アリババ←白龍/しょたおに/パロ

所有権

泣くな泣くなとあやしたのは、母でも兄でも姉でもなく。

どうした?と優しく頬に手を添えられれば堪えていたものが堰を切ったように流れ出た。元々泣き虫なのだ。
大丈夫、大丈夫と背中を軽く叩かれる。ぽんぽんぽん。
近頃はようやく泣き虫が鳴りを潜めていたというのに彼の前ではぶくぶくと浮き上がってくるのだから困ってしまう。あまりにも優しいから、どうしたって甘えてしまうのだ。
ぐずぐずと鼻をすする。彼は笑いながら目元を拭ってくれた。大丈夫か?こくりと頷くといい子と褒められた。
「毎日、がんばってるんです」
「うん」
「でも、なかなか兄上のようにはいかないのです」
「うん」
「兄上はそれでも良いと笑って居られましたがそういう訳にはいかないのです」
「うん」
「強くなって、兄上のお役に立ちたいのです」
「うん」
「ですが、ちっとも強くはならないのです。俺は駄目な弟なのでしょうか?」
「ううん」
白龍は強くて優しい子だよ、お兄さん達をそう思えるなら十分に。彼はふわりと笑って言ってくれた。俺はたまらなくそれが嬉しくて、この人の為にも強くなろうと思った。その事を言えば、嬉しいなぁとぎゅうぎゅうに抱きしめてくれるのがまた嬉しかった。
彼を母の代わりにしているのかと言われればそうではなく、では兄か姉か、とも言われてもそれのどちらとも違う感情を向けていた。ただ、その感情の名前をどう言えばいいものか。
難しいなと思う。うんんんん。奇怪な声を上げるとクスクスと彼に笑われた。恥ずかしくて彼の胸に顔をぐりぐりと埋めた。益々可笑しく感じたのか彼は笑いすぎて声まで出なくなっていた。彼の髪飾りが震える度にシャラシャラ音を立てた。

機嫌がいいのですね、白龍。

にこやかに姉上が笑った。何かいい事でもあったのですか?俺は言うか言わざるかぐるぐる迷いはしたが、彼のことを話した。どれほど彼と出会えて嬉しかったか、毎日が楽しかったか、自慢したくなったのだ。姉上は身振り手振りで興奮したように話す俺を嬉しそうに見ていた。
そんなにお世話になっている方ならば、何かお返しをしたらどうですか?
良い事を思いついたとばかりに姉上が言った。俺はその言葉が革命的に思えた。
確かにいつも与えてもらうばかりで、俺から彼に何かを与えるというのは全くなかったのだった。子供だから許されるであろうが、気付いたからにはそうは言ってられない。彼にもこの気持ちが伝われば、彼も俺の与えるもので嬉しく感じてもらえるならどれほど幸せだろうかと思った。
俺は早速と台所に走ったのだった。俺の得意なことといえば姉上の作る驚異的毒物を防ぐために磨いた料理の腕だった。だがピタリと動きが止まる。そう言えば彼の好き嫌いを知らなかったのだ。
困ったとばかりに固まる俺にあらあらと姉上は笑っていた。俺としては笑い事ではないのだ。もし彼の嫌いなものを作ってしまったらどうしよう。嫌われるかもしれない。口を聞いてくれなくなるかもしれない。いつの日か兄上が食べ物の恨みは恐ろしいと言っていた。恐ろしい。本当に恐ろしいことだと思う。
台所で固まり、泣きそうになる俺に甘いものならどうですかと姉上が提案した。お菓子が嫌いな人などこの世にいましょうか!
確かにお菓子なら誰もが喜ぶだろうと思った。俺も大好きだったし優しい彼に甘いお菓子はピッタリのように思えた。気を取り直して俺は砂糖の袋を掴んだのだった。

今日は泣いてないんだな。
偉い子、と俺の頭をひと撫でして彼が笑った。
笑う彼を見ながら俺はいつお菓子を渡そうかとタイミングを見計らっていたが、挙動不審な動きをする俺に彼が首をかしげた。その後ろに持ってる箱なんだ?丸見えだった。
「いつも優しくしていただいてるお礼です!」
ええい!と差し出せば、有り難く頂きますと彼が恭しく頭を下げた。何だかわざとらしい仕草に少しばかり不満を覚えたが箱を開けた彼の感嘆の声にまぁいいやと胸を張る。
薄桃色の花の形をした菓子を手に、綺麗すぎて食べるのが勿体ないなんて言う。折角作ったのだから食べて欲しいと言えば彼は白龍が作ったのか!?なんて驚いた。そうなんです。俺が作ったんです。えっへん。
物珍しげに菓子を眺めた彼はそれじゃあ頂きますと菓子を口に放り込む。美味しい自信はあったが、やはり口に合うかどうか緊張する。黙々と咀嚼する彼をじぃっと見つめながら呼吸を止める。
「これ、すごい、すごい美味い!」
頬を染めながら言う彼に俺はほっと息を吐いたのだった。良かった。
もう一つ菓子をつまんで食べる彼はすごいすごいと何度も褒めてくれた。餡と果物って合うんだなぁと関心したように彼が言った。桜を練り込んだ最中の中にに餡と野いちごを砂糖と一緒に煮詰めたものを入れたのだと説明すると彼は感心してしきりに美味い、すごい、白龍天才、と繰り返していた。嬉しさで身体が震えるなんて初めてだった。
それから時折、彼のところへ行く時は作った菓子を持っていくようになった。


その日もいつもと同じように菓子を持って彼の所へ駆けた。
自国の菓子は作り尽くした為、他国の菓子を作ることも多くなっていた。いろいろな国の数だけいろいろなお菓子があって、彼と国を巡りながらその地域の菓子を食べ歩く想像をした。きっとそれはとても楽しく素敵だろうと思った。
包みから菓子を取り出す。今日作った菓子は小麦粉と水を混ぜ合わせた生地を焼き、何枚も重ね合わせたものだった。ところどころに木の実を入れているので形が崩れないよう慎重に取り分けた。
どうぞ、と彼に渡せばいつもは美味しそうだのありがとうだの言ってくれるのに無言でじっと菓子を見つめていた。どうかしたのかと聞くと黙って首を横に振った。それならば大丈夫だろうと菓子にかぶりついた。サクサクとして美味しい。咀嚼しながら彼の方を見る。

息が止まるかと思った。

彼はぽたぽた泣きながら菓子を食べていた。
暫く凝視し固まっていたが我に返り慌てて彼に尋ねる。お口に合いませんでしたか?!大丈夫ですか?
返事は無かったが彼はまたも首を横に振りながら菓子を口に詰めた。無理をして食べてるのではなかろうかと狼狽する。しばらく後ようやく口を開いた彼に大丈夫だと言われた。
違うんだ、大丈夫。ありがとう。ちょっと思い出しただけだから。ありがとう。美味しかったよ、本当に美味しかったんだ。ありがとう。ごめんな白龍。
俺は彼の言葉の意味が良くわからず、鍛練の時間が来るまでずっと彼の背中を撫でていた。

「姉上、姉上、泣かせてしまったのに、ありがとうと感謝されることはあるのでしょうか?」
彼の言葉の意味が分からず、長々と考え込んではみたがやはり分からない事は分からないと年長者に助けを求めた。姉に事細かに説明すると、作った菓子の名前と彼の名前を教えて欲しいと言われた。俺は困った。彼の名前は知らなかったからだった。
名乗っては下さらなかったの?俺は頷きながら初めて彼と出会った日を思い出していた。
何をやっても上手く行かない日というものはやはりあって、俺は心身共にボロボロだったのだ。
けれども皆の前では泣くものかとギリギリのプライドは持っていた。つまりは隠れて大泣きしていたのだ。プライドとはいかに。
彼とはそんな時に出会った。
俺の本気を出した泣き声はたいそううるさいと兄弟中では有名だったためか、彼もその声に気づいたのだろう。椿の影から出て来た彼は俺の顔を見るなり駆け寄ってあやし始めたのだった。知らぬ大人にあやされるなど阿呆者かと言われそうだが、彼の声はひどく安心するものだったのだ。大丈夫、大丈夫。彼がそう言って揺らす。その度に彼の髪飾りも揺れた。自国では滅多に見ない金糸の髪に真っ赤な飾りはよく似合っていた。無意識に手を伸ばした。珍しいか?と彼が呟く。俺はこくりと頷いた。そっか、そうだよな。彼は少し、寂しそうに笑った。
「お姉さんは誰ですか?」
「おね…!?」
思った事を口に出せば彼は衝撃を受けたように硬直した。が、こんな格好じゃ仕方ないよなぁと諦めたようにため息をついたのだった。俺はな、お姉さんじゃなくてお兄さんだからな?その言葉に今度は俺が衝撃を受けた。
彼の服装といえば姉が小さい頃によく遊んでいた人形の華美な服によく似ていた。少なくとも男が着るようなものでは無かったのだ。固まる俺に違うぞ、決して俺にそんな趣味はないぞ。無いからな!?と涙目で彼が訴えた。とりあえず頷いておいた。
彼に抱きつきながら俺は本日の不幸な出来事をつらつらと話した。彼は黙って話を聞いてくれた。髪を撫でる指先が心地よかった。 なぁ、お前。お前じゃないです白龍です。そっか、じゃあ白龍。何ですか?辛くなったらこの時間にこの場所においで、毎日暇でしょうがないんだ。いくらでも傍に居てやるよ。俺は何度も頷いた。彼が笑った。髪飾りが揺れた。
「…お兄さんの名前は?」
彼の名前を、呼んでみたかった。けれど叶わないようだった。
それは秘密と口元に指先を当てた。彼の名前が分からなくても、毎日会えるのならそれでもいいやと思った。

白龍、その方とはもう会わない方が良いかもしれません。
姉が悲しそうに言った。俺は何故ですかと問うた。意味がわからない。やはり俺は彼を悲しませたのだろうか。
彼が名乗らず、その菓子に泣いた意味をよく考えなさい。貴方の作ったそれは、一体何処の国のものだったのか。よく、考えなさい。

俺は兄上のいる部屋に走った。
どうした白龍?と慌てて駆け込んだ俺に兄上は驚いていた。けれど返事は無しに棚の中の巻物を引っ張り出す。戦績を見れば一目瞭然だった。
最近のものから少しばかり上に文字をなぞればそれはあった。バルバッド、統治。責任者は練紅炎。
あの菓子の国と同じだった。俺はうめき声を上げながらうずくまった。兄上の心配した声に首を振った。
何て事だろう。何で気付かなかったのだろう。彼の髪も、瞳も、着飾られた姿も、どれをとってもこの国には異質のものだったではないか!まるで品物のような、ああそうだ、この国に献上された、捕虜では、ないか。
俺の存在そのものが彼を傷付けていたのでは無いかと思った。敵国の、母国を奪い人をモノとした相手に彼はずっと、ずっと…!
気が付けば手元にあった巻物はぐしゃぐしゃになっていた。俺の心そのものだと思った。彼の優しさに、抉られそうだった。

真っ赤に目を腫らした俺に相も変わらず彼は優しげに笑った。うさぎみたいになってるぞ、今日はどうしたんだ?
甘えそうになる気持ちをぐっと我慢する。下唇をキツく噛むと彼が困った顔をする。本当に今日はどうしたんだ?俺は声を出そうとして、うまくいかなくて、もう一度空気を吸い込み腹に力を入れた。きっと俺の言葉で全部壊れてしまうだろうと、それでも言わなければ。
「あなたの名前は、アリババですか?あなたは、捕虜なのですか?」
彼は大きく目を見開いて力なく笑った。否定の言葉は無かった。ガラガラと全部が全部崩れてしまった。菓子など、最初から作らなければよかったのだ。

アリババ、そこで何をしている。

俯いた俺とアリババ殿に後ろから声が掛けられた。アリババ殿がびくりと震えたのが分かった。声の主は俺に気付くと一礼した。 男の口元は早く来いと小さく動いていた。恐らくはアリババ殿に向けて発したのだろう。不安げに彼を見た。彼の苦しそうな顔を見たのは初めてだった。俺から離れ、伏す。今までの無礼の数々をお許し下さい。それでは失礼いたします。
そうしてアリババ殿はあの男について行った。
それから彼と会うことは無かった。あまりの呆気なさに声すら出なかった。

回廊に足音が二つ響いた。
目の前の男は不機嫌を隠さず足音は荒い。こういった時に自分とそう変わらぬ齢なのだと気づく。
「あの子供が何者なのか始めから分かっていたのだろう。隙を見て首でも刎ねるつもりだったか」
「あんたはいつも物騒だな。あの子とは話を、ただ話をしていただけだ」
「話ならば俺とすれば良いだろう」
「故郷を返して頂けるなら喜んで」
可愛げが無いと舌打ちされた。俺に可愛いらしさを求めてもしょうがないだろ。もう何歳だと思っていやがる。
とにかく白龍にはもう会うなとキツく命令された。どちらにしろあの子とはもう会えない。バレてしまったのだから、元王子でも今はただの捕虜だ。会える身分でもない。頭の飾りが嫌に重く感じて俯く。
最初はただ泣いてる子供が放っておけないだけだった。そのうち居場所になっていた。唯一気を張らずに話せる相手だった。明日からあの子は誰にすがって泣くのだろうか。無意識に言葉がこぼれた。二三、歩けば男の背中にぶつかった。俯きながら歩くもんじゃない。
「アリババ、お前は俺の物と分かっているのか」
「まぁ書類上の所有者はあんただからな」
「わざとか」
「わざとだ」
真っ直ぐに瞳を見る。瞳に俺の生意気そうな顔が映っていた。しばらくお互い睨みあっていたが紅炎が目を反らすの先だった。あまり心配させるな、俺とて権威には逆らえんのだ。俺は首を傾げた。紅炎は長々とため息をついた。嫌みか。
「何が言いたいんだよ」
「あの子供でも皇帝の血が流れていると言っているんだ」
「白龍は泣き虫ないい子だよ。優しい子だ」
「獅子にも化けると言ってる。お前を見るあの目を見たか」

愛執だ。

俺はまさかと笑った。そんな訳が無いだろう、気でも狂ったか炎帝。
ちゃかすように言うが、紅炎は眉間に皺を寄せただけだった。


権力とか、地位とか、名声とか、そういったものも時には必要なのだと兄上が言った。欲しいものがあるならばそうした力も必要なのだという。今までは兄上が父上の跡を継ぎ、俺はその手助けをするだけの事なのだから特に学ぶ必要も無いと興味は無かった。しかし俺は思うのだ、俺の地位というものはあの男よりも上なのではないだろうか。
兄上は、欲しい物をその力で手に入れた事がおありなのですか。もちろん。白龍、お前も欲しい物があるのか?
俺の瞳は爛々と輝いた。欲しい。たった一つ、欲しい物がある。それさえあれば後は何も要らない。
兄上がニヤリと笑った。白龍の誕辰まであと二月と十日だったか。可愛い弟の頼み、欲しい物はあるか?


朱に金。
飾り付けられた宮中はまさに豪華絢爛と言ったところだろうか。皇族の祝い事はいつもこうなのかと聞いた。
「ここまでやるのは皇帝直系の卑属だけだ」
区切りだとも言われる。血族だからこそ優劣はつけなければ争いの元になるからな。気怠げに男が言った。俺は小さく頷いた。普通はそうなのだ。俺の時はもう他にどうしようもなかったから、既に手遅れだったから。俺は首を振って書簡を広げた。過ぎた事はどうしようもないだろ。故郷の事だって、あの子の事だって。
「今回は誰の祝いなんだ?」
「何だ知らんのか。あの子供だ」
白龍が。へぇ、俺は文字を追うのをやめた。祝いの言葉くらい伝えられれば良いのにと思う。
祝いの席は明日だっけ。返事は帰ってこないけれど肯定と受け取る。俺からおめでとうって伝えてよ。また返事は返ってこないけれどこれは否定とみた。ここ最近紅炎の機嫌が悪い。仕方ない、茶でも淹れてやるかと立ち上がれば呼び止められた。
「明日、お前も来い」
「は?」
「上からの命令だ」
「そりゃまた何で」
あの子供以外に理由はあるか。 紅炎が後ろ髪を乱暴に掻くのは苛ついてる時の癖だった。白龍が俺を呼んでんの?聞いても舌打ちしか帰ってこなかった。まぁそれはいつものことだから良い。明日、あの子と会話をする機会があるならば謝りたいと思った。返事は要らないから。黙ってた事を謝りたいと思った。それとおめでとうと伝えよう、それだけ。


最初は重々しい雰囲気ではあったものの、ある程度の形式を過ぎれば宴は静粛から一転し、今では無礼講となっていた。
杯を交わす音、踊りに合わせた楽器の演奏と手拍子に耳を傾けながら酒を一口飲んだ。煌の酒は度が強いためちびちびと飲むに限る。バルバッドやシンドリアの酒は水っぽいので何杯でも飲めるが煌で同じ様に飲めばすぐに倒れてしまうだろう。
酔いつぶれている者や笑い転げている者を見ては懐かしいと心が和む。煌は多少固すぎるところがあると前々から思っていた。和やかな雰囲気にシンドリアに留学した時もこんなんだったよと紅炎に言えば知るかと言われた。
「皆このくらいにこにこしてた方がいいよ、楽しいし」
「くだらん」
「じゃあ俺はくだらないくらいが好きだ」
にやりと笑うと太ももをつままれた。痛いよ何すんだよほんっっと最近機嫌悪いからって俺に当たんなよ。涙目で睨むとがしりと頭を掴まれた。まだ首根っこを掴まれる方がマシだ。顔を寄せられる。
「すまないな」
「え、」
パッと突き放すように解放された。
意味が分からないまま惚けていたら阿呆面だと笑われた。うるせぇヒゲ面。
「阿呆じゃねぇってか何、さっきの」
「俺は一度しか言わん。理解出来んのなら諦めろ」
「いや、理解も何も謝られるギリがないだろ。何に対しての謝罪だよ」
返答は無いけれどもの言いたげな視線だけを送られる。
本当なんなんだよ。さっきの謝罪はあんたの不機嫌と関係があんの?はいかいいえか返事くらいしろよ怖いだろ。紅炎は視線を俺から酒瓶に変えたようだった。やはり、何かおかしい。
俺は更に紅炎に言い募ろうとしたが女官にそれを止められた。お呼びですよ。男は酒瓶から下に視線を下げ、何かしら呟いた後に俺へと視線を戻した。どこか気弱に思える瞳は彼らしく無いと思った。行って来い。いつもの覇気のある声ではなかった。

もの言わぬ女官の後を付いて行く。賑やかな音が遠のくのが寂しく感じた。
相も変わらず豪華な建物だが人が誰も居ないのに疑問に思ったしこんな所は知らない。頭の中で見取り図を思い浮かべたがやはりこんな場所は記憶になく最近建てられでもしたのだろうと思った。
こちらになります。扉の前で頭を下げられ、一体何の部屋か聞く前にさっさと行ってしまった。
ノックをしても返事が無かったので仕方なしに開ける。
「お久しぶりですアリババ殿」
固まったままの彼ににこりと笑った。
中途半端に開けられたままの扉を閉じて未だ意識が飛んでしまっているような彼の手を引いた。

驚きましたか?今日は俺の誕生日だったんですよ!だから兄上にお願いしたんです。取り寄せたカウチに彼を座らせると机の菓子を数個取って自分も隣に座った。菓子はいつの日か彼を泣かせたものだった。部屋の物は全部、全部彼の国の物を取り寄せて作らせた。かつての彼の部屋を模倣したのだ。それを喜ぶか傷つくかは分からないけれど、俺は満足していた。彼の意識が戻るまで足をぶらぶらとさせながら菓子を齧る。ぼろぼろと服の上にこぼれたがこの部屋なら誰も咎めやしないだろう。こぼれた菓子は上着ごと剥いで床に捨てた。脱皮みたいだ。この日の為にと何枚も重ねられた重たい服は着疲れる。はく、りゅう?意識が戻って来た様だ。はい俺ですと彼に抱きついた。彼のにおいがして空気を吸い込んだ。揺れる金の瞳は何と声をかければいいのか迷っているようだった。

「白龍は、俺の事怒ってないのか?」
「何でですか?」
「だってずっと黙ってたから、ごめん。本当にごめんな」
まさか彼がそんな事を考えていたとは露程にも思っていなかった俺は首をぶんぶん振って否定する。むしろ俺の方が彼を傷つけていたのではないかと聞いた。ずっと気になってたのだ。
傷つくわけないだろ、そんなんだったら俺から近づいてないって。でも俺は敵国の。それとこれは別。だって白龍は何も悪く無いし、戦争ってそういうもんだろ。むしろ死刑免れてるだけ幸福だって思わないと。落ち込むなって、どっちにしろ内政が腐ってたんだから時間の問題だったんだよ。それよりもこの部屋すごいな、故郷に居た時とまんま同じだ。
「嬉しいですか?」
「うん。懐かしくて嬉しいよ」
「俺が考えたんですよ!同じにしてくださいって」
えらいえらいと頭を撫でられる。ふと思い出したように俺を抱きしめて誕生部おめでとうと祝ってくれた。覚えてくれたのかと嬉しいばかりだ。大好きですと抱きつき返せば俺も好きだぞと彼も返してくれた。同じ好きですか?同じ同じ!なら何も問題はないだろう。良かった。
「でもごめんな、俺じゃ何もあげれねーし」
「祝って頂けるだけでも!それにプレゼントはもう頂いてるからいいんです!」
「そうなのか?」
「はい!ただ俺の努力次第だと言われたのであれから大変でした」
げっそりとした顔に苦笑しながら髪を撫でた。
気が抜けて眠いのだろうか、あくびをする白龍に子供が起きているには遅い時間だという事にも気づく。
まどろむ彼にそれじゃあそろそろ俺は戻るよと声をかけて寝かしつけようとすると不思議そうに子供は首を傾げた。
「アリババ殿はこれからずっとここで暮らすんですよ?」
目元をこすりながら白龍は俺の袖を引いた。
言ったじゃないですか。プレゼントはもう貰ったって、アリババ殿も俺が好きなんですよね。だからもう俺のなんですよ?
「白龍、待って、ストップ、どういう事だ」
「だから、アリババ殿はここで俺と暮らすんです。所有権はあの男から俺に移りましたから何も心配しなくていいんですよ!」
「そんなの紅炎から聞いてないし、ずっとって」
「伝えられなかったんですか?でももう俺のですし、ずっとはずっとですよ。アリババ度が死ぬまでずっとです」
にこにこと笑う目の前の子供が怖いなんておかしいだろ。
深呼吸をして気を落ち着かせようとした。白龍は泣き虫な可愛い子供、怖いなんて無い。あの日冗談だと笑い飛ばした紅炎の言葉が頭をよぎった。馬鹿言え、こんな小さな子供にそれはないだろ。
「白龍」
「何ですか?」
「今までのままじゃ駄目なのか?また椿の庭で会うっていうのは」
「駄目です」
「何で駄目なんだ」
「それは俺がアリババ度の事が好きだからです」
「俺も白龍の事が好きだよ」
「ありがとうございます。ならここにずっと居ても問題ないはずですよね」
こてんと首かしげる様は愛らしい子供のそれで、だから俺は益々頭がこんがらがる。
いや、だから今までの通りでいいだろう。確かにこの部屋は懐かしくて居心地はいいものだけどずっと死ぬまでなんてのは嫌だ。それじゃあ飼い殺しだ。あの男の隣で雑用をしている方がまだ生きている自覚を持てる。ぐしゃりと前髪をかき混ぜると白龍が心配そうな目で俺を覗き込む。アリババ殿は俺が嫌いですか?嫌いじゃないよ、好きだよ。ならずっとここで。でもそれは、いや待て何でそうなるんだ?この部屋で生きる理由が無いだろ、処理が追いつかない頭が痛い。白龍ごめん、ちょっと待ってて何かがおかしいんだ、紅炎と話をしてくるから。駄目です。本当に少し話をして来るだけだから。駄目です。あの男のところに行くなんて駄目です。許可しません。俺はあなたの所有者ですよ。許しません。
声は幼いくせにどこか威圧感のある命令に俯いたまま言葉を吐いた。
「俺は白龍が好きだよ」
「俺もです」
嬉しそうな弾んだ声に頷けと願った。
「俺は、白龍の事を兄弟とか友達みたいに思ってる。そういう、好きだよ」
「・・・・」
「白龍も、そうだよな?」
頷け。お願いだから頷け。そうじゃないと今までみたいにもう抱きしめてあげられない。子供の癖して怖いなんて思わせるなよ。頼むから、お願いだから。

「俺は、」

俺はアリババ殿が大好きです。

俺は明いっぱいの明るい声で言った。子供らしい無邪気な声で。アリババ殿のさっきの言葉は少し悲しかったけれど、今更引き返すつもりはないし、そのためにあの時から頑張って彼の所有権を有したのだから。
俯いていたアリババ殿が顔を上げた。ほっとしたような表情だった。

「俺はアリババ殿が大好きで愛しています。誰にも渡しません」

彼の瞳が濁った気がした。
何かを踏み違えたのかもしれないけれど、彼がずっと一生傍に居るならば些細な事なんだと思う。
明日からが楽しみだなぁと俺は微笑んだ。

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