モブレオ←スティーブン

新しい恋人が出来たと少年から知らされて、スティーブンは早速行動に移した。

 前回の恋人は警察の人間で少々手こずったが今回は楽そうだ。何せライブラに所属している末端の末端。切ってもそう手痛くは無い人物だった。いくらでも替えの効く人間、僥倖だ。
 程々に危険であって、それでいて彼が参加しても違和感の無い作戦をいくつか見繕う。平均的な末端構成員の死亡率は50%。組織としても半数は消える事を前提として組み込んでいる。運がいい奴はどんなに危険な作戦に何度駆り出されても戻って来るが、彼はどうだろうか。
 早ければ来月、それを乗り越えれば三ヶ月後、半年、一年。それでも生き残るなら確実に始末するしかないが、あの子にバレた時が恐ろしい。出来る事なら作戦中に流れ弾なり爆弾なりでサクッと死んで貰いたいなと書類を眺めた。

「今からスティーブンさんの家に行っていいですか」
 少年が嗚咽まじりに電話をしてきたのは半年後のことだった。
 出来るだけ優しく言葉を掛けて電話を切る。長話のBGMになりそうな映画を二、三本、あえて恋愛映画を一本は入れる。それからつまみになる簡単な料理と上質のワインを鼻歌交じりに揃えた。
 少年を迎え入れる準備はいつだって心が弾む。彼にとっての悲しみの酒は僕とっては喜びの祝杯だ。憎い奴がくたばって好きな子が家に来るのを喜ぶなというのが無理な話。最低な男だと罵りたければそうすれば良い、狂おしい程の恋に身をやつした事がないのならいっそ幸福だろう。当事者にしか感じ得ない感情だ。



 そもそも事の始まりは路地裏で泣いている彼を偶然見かけて保護した事から。
 薬中の異界人グループによる無差別爆破テロが起きていたのは把握していたが、死傷者は少なく爆破の範囲も小規模なものでライブラが顔を出す程の事件では無かった。警察で捕まえられるだろうと予想した通り、昨日の新聞には犯行グループ逮捕の記事が新聞の片隅に載っていたのを覚えている。
 その程度の小さな事件。その小さな事件の被害者の中に彼の恋人が含まれていたらしい。
 僕はまず少年に恋人がいた事自体に驚いた。事務所では一切そうした話を聞いた事が無かったからだ。彼自身からそういった雰囲気を感じ取る事も無かった。報告義務があるわけでは無いが、自分でも不思議とショックを受けていて「そうか」としか言えなかったのを覚えている。
 目元を真っ赤に腫らし、やつれている少年は愛する者を失った人間そのものだった。

「最初は、電話しても全然出なくて、そんな奴じゃ無いのに可笑しいなって」
「うん」
「それであの人の家に行ったら…黒焦げで…でも出掛けてるだけなのかもしれない大丈夫かもしれないって、そう思って」
「ああ」
「たくさん探し回ったんです。いつも一緒に行くダイナーとか、公園とか、勤務先まで全部見て回って、そんなはずないって大丈夫だって…なのに名前が、あの人の名前が新聞に、だから、俺、間違いかもしれないから安置所に、赤の他人だろうって、きっと名前を書き間違えたんだって、だってそうじゃないと…」
 たどたどしく話す彼は痛ましく哀れで、自然と寄り添うように肩に腕をまわした。

「辛かったな」
 ポツリ呟くと彼は声を押し込むように啜り泣き始めた。震える小さい手がぎゅうとシャツを掴む。
 そのまま無言で頭を撫でた。いつもの彼なら「やめて下さいよ」と笑いながら少し距離を取るだろうに、その時は大人しく受け入れていた。それだけ傷付き追い込まれているのだろう。さして親しくない上司に縋るほどに。

 ぼんやりとした彼に対して甲斐甲斐しく面倒を見たのは弱った子供を守らねばと思う大人の本能だったのかもしれない。大抵の場合彼は存分に泣いて喚いて、そしてさっぱりと立ち直る。それが僕の知るレオナルド・ウォッチという奴だった。なのに、あんな押し殺すように泣くだなんて。正直見ていられなかった。弱り切った姿を見てしまったのが自分だった罪悪感もある。
 あの時少年を見つけたのが僕以外の人間だったならば、もっと優しく彼が安心する言葉を掛けれただろうか。情もなく、上辺だけの拗れた恋愛を繰り返した僕では当たり障りのない言葉しか掛けてやることが出来ない。
 それでも傷付き憔悴し切った彼には適当な、使い古された言葉でも癒しになったのかもしれない。滲んだ涙を拭っていた手は僕の裾を掴んだ。
「一緒に寝ても良いですか」
「いいよ」
 日頃から目を掛けている素直で真っ直ぐな子供。泣いて縋る彼を拒絶する理由なんてあるだろうか、僕には無理だ。親が子を抱きしめるようにして眠りに着いた。子守唄も、とんとんと優しく背を叩く事もしなかった。それでも子供は直ぐに眠りに着くとやがて寝息だけが聞こえて来た。
 その日の出来事は僕達しか知らない。捉えて皆に言う必要も無いし、易々と口外出来る事でもなかろう。現に少年は事務所で顔を合わせても今までと変りない。ただほんの少し、事務所で二人きりの時に目が合えばふわりと微笑みコーヒーを淹れて来てくれる。そのくらいだ。

「新しい恋人が出来たんです」
 はにかむ様に笑う彼はたまたま二人乗り合わせたエレベーターの中でそう言った。
 一瞬言葉に詰まり、扉が開く前に「それは良かったな」と短い返事しか出来なかった。
 恋多き事は良いじゃないか、若いなら尚更。新しい恋は悲しみを覆い隠し、悲しい記憶は優しい思い出に塗り変わる。喜ぶべきだろう、あの様子じゃ報告されたのは僕だけだ。あの一夜があったからこそ僕だけに新しい恋の始まりを伝えたのだ、喜んで欲しいから。一緒に祝って欲しいから。
 だってのに喉は乾いて胸には重苦しく靄がかかる。喉につっかえて、心臓がゆっくり絞られる心地だった。この感覚は知っている、不安、不快、不満。
 そうなる理由は一つだけ。

 混乱して取り乱し、呼吸もままならない彼を抱きしめた。瓦礫の下から覗く赤い腕は彼の恋人だったものだ。
 この街で偶然の不幸を引き当てる確率はそう低くは無い。外の世界と比較するならば飛び抜けて高い。事件や事故での死者が三桁を下回る日は無いし、ただの人間ならば一段と死にやすい場所だ。不運だな、と瓦礫の下で潰れているであろう死体に目を向ける。周りは血の海だ。
 騒ぎに紛れるようにして無理やり少年を現場から引き離した。
「は、離して下さい!離せ!離せよ!!」暴れる彼を取り押さえるのは赤子の手を捻るように容易だった。
「駄目だ。君には悪いが遺体の収容なんて見ない方がいい、あれじゃあ瓦礫を取り除いても人の形は成していない。一生記憶に残るぞ」
 一生彼の心に刻まれるなんて羨ましい真似はさせない。喜劇だろうと悲劇だろうと駄目だ、許容出来ない。
「それでも!」
「それでもだ!情があるなら尚更綺麗な記憶のままで残してやれ」
 そうして時間と共に記憶から消しさればいい。

 ずるずると力無く崩れ落ちて泣く彼を慰める。
 力強く胸に抱き寄せ何度も頭を撫でる。痛ましく弱々しい彼に同情してでは無かった。その時にはもう分かっていた。単純な話だ。下心。
 僕は彼の二番目の恋人が死に絶えたのがよほど嬉しかったらしい。「少年…レオ、今の君を一人には出来ない。いくらでも泣いても喚いてもいいから僕の家に来なさい。大丈夫、他の誰にも君の傷には触れさせやしないから」
 返事なんて聞いちゃいなかった。彼が頷こうと首を横に振ろうと連れ帰ると決めていた。だって僕が彼に頼られ側に留め置くにはこれしか無いんだ。これしか。

 少年の小さな頭を胸に押し付け額に口付けを落とす。
 堪え切れなかった薄笑いは彼に見えちゃいない。



 少年が懲りずに恋人を作る度に何度も何度も死んで貰った。
 HLと言えども死なない奴は死なない。しぶとい奴の死を偶然だけに頼るのは余りにも心許ない。だから違和感の無い仕掛けをほんの少し、大抵はそれで上手く行くし不審に思う人間は居ないだろう。何でも起こる街だからこそ使える手だ。単純に「運が悪かった」それだけで片付く何とも便利な言葉。

   少年にとって僕は唯一の理解者で頼れる人間。
 恋人が死んだ時、いの一番に足を運ぶ先は僕の家。今となっては当たり前になってしまった。もはやルーティンに等しい。泣いて喚いて死んだ恋人の話をする。僕は友人の顔をして黙って彼に寄り添う。一通り話を聞き、冷たく震える柔らかな手を大丈夫だとでも言うように強く握り締める。髪がくしゃくしゃになるまで頭を撫でて、頬に伝う涙を拭い、そうして「辛かったね」と抱きしめて額に何度も口付ける。
 慰めの触れ合いが少しずつ増えて行っている事に彼は気付いていない。間抜けで馬鹿なお人好しの子供。彼は安心しきって僕に身を任せ、僕の出す特別な料理を食べて、当然のように抱きしめられて眠る。家族と同列として見ていると言うなら今はそれでも良い。どうせ僕無しではいられなくなった時には手遅れだろう。傷が深い時にこそ受けた優しさは一層甘く染み込み依存する。
 安心を恋心にすり替えるのはさほど難しくは無い。おままごとじみた慰めに終止符を打つ日はそう遠く無いだろう。
 泣いて悲しみに暮れる彼を抱き寄せる。

「僕にすれば良い」
 陳腐で使い古された言葉をいつ言おうか、楽しみでならないんだ。  

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