝床を共にすることを許可した。理由は簡単だ。僕が隣に居れば彼は夜泣きをしないからだ。彼が愚図りそうになると僕はザリザリと彼のまろい頬を舐める。
「う、うあ、う」母音しか零せない奴は舐められた感触の方が気になって涙が引っ込む訳だ。それでも駄目な時は仕方なく尻尾の先を口に突っ込む。簡易的おしゃぶり。僕は最悪だったがレオは満足そうだった。ウォッチ婦人は「ネズミを取るよりこっちの方が有難いわね」と涎でびしょびしょになった尻尾に顔を歪ませた僕を見ながら呟いた。ウォッチ家での僕の仕事はネズミ捕りではなく子守りであった。

さぁ、そうは言っても彼が勝手に歩き回り言語のようなものをもごもご話し始める年頃になれば転職の時期だ。夜泣きなんてしないし(未だに僕の尻尾を口に突っ込む事はあるが)比較的よく言うことを聞く子供であったから子守りはお役御免となった。
今更ネズミ捕りなんて出来るかと思ったがやはり狩猟本能は凄まじい。そして何より美味い。ウォッチ家は商家だけあって裕福な方だった。お陰様で毎日与えられるご飯は美味しいが生きたネズミは鮮度が違う、格別だ、生肉万歳。
この頃ではネズミに飽き足らずイタチや鳥を捕るほどになった。そのうち狐だって捕れそうだ。何せ僕はセンスがいい。
1度レオの前で青い小鳥を捕まえてバリバリと食っていたら大泣きされた。地面に散らばった羽を指差し鳥さんがかわいそう、だって。素知らぬ顔でペロリと食すと馬鹿ねこ!吐け!ばか!とガクガクと揺らされた。おえっぷ、マジで吐くぞこのクソガキャ。
夜にいつもの如く彼の寝台で眠り込もうとすると蹴落とされた。昼間の事をまだ怒っているらしい。
だって仕方ないじゃないか、僕は猫なんだから。君たちだって家畜を食うだろ?それと同じさ。
抗議よろしくニャーニャー鳴いてたらうるさいと今度は首根っこを掴まれて部屋から放り出された。酷いことしやがる。首根っこを掴んでいいのは子猫の時だけなんだぜ?


毛繕いに精を出しているとバタバタ彼が走り回る音がした。
珍しくレオだけじゃない、家中の人間達が慌ただしくしていた。レオはご機嫌でぴょんと飛び跳ねながら僕を抱きしめた。子供は力加減に容赦ない。
くるくると回りながら婦人の元に連行された。いいか?転けるんじゃないぞ?僕一人ならまだしも君に抱きかかえられてんじゃ巻き添え食らっちまう。そんな間抜けな奴になるのは御免だ。話を聞いてはいないのだろうきゃあきゃあと声をあげる彼にヤレヤレとため息を吐いた。
婦人の胸元に抱かれた赤子は昔のレオの香りと似た甘い香りがしていた。
「かわいいねぇ、かわいいねぇ」
ふにゃっと、だらしない顔で赤ん坊の手を握っていた。僕は挨拶代わりに尻尾で頬を撫でた。ハロー、マイシスター。
ウォッチ家待望の第二子、ミシェーラ・ウォッチ誕生のおかげでまた子守り猫に復帰するかと思われたが僕はネズミ捕りを続けている。
彼女は頬を舐めたくらいでは泣き止まない。元気な子だった。尻尾をおしゃぶり代わりにするのは兄妹揃って同じようだが。

「みしぇ、ばっちいから駄目!」
オイオイ、尻尾おしゃぶり第一人者が何言ってんだ。バッチイとは何だバッチイとは。毎日毛繕いしているんだぞこっちは。
レオは妹君の口から僕の尻尾を抜き取るとちゃんとしたおしゃぶりを口に突っ込んだ。
彼女の子守りはレオに引き継がれた。呪詛のような下手くそ極まりない子守唄からオムツ替えまで見事マスターした彼はすっかりお兄ちゃんの顔をしていた。朝から晩までミシェーラ、ミシェーラ、ミシェーラ!
少しは僕の相手もしたらどうだいと、とうに遊ばなくなったおもちゃを咥えて額を擦り付ける。
「後でね、みしぇが寝たあとならいいよ」でもそう言って君は妹君が寝てる間も満足そうに寝顔を見るばっかりじゃないか。
仕方ないのでレオの隣に腰を下ろして一緒に赤ん坊の寝顔を見ていた。何がそんなに楽しいのか僕には分からない、猫だからね。それでも尻尾は緩く左右に揺れていた。
婦人はあらあらまあまあと優しい目で僕達を見ていた。動物と子供の組み合わせというものは心を潤すものらしい。それにしたって彼女の子育ては順風満帆すぎる。


尻尾を揺らしながらレオの膝の上で丸まった。
昔のようにぷにぷにとした触り心地ではないが柔らかくはある。僕はそれがなかなかに気に入っていた。ミシェーラが大きくなると返還された特等席だ。
毛繕いは自分で丹念にやるのもいいが、こうやって豚毛の櫛で丁寧にブラッシングされるのも悪かない。ぐるると喉が鳴ってしまうのも愛嬌だ。
パチンっと暖炉の薪が弾ける音に耳がピンと立つ。穏やかな時間が過ぎる。
「猫ちゃんはお兄ちゃんが大好きなのね」
妹は頬杖をつき、指先で僕の耳を掻く。
兄はブラッシングでまとまった毛を集めてはくるくる纏めてボールにしていた。ノース爺さんの老犬にくれてやるつもりらしい。抜け毛と言えども僕の一部を、おまえ、こら、不服だ。
「そんな目するなよ、だってお前はもう遊んだりしないじゃないか」
そういう問題じゃないんだと指先を甘噛みした。
「可愛くない猫!」
「でも美人だわ、美猫ね」
そうだろうそうだろうと鼻を鳴らす。
普通の猫だよ、無駄に賢いんだから調子に乗らせちゃダメだぞミシェーラ。そんなことないわ、瞳なんて特に綺麗。赤銅の瞳の猫ちゃんなんてそうそう見ないもの。
自分でもそう思うさ、猫の身としても容姿には恵まれてる。嗚呼だけど、瞳の色ならきっと君達二人の方が。


第六感、超感覚的知覚が猫にはあるとされるらしい。幽霊とかそういったものだ。
だが僕にはそんなもの今まで見たことも無かったし他の猫に聞いても皆も見たことなんてない、人間が勝手に考え出しただけさとせせら笑った。僕もその意見に同感だ。
だが、これは何だろう。肌がピリピリとして、瞳孔が開く。良くないものが来る。
随分と老いたが呆けじゃない。兄妹二人はまだ気付かずに収穫された麦を指差し話している。それは確かに近付いてくる。
耐え切れずにシャアアと声を荒げた。二人が振り向くと同時だった。

僕は輪から弾かれて、気がつけば蹲ってレオが泣いていた。ミシェーラはお兄ちゃん、とそればかり言葉を繰り返していた。
兄妹の美しい瞳は本来の色から遠のいていた。一つは暗い闇の色に。もう一つは人の域を超えたものに。意味がわからなかった。きっと二人もそうだ。
遠くで夫妻の悲鳴が聞こえる。ネズミ捕りなんてやらずにずっとずっと子守猫でもやってれば彼らを守れた?いいや、どうせ守れなかった。だって僕は猫だ。人じゃない。だから選択肢から外されたんだ。

異常な中で唯一落ち着いていたのはミシェーラだ。
彼女は昔からそう、強い子だった。日が登って目を覚ますと一番に彼女の様子を見に行った。今日も瞳は夜の色をしている。尻尾が下がるのが自分でも分かる。
彼女は耳の付け根を撫でて「私は大丈夫よ、猫ちゃんはお兄ちゃんについてあげて」と毎日僕に言い聞かせる。僕は一声鳴いて彼女の膝から飛び降りるとレオの元へ駆けた。
レオはずっと胃液を吐き通しで、真っ青な顔を舐めるくらいしかできることはなかった。あの日からまだ数日しか経ってない。それでも彼の口から吐き出される音は呻き声か妹への謝罪の言葉で見ているだけでも辛くなる。
目の周りが赤く腫れていた、所々火傷もしている。頰をザリザリと舐めても彼は泣き止まない。子守猫のブランクは長過ぎた。僕は途方に暮れた。
猫の身が恨めしく思う。人であったならばあの時奪わせなかった。奪われたとしても、人の手なら頭を撫でて、抱きしめて、大丈夫だと言い聞かせて、涙を拭えたのに。寿命だって、もっとずっと長く側に居られるはずなのに。
今目の前でえずく子供は掛け替えのない家族で、親であり子であり、兄であり弟であり、大事な半身だというのに。ああ本当に恨めしい。彼らを守るには猫では何もできない。


レオの目が落ち着いた頃に教会の人間がやって来た。
兄妹の身に起きた出来事を異端とするか、神聖とするか。夫妻はおろおろと戸惑うばかり。
無遠慮に男の手が瞼に伸びた。僕は飛びつき腕にかぶり付いたが一瞬で壁に叩きつけられてしまった。
顔に大きく傷がついた。あたりどころが悪かったのだろう。どくどくと血が流れる。
「やめてください!」
レオは驚いて大きな瞳を晒し出した。美しい青い燐光が薄暗い部屋には目立った。
美しさだけでは無い。人智を超えた瞳が全てを見通すことが出来ると知るや、教会の人間たちは大いに喜んでレオを連れて行くと言った。神の祝福だと誰かが呟く。レオは悔しそうに唇を噛み締めて居た。

祭り上げて、挙句に引き離す気か。

目の前が真っ赤になって、厳かな服の男達に襲い掛かった。間抜けな引っかき傷を顔につけてやった。そこまではハッキリ覚えてる。
あとは頭がガンと強く打たれて、目玉がぐるぐるになって、悲鳴と絶叫が入り乱れてプツンと切れた。

それでおしまい。


「なぁに!それほど悲観に暮れるでも無いさ!なにせお前は九つも魂があるんだろう!残りの八つのうちに悲願を叶えればいい!こちらもちょうど暇だったんだ。 上手いこと子供と噛み合うように調整してやろう。目玉?一度選ばれたんだ、適性はある。何度だって埋め込んでやろう。嫌だね、もう決めてしまったんだ。手続きもほらこの通り済んでいる。あの子供には悪いが繰り返すぞ!
毛を逆立てるんじゃ無い。特別にボーナスも付けてやる、猫は嫌なんだろう。さぁ行ってこい!調整はしてやると言ったが時間は不明瞭だ、すでに目玉は変わっているかものしれないしまだ間に合うかもしれない。死にかけ一歩手前かもしれんぞ?何?悪趣味だって?」

神々とはそういうものだよ。憐れな猫ちゃん。

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