死ネタ/しょたおに/現パロ

探し人

考えてみれば息子の奇行は赤ちゃんの頃からだったと思う。誰かを探すようにあっちへハイハイこっちへハイハイしては追いかけて捕まえるのが大変だった。
言葉を話せる様になると「れお、れお」と我が家には居ない人物の名前を呼んでいた。それが幼児期まで続いて、学校に行く様になる頃には「レオ」の名前も呼ばなくなった。でも外に出ればキョロキョロと目が探していた。

夫からの電話はゼミの子を夕食に招いても良いかとの事だった。息子に大丈夫?と聞けば「あー」とか「んー」とか気の無い返事が返ってくる。人嫌いでは無いのだけれど、この年で他人への関心が余りにも薄い。
将来のことを考えると不安にもなる。親としては興味とか、好奇心とかをもっと持っていて欲しいし友達の一人でも連れて来てくれたら安心出来るのにと思いながら夕食の支度を始めた。きっと今夜も息子だけがだんまりとした会食になるのだろう。
せめてもう少し子供らしくしてくれればねぇなどと苦笑する。
その時の自分はそうした予想が裏切られるなどと露ほど思っていなかった。

夫が招いたゼミ生の子は今時には珍しいくらいに真っ直ぐな良い子で、お土産に花束と焼き菓子を持って来てくれた。
おまけに座っているだけじゃ落ち着かないので何か手伝うことは無いですかですって!電話から早々に自室へ切り上げた息子に聞かせてあげたいことこの上ないったらもう。
簡単なサラダ作りを手伝って貰いながら楽しくお喋りに花を咲かせた。
そうそう、うちの子凄くシャイなのよ。だから素っ気ない相槌ばかりでも許してあげてね。あはは、仕方ないですよ。子供から見た大人の会話って何言ってるか分からないもんですし。それに丁度反抗期でしょう?成長待つのみですって!時間が何とかしてくれますよ!そうねぇ、そうだと良いけどねぇ。あなた、仕事はそこまでにしてスティーブンを呼んで来て下さいな。本当、お客様が来るとすーぐ自室に逃げ込むんだから。

渋々息子を呼びに行った夫を見送って二人で料理を並べる。ローストビーフは息子の好物だ。頂いた花も中央に飾れば素敵なディナーテーブルの完成。
タイミング良く息子も顔を覗かせて後は家族とゲストの楽しい夕食だと笑顔になり……そのまま硬直した。

息子よ息子。何故お客様にタックルをかますのか。

タックルじゃ無い?抱擁?そんな過激な抱擁ママ見たことないわ。
「レオ!レオ!レオッ!」
目の前に広がる光景は興奮した様に叫び出す息子と押し倒されて目を回しているウォッチ君。
夫が引き剥がそうとするも剥がれない。何だこの馬鹿力、スティーブンお前フットボールチームにでも入るか?と呑気な事を言う夫を引っ叩く。あいたたたじゃないでしょうに。
「スティーブン!こら!何をやってるの!お客様に失礼でしょう!?」
一喝するとハッと我に返った息子は漸く彼から離れ…ない!益々しがみ付くのね!?どうしちゃったの!?ここ数年で一番落ち着きがないわよ!?

フルパワーのダイソン並みにウォッチ君に吸着していた息子も、「せっかくの料理が冷めちゃうよ」とウォッチ君が往なすと渋々剥がれた。でも近い。問答無用で彼の隣の席を陣取った息子はそれはもう肩と肩がぶつかる近さで座っている。むしろ食い込んでる。それなりに長いテーブルの端に追い込まれているウォッチ君は顔が引きつっている。
本当に申し訳ないと思う。夫は研究内容をつらつら楽しそうに一方的に話している。これはいつもと同じ。
息子も一方的にウォッチ君へ質問を浴びせている。
何処住み?電話番号教えて?恋人はいる?これは異常事態。
混沌と狂気が入り混じったディナーが終わる頃にはウォッチ君はげっそりしていた。学生寮まで送ってあげなさいと禁酒中の夫に頼むと「コーヒーの後でね」とのんびり返された。だからコーヒータイムの間に犯行が行われたのだと予想している。
犯行、そう犯行よ。いくら帰って欲しくないからといってタイヤをパンクさせるなんて!
困った顔の夫と絶望した顔のウォッチ君。笑顔の息子。犯人は一人しかいない。

「もう夜も遅いし泊まっていけば良いじゃん。レオには僕の部屋貸してあげるよ」
「ウォッチ君、鍵付きのゲストルームがあるわ」
ありがとうございますぅ〜!と小さな鍵を握り締めさめざめと泣く彼の姿に罪悪感が重くのし掛かる。舌打ちをする息子にはウォッチ君への接近禁止令を言い渡した。5秒と掛からずに破ったので夫に羽交い締めしてもらった。
彼がシャワーを浴びている間は夫婦二人掛かりで抑え込んだ。確かにフットボールチームに入るのをお勧めしたくなる馬鹿力だったわ。
ウォッチ君の部屋に厳重に鍵が掛かっている事を確認して、夫には息子の部屋で寝て貰う(または息子を拘束する)事で安全を確認し私はベッドに身を沈めた。とんでもない1日だった。

翌朝はウォッチ君の悲鳴で目が覚めた。
夫の腕から抜け出すのはまだしもどうやって鍵の掛かった密室に入り込んだのか、私には解けそうもなかったけど夫が感心した様に見事なピッキングだと言っていたので謎はすぐ解けた。
息子を隔離し、恐慌状態のウォッチ君を宥めてタクシーを呼んだ。
出来るだけ遠回りで…複雑な道を…はい、はい。お願いします。GPSすら付けられている可能性があると踏んで夫の服に着替えさせたのは正解だったみたい。
案の定彼の服を洗濯したら小さな機械が襟の所に付いていた。我が息子ながらゾッとする。

息子と言えばあの日からしつこく「またレオを呼んでよ」と夫に言い募っている。夫は「ママに聞いてみないと…」と横投げする。勿論毅然とした態度で駄目だと言った。完全に無理だと分かると別のアプローチで攻める事にしたらしい。
通知を受け取った瞬間ウォッチ君に降り掛かるであろう災難に十字を切った。そしてその時になってようやくウォッチ君、レオナルド・ウォッチが息子の探していた「レオ」だと思い至ったのである。


先生の家の夕食に招かれただけなのにえらい目にあった。
一種の恐怖、そう正しくアレは恐怖であった。精神磨耗し草臥れているレオナルドを尻目に、早う餌を出せと猫パンチを繰り出す飼い猫の腹は膨らんでいる。
昨夜レオナルドは帰れなかった為餌を用意出来なかった。しかし彼は寮の皆から何かとおやつを貰うので問題ないのは知っている。飼い猫と言えども半野良だしね。お陰様で彼が来てからこの寮にネズミが出た事は無い。
「はいはい、すぐご飯あげますから。痛っ!ザップさん!爪出てる爪!」
ガツガツと餌を貪る飼い猫を眺めながらため息をついた。
スターフェイズ先生の息子さん。確か名前はスティーブン君。一体レオナルドの何が彼の琴線に触れたのか。子供に懐かれるのは嬉しいし子供好きが高じてナニーのバイト経験だってある。
でもあれは異常だ。会話だって子供の言っていい内容じゃなかった気もする。懐くとかいう次元ではなかった。あの恐怖はストーカーのそれに近い。猫に付きまとわれるのだって度が過ぎたレベルになると恐怖を覚えるのだ。
路地裏で目が合ったかと思えば何処までも付いて来て、ペット禁止だからごめんなーと外に出しても窓から侵入。これはいかんと家中を戸締りしたってぬるりと入り込み、暗闇の中二つの瞳を爛々と輝かせた。半年前にレオナルドを恐怖に追い込んだ犯人は空になった皿をべしべし叩いている。
「駄目ですー。寮母さんからササミ貰ったの知ってんすよ」
「ん”に”ゃ”ああぁ」
「ザップさんまたデブりたいんすか。柵に登れなくて困ったのもう忘れちゃったんですか?」
「な”ぁ”お”お”お”ぉ”」
全然可愛く無い鳴き声を無視して立ち上がる。兎にも角にも小さな恐怖の嵐は過ぎ去ったのだ。


「それでね、明日から息子もここで学ぶ事になったから。会ったらよろしくしてやってくれ」
「あはは僕で良ければいくらでも。にしても驚きましたよ。もう一人息子さんがいらっしゃったんですね」
「何を言ってるんだい。息子はスティーブン一人だけだよ。」
「は」
何ですと!
「飛び級したんだよ。僕のゼミにも興味があるらしくてね、息子と一緒に研究出来るなんて夢にも思わなかったな。いやぁ実に楽しみだ」
まさかまさかまさか!そんな!だって!息子さんまだジュニアハイだったでしょ!?

レオナルドは立ったままコトリと気絶した。



前兆や前触れなどは何も無かった。
相変わらず奇天烈で厄介で馬鹿らしい堕落王のゲームをクリアし、打ち上げは店よりも事務所で飲もうという事になった。公平なるくじ引きで少年とワインを大量に買いに行った。店を出てさほど歩かないうちに街が崩れた。
文字通り、崩れた。
ビルも地面も空間も何もかもがだ。捻れて潰れて切って腐敗し砕けてひしゃげて縮んで肥大して伸ばして千切られた。癇癪を起こした子供が砂の城を崩すように一瞬で。
黒煙で前も後ろも分からない中僕は少年の手を決して離すまいと必死だった。血で塗るつく手を必死に繋いでいた。左足が潰れようが骨が砕けようが離してなるものかと繋いでいた。だが繋がれた手はするりと抜けた。
叫んで彼の安否を確認しようとした。返事があった。しかし弱々しい声は徐々に途切れた。
視界が明瞭になった頃には魑魅魍魎渦巻く摩天楼はただの瓦礫の山だった。瓦礫の隙間から周りを照らし出す明るい青を見つけた。名前を叫んで足を引きずりながら青に向かった。コンクリートの塊を掘り返し掻き分ける。
見つけたのは彼では無かった。ただの神様の目玉だけだった。
その後の記憶は覚えていない。均衡は崩れてしまった。後悔は数え切れない。
後悔、嗚呼後悔だ。伝える事も救う事も何も出来なかった。せめてあの時に繋いだ手を離さなければ。手だけじゃ足りない。抱き締めて離さなければ、そうしていれば良かったんだ。離さない。離してはいけない。そうすべきだったそうなんだ離してはいけない繋いで抱きしめてずっと傍に置くべきなんだよそうすればああちくしょうそうすれば。

もし次があるならば僕は。

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