ホラー

蝸牛

 

 面倒なことになった。
きゃあきゃあと足にまとわりついてくる子供を一瞥し、スティーブンはため息をこぼした。

 非常に珍しい事に今回の作戦では血界の眷属相手だというのに死者は無し。耄碌した眷属は震える子供を抱え、ろくに反撃すらしてこなかった。「十数年に一人か二人、ほとんど中身が無い奴が居るのさ」とは部隊長の言だ。
 そしてここに来て問題が発生した。眷属が連れていた子供に怪我はなかったが、児童曰く庭で遊んでいたらあのお姉さんに連れ攫われたと。話を聞けば聞くほど嫌な予感が重なる。豊かな森林も雪山もこの辺には無い。そもそもここは乾燥地帯だ。
「別の州から誘拐されたんじゃないのか。血脈門を使えばあいつらに距離なんか関係ないだろ」
皆が皆、天を仰いだ。迷子の家を探す訓練なんて全員受けちゃいない。

「で、あの子供の失踪届は出てたんですか?」
「該当する様なものは見た限り無かったよ。第一日に何千と届出が出てるんだ。レオナルドなんてありふれた名前だけじゃあな。せめてファミリーネームが分かればなぁ」
「5歳児のレパートリーじゃママ、パパ、ボクが限界さ。失踪届の中から俺らが見つけるのが早いか、術師が派遣されるのが早いか…」
 隊員たちの話を聞くに部隊で一時保護するのは確定みたいだ。
子供は部屋の角で膝を抱えている。カルロはチョコバーを餌付けしに行ってまた失敗したようだ。子供好きな様だが生憎恰幅が良すぎて怯えられている。
 滞在期間の予備日は十分にあるが本来ならば夕方のフライトで帰り、日数の増えた休日を満喫出来たはずだった。それが今やガキひとりが原因で食わずに済む不味いレーションを胃に収める始末。
「記憶を消して適当に外へ放り出したらどうだ?そしたら全部解決だ。確かトマスは忘却術が使えただろ」
言うだけ言ってみれば「お前は心まで氷で出来てるのか」だの「うわ出たよスターフェイズ家の悪癖」だの「これだから最近の若造は…」だの「我が一族の魔術は悪事のために行使してはならない」だのと一斉に野次が飛んだ。その癖いざ誰が子供の面倒をみるかの話になった途端半数以上が僕を指差した。馬鹿じゃないのか?

「そこで必死に挙手してるカルロに任せればいいだろ!?自発性を重んじたらどうだ!」
「いやいや、この中で一番年が近いのはお前だ。おチビちゃんだっておっさんよりお兄さんのがいいって」
「スターフェイズ、何事も経験ってやつだ」
「面倒ごとを引き受けるのは若造の役目ってもんよ」
言いたい放題だ。可愛がるだけ可愛がって世話は他人に任せる気か。
 反論しようとするとトマスが小声で耳打ちした。
「カルロは”ブギーマン”なのさ」
つまり子供嫌いの僕が一番適任なのだと。
 言葉を飲み込んで、指名した奴らを睨みつけるに留める。
ほーらこのガン付けた柄の悪いお兄さんが面倒見てくれるよ〜と僕の横に引きずり出された子供は完全に固まっている。本当に馬鹿じゃないのか。舌打ちするとビクッと震えたのが分かった。
「舌打ちするし生意気だし優しくないけどこの兄ちゃんは凄いぞー。氷の魔法が使えるんだぞー」
「おい」
「事実は事実だろ。あれ見せてやれよ。エスメラルダ式一発芸」
「血凍道に置ける精密技巧の結晶に薄ら寒くなる名前を付けるな」
「まぁまぁ、おチビちゃんも魔法見て見たいよなぁ」
「・・・・」

きょとんと見上げる子供に一度しかやらないからなと足元を指差す。疑問符を浮かべながらも頷いたのを確認して神経を集中させた。
確かに余興にしか使えない技ではあるが、訓練としてはこれ以上にないものだった。氷の密度、造形を細部までコントロールするのは敵を凍らせるより難易度は遥かに高い。これが出来て初めて一人前になるのだと師は言った。
 靴底から薄い氷の膜が地面を伝い、パキパキと小さな音をたて四方から上へ伸びる。そのうちに四つの薄い氷の膜は獣の脚や胴を形作り…ここからがさらに集中を要する。長い尾、頭部、細くピンと伸びた髭は氷彫刻を得意とする職人でも匙を投げるだろう。おまけにこれは空洞だ。
最後に細かい調整を加えればそれは完成した。

「おっきい猫ちゃん!」
「雪豹だ」
 間髪入れずに訂正したが子供は興奮して聞いちゃいない。糸目にしかならないと思っていたが、瞼を開けばくりくりと大きな目をしていた。やたら輝いている様にも見えるのは氷像のおかげか。
 すごいすごいとはしゃぐ子供が足元に纏わりつく。恐竜も作って!と跳ねるガキの頭を抑えて一度しかやらないと言っただろうと低い声で威圧するが効果はない。さっきまで怯えていた癖に。頭の構造が単純過ぎる。
「良かったなぁすっかり懐かれてるじゃないか。これなら安心してお前に任せられるよ」
ああ本当に。良かった良かった。子供同士が一番だ。含み笑いを噛み殺し切れていないのが一等腹立たしい。

 どこへ行くにも何をするにも子供はちょこまかと付いてくる。鬱陶しくなり身を隠せば盛大に泣かれ、いじめてやるなと部隊長から子供の前に摘み出されればひしと足にしがみつかれた。子供の涙と鼻水で湿ってきたスラックスにうんざりする。いい加減に泣き止めと抱え上げると今度はしかと首に巻き付く。部隊は慈愛の視線を向けてくるし最悪だ。もうどうにでもなれと子供の背中を軽く叩いた。

 わぁきゃあと遊びに興じる子供を時折眺めながら画面に向き直る。
「見つかったか?」
「駄目だな、さっぱりだ。諦めて術師が来るのを待とうぜ。第一データベースに載るまで時間がかかるんだよ。甥っ子が家出した時は受理されるまで4日も掛かったんだ」
諦めて子守に専念しなと小突かれ顔を顰めた。

 曇天の心情とは裏腹に子供は弾けた笑顔でミサイルの如く足元に突っ込んで来る。危ないからやめろと何度言えば学習するんだこの阿保は。
「スティーブンさんキャンディー下さい!」
「却下。さっきやったばかりだろう。食い過ぎだ、虫歯になるぞ」
「違うもん!レオのじゃなくてカタツムリさんにあげるの!」
「カタツムリ?」
トマスが聞き返すと子供が大きく頷いた。
「カタツムリさんがね、お腹空いたって言ってたもん」
自信満々に言う子供の頬を引っ張る。これがよく伸びるもんだから面白い。
「残念だったなレオナルド、キャンディーチャレンジは失敗だ。この辺の環境じゃカタツムリは生息してないんだよ。せめてネズミとでも言えばまだマシだったのにな」
「ひょんひょひひふふぉー!」
涙目で暴れる子供を足で拘束してしっちゃかめっちゃかに顔を捏ねる。不細工な面に「わはははは」と笑えばトマスが子供相手に大人気ない…とマジな引きを見せたので手を離した。
 子供は赤くなった頬を抑えながら「本当にいるもん…カタツムリさん見たもん…」としゃっくりをあげ始めている。やばい。これは泣き喚く前兆だ。
鼓膜の安全を最優先したトマスが「うんうんカタツムリくらい百匹二百匹はいるよな。スターフェイズが節穴なだけさ、そうだろ?」と必死にアシストして来た。不承不承に頷けば子供はぱっと笑顔に戻る。だから脳みその回路どうなってんだ。単純過ぎる。

 上機嫌の子供はカタツムリさんに会いに行こうと言って俺たちの手を引いた。廊下の突き当たりにある部屋は長らく使われておらず埃くさかった。別の場所で遊ぶように後で言い含めなければ。
「カタツムリさんね、この中にいるんだよ」
 示されたのはクローゼット。
開けば中身は空だったが「ね、いたでしょ?」とニコニコと笑われるとこっちもままごとに付き合うしかない。子供の想像力は豊かだ。
カタツムリさんの分だよと目的のキャンディーの他にチョコやガムまで手に入れた子供は半分をクローゼットの中に、残り半分を懐に収めた。案外ちゃっかりしてるんだよなコイツ。
 居間まで競争だとトマスが子供を追い立てる。今のうちにクローゼットに仕舞ったお菓子を回収しろとアイコンタクトが飛ぶ。牙狩り連中が子供相手にこの有様だと苦笑し、扉を開けようとして固まる。

ネズミどころか虫の一匹もいやしなかったクローゼットの中から、カサリと包装紙を開ける音がした。
直ぐさま扉を開く。中には何も残ってはいなかった。


「スティーブン、お前疲れてんだよ」

 クローゼットの事を周りに話せば大体返ってくる返事はこれだ。子守ノイローゼ…とヒソヒソされて終わり。それはそれとして面倒役を変わるつもりは無いらしい。
 内鍵はあるのに外鍵が無い館のせいで発端となった子供は隙を見ては例の部屋で遊んでいる。やはり危険だからと唯一現場に居たトマスにも協力を求めたが「ブラウニーは本当に居たんだ!グランマは嘘つきじゃ無かった!オレ達はアニミズム信仰に回帰すべきなんだ!」と訳の分からない事を言っていた。あいつはもう駄目だ。思考が夢の国へと旅立ってしまった。術士の家系の奴らは皆こうなのか?

 結局子供を部屋に近付けない為には一日中僕が構ってやるしか無い。小さな氷の恐竜にはしゃぐ子供を前にため息を吐いた。…いや何でこんなガキの為に苦労せねばならぬのか。仮にこいつがクローゼットの中に入って消えたとて僕には関係ない。一日くらいは部隊の皆も捜索するだろうが見つからなければ早々に本部へ帰還出来る。放って置いても良いんじゃないか?
「スティーブンさん疲れてる?」
「ああ?うん。そうだよ」
主にお前のせいだよ。
喉元まで出かかった言葉を飲み込んでしゃがみ込み、子供特有の細く柔らかな癖毛を無言で撫でる。
「疲れてる時はね、お菓子食べたら元気が出るってお母さんが言ってたよ」
差し出されたチョコバーにそのまま食い付いたら「うぎゃっ」と仰け反りひっくり返った。スティーブンさんお行儀悪い!と喚く子供を鼻で笑ってやる。

 遠くから見ていた部隊長からいじめてやるなよと声をかけられる。初日の言葉と含まれてる意味が違う。レオ共々まとめて面白がられてる事に気付いて益々ため息の回数が増えた。


 事件が起きたのは4日目の事だった。
「見つかったぞ!」と叫び、ガッツポーズを決めるトマスの元にぞろぞろと隊員が集まる。
「名前、年齢、糸目!完璧にレオだろ?」
皆が画面を覗き込めばまごう事なきレオナルドの写真が載っていた。
「レオナルド・ウォッチ、5歳…オレゴン州ポートランド…ポートランド!?こりゃまた随分遠くから攫われて来たな」
「術師が着くのは明日だったか、競争はトマスの勝ちだな。本部に着いたら酒の一つでも奢ってやるよ」
「昇!給!」
「それは無理だ」
「ガッデムッッ!」
「レオに家に帰れるって言ってやらんとなぁ」
「大丈夫か?あいつ喜びと別れの駄々泣きキメそうじゃないか?」
「そん時はほら、スターフェイズの片足切断して持ち帰ってくれとでも言えば何とか…」
「懐いてたのは本体じゃなく足の方だったか」
「本体が足だろ」
「おいふざけるなよ」
「小針刺すなって!洒落にならねぇ!」
「んでおチビちゃんは何処よ」

 さっきまでその辺で遊んでただろと誰かが言い終わる前に子供の悲鳴が館中に響いた。
例の部屋だと直感した。駆け出せばそれは確信に変わる。近付くほど大きくなる絶叫。レオの叫び声は部屋の中からだった。
ドアを開けようとして鍵がかかっていることに気づく。あの子じゃ内鍵に届くほどの身長はない。
「カルロだ!カルロがいない!」
頭に過ぎったのはトマスが耳打ちしたあの言葉。

『カルロは”ブギーマン”なのさ』

総毛立った。あの野郎一線越えやがった。

 怒りのままにドアを蹴破る。氷漬けにして砕いてやろうとした。が、勢いが急激に萎む。
周りの隊員達も殺気立っていたのが困惑に変わる。
カルロは既に事切れていた。惨状を見れば誰だってこいつは死んでいると分かる。内側から切り裂かれれば眷属以外の生き物は死ぬ。当然の話。
レオは部屋の隅で泣いていた。目が合うと声の出し方を忘れたみたいにあうあうと口だけを動かした。

( カ タ ツ ム リ さ ん が )

ゆっくりと視線をクローゼットに移す。
カルロの大量の血と肉はクローゼットの中へと繋がっていた。


 忘却術の使いどころは今しかないだろう。腕の中で泣き疲れた子供の顔は安らかとは言い難い。トマスは頷いた。
「子供嫌いだけど面倒見の良いおばあさんに保護された事にしよう」
「誰がババァだって?」
「でもそっちの記憶の方が遥かにマシだろ。襲って来た変態野郎が目の前で怪物に食われたなんてトラウマにしかならない」
それもそうだ。レオが眠る前に描いた絵を眺める。言葉じゃ伝えきれなかったんだろう。歪んだ線の四角い箱はきっとクローゼットだ。その中に詰まっているそれ。カタツムリの殻のように渦を巻いている。人に見えなくもない。けど人じゃない。


 出立の直前、例の部屋を覗いてみた。部屋は綺麗に片付けられ微かに血の匂いがする程度だ。
キィ、と音を立ててクローゼットの隙間から白く細長い手が地面を這う。やはり子供の感性はどうかしてる。あれに対し友好的にいられたのは幼さ故だろう。

 僕はため息を吐いてからドアを閉め、用意した板に釘を打ち付け始めた。

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