人形師

いくらHLと言えどもライブラが顔を出すほどの騒動も無く平和に終わる日だってある。それこそ今日みたいな。
K・Kさんは家族サービス。クラウスさんは園芸会にギルベルトさん同伴で出席。ツェッドさんは公園で大道芸。チェインさんは書類を渡した後すぐ何処かへ行ってしまった。ザップさんは今朝方愛人さんに刺されて入院中。

事務所に居るのはとっくの昔に領収書を纏め終わって手持ち沙汰の僕とスティーブンさんの二人だけ。
スティーブンさんは随分と長話をしているようで、携帯を持つ上司の眉間にはシワが寄ったり離れたり。なみなみと入っているコーヒーは冷め切っているだろう。
無言でカップを回収し、新しいコーヒーを淹れに行く。最近ようやくギルベルトさんからOKを貰えるまでに上達したのだ。披露する機会の多い相手が意外や意外とスティーブンさんだったりする。
事件が立て続けに起これば有能な彼とて書類の山が積み上げられ、否が応でも残業する羽目になる時がある。
そして何かと住居を失い呪いを受けやすい(何で呪いを受けやすいのか甚だ理解不能だ)僕が事務所に泊まりこむと自然と一緒になる時間が重なるし増えもする。
重要書類を触れない僕が出来ることと言えばコーヒーを淹れる位なもんだ。

ふわりとコーヒーの香りが立ちこめる。
サイフォンで淹れると手間が掛かるけど如何にも美味しいコーヒーを淹れていますっていう雰囲気が良い。おまけのキャラメルも添えて持っていけば丁度電話も終わったらしい。やれやれとため息をつきながらポキッと肩を鳴らす。
「お疲れ様っす」
コーヒーを差し出せば丁度温かいのが飲みたかったんだよと褒められた。世話好き冥利に尽きるってもんですよ。
「ところで少年、人形師テュロスって知ってる?」
「いや知らんですけど」
「至高の手、人形師の神様、この世の奇跡なんて言われる程の人物でね、彼が作った人形は売りに出されればとんでもない値がつく。表でなら数十億、裏のルートでなら数百億」
「…人形でその値段っすか」
開いた口が何とやら。世の中には切手に大枚叩く人も居るのだから人形だって然り、だろうけど数百億って。
「富豪が出し惜しみしないだけの逸品ではあるらしいよ。人間よりも人間らしく、それでいて地上のモノとは思えぬ美しさ。人形に魂が宿っているかの様だ、だと」

──そんな人形の神様から君を人形のモデルにと依頼が来たよ。

「へぇー…そうなん、です、ねぇ…え?」
ずずっとコーヒーを飲み干したスティーブンさんはまた上手くなったねと頷いて居るがそれどころでは無い。今何と?
「少年、ヘマしたろ。一体どこでその眼を晒したんだ?只の野暮ったい少年に国宝級の人形師が飛びつく訳ないだろう」
「いやいやいや、ちょ、タイム!タイム!待って下さい身に覚えがありません!任務の時はちゃんとゴーグルしてますって!」
お叱りの予感に待ったを掛けるとちょいちょい手招きされる。迂闊にも素直に近付くとデコピンをかまされた。いってぇ…弁明すら聞き入れられないってどういう事よ。
「じゃあプライベートか?若しくは内部からのリーク、だと掃除が面倒だな…ともかくだ、先方は君に会いたがっている。出来れば明日にも来てくれだってさ。一緒に着いて行ってやるから明日のバイトは代わって貰え」
「ええええぇ…」
バイト代の補填は…と呟くと睨まれた。理不尽だ。

そんな訳で翌日依頼人の指定したホテルに着けば40代位の気の良さそうなおじさんが出迎えてくれた。
「やぁ、どうも。スターフェイズ氏とレオナルド君かな?私がテュロスです。聞いているとは思うけど職業はしがない人形作家です。いやはや急に呼びつけて申し訳ない」
へらと笑う彼と軽い握手を交わす。
至高の手なんて呼ばれる職人だ。さぞ気難しい人かと思っていただけに拍子抜けした。そこら辺を歩いてそうな普通のおじさんに見えた。
「いえ、お気になさらず。それでモデルの件なのですが…」
「ああ、うん。詳しい話は私の第3アトリエで話しましょう。ホテルのすぐ裏通りにあるのでそう時間は取らせません。移動は徒歩でも?」
「お構いなく」
ホテルの裏から徒歩三分の所に彼のアトリエはあった。
地上は普通の一軒家で広い地下がアトリエらしい。地上は騒音が酷くてね、落ち着いて作業が出来ないんだ。
そりゃそうだろうと思う。わざわざHLにアトリエを作らんでもとも思わないでも無いが大人しく黙っている事にした。

御茶請けのお菓子をどれにするか迷って居る間にスティーブンさんが渡された紅茶を脇に置いて両手を組んだ。
「単刀直入にお聞きしますがどうしてレオナルドを御指名に?貴方ほどの人が作る人形のモデルともなれば彼では役不足では」
「はは、そうですね。強いて言えば彼の眼に魅力を感じて」
思わずぎゅっと目を瞑って首を引っ込めた。警戒心が増して空気が硬くなる。
「あー…誤解なさらないで下さい。彼の眼を見たのは偶然というか、ほら、先週の巨大マシュマロマンの時にたまたま見掛けたんです」
そう言えばそんな事件もあったな。堕落王がゴーストバスターズを見た結果がアレなのだから映画の類は今後一切見て欲しく無い。SWは別だけど…あれはSFの金字塔だからノーカンだし…少年の夢だし…。いやいや別にベーダー卿生で見たいとかそんなんじゃ…うわスティーブンさん顔怖。考え読むのやめて下さい。

「あれ?マシュマロマンの時もちゃんとゴーグルしてましたけど僕」
「はい。ゴーグル越しでも君の眼の美しさは見逃せませんでしたよ。職業病でしょうかね、そういう勘が強く働く上に目が良いんです。君のそれは魔眼の類かな?」
「えっと…ングっ!?」
テュロス氏の視線から隠す様に上司に手で顔を覆われた。口を塞ぐのは勘弁して欲しい。呼吸!空気吸わせて!とバンバン叩いたら人差し指と中指の間を空けられる。通気口やった!
「似た様なものです。ミスタ、すみませんが我が組織としては彼の眼は一つの切り札でもある。魔眼…邪視や千里眼は秘匿してこそ本領を発揮する代物。彼の人形を表に出すわけにはいきません。大変恐縮ですが今回はお引き取りを」
「つまりは表に出さなければ良いのでしょう。私は彼の人形を競売に出すつもりは毛頭ありません。人形師は自分の為の最高傑作を一つは作るものです。誰に売るでも無く、技術の粋を結集し生きた証を残す為に」
小切手を取り出しさらりと書かれた数字は常識から外れた額だった。流石のスティーブンさんも眼を見張るくらいには。
因みに僕は顎が外れる手前まで行った。例えじゃなくてマジで。
「情報の秘匿も勿論致します。私達は感じた情熱を作品に昇華しなければ生きる価値が無い。これで足りなければ幾らでもゼロを増やしましょう」


「んでもって陰毛ヘッドは売りに出されたってか。こんなもじゃもじゃ頭人形にしてどうするよ。まだバービー人形のダッチワイフ作る方がナンボかマシだわ」
正論で殴りかかってくるの本当やめて頂きたい。正直それは僕も全く同意見だけどあちらさんが作りたいって言ってんだから良いじゃねーっすか。多分義眼がメインだし。
小切手とは別にバイト代貰えるし…凄く貰えるし。おまけに日払いなのもポイントが高い。
「レオの言ってる人形師ってこの人?」
横からにゅっとチェインさんが端末を取り出す。プロフィールと作品紹介。
写真に載っている人形達は御伽噺の国から出て来たみたいに綺麗で豪奢だった。ミシェーラが幼い頃に憧れていたお姫様そのもの。
「ねぇ、完成したら私も一緒に見に行って良いかな」
「ツェッドさんやクラウスさん達も誘って是非一緒に行きましょう!気の良さそうな人でしたしお願いすればきっと許可して貰えますって」
「うん。約束ね」
どことなくワクワクしているチェインさんと指切りする。
女の人はいくつになっても綺麗で可愛いものが好きみたいだ。何で俺ちゃんを誘わねぇんだと喚くSS先輩は見ない事にした。
だってアンタ絶対碌でもねーことしか喋んないじゃねぇっすか。


薄暗い地下のアトリエには人形のパーツがいくつもぶら下がっていて少々気味が悪い。
座っているよう指定されたソファには素朴な女の子の人形。棚の上には白猫の人形が置いてあった。
直に彼の作品を見るのは初めてだったがなるほど金持ちが大枚を叩く訳だ。作りは緻密で繊細。近くで見れば見るほど人形には見えない。瞳に生気が宿っているかの様。
オーラが生きた人のソレと同じだった。なのに人形なのだ。オーラが宿るほどの職人技に感嘆する。
それは猫の人形も同じで今にも動き出し鳴き声をあげそうだ。素人目に見ても人形師の神様と讃えられるに値する出来栄えだった。
「すごいっすね。まるで脈打って生きてるみたいです」
「お褒めに預かり光栄です。人形に命を吹き込むのが僕らの仕事ですからね」
「テュロスさんの人形達が動き出してもぼかぁ驚きませんよ!あっそうだ。迷惑じゃなければ人形が完成したら友人達も連れて来て良いですか?皆楽しみにしてくれてるんすよ。世界最高峰の匠が作る人形に興味津々で」
「おっと、それは益々素晴らしい出来のモノを作らなきゃいけなくなりましたね。最高の人形を作るには完璧な設計図からです。手始めに身体測定から行いましょう」
「身体測定?そんなそっくりに作るんですか?言っちゃアレですけど肉体美とは程遠いっすよ」
それこそモデルは別で義眼だけ当て嵌めてしまう方が良くないか?
「本物と見紛う人形が私の売りですから、人間は人形ほど綺麗な線をしていません。でもそこが面白くてですね、少し歪んでいる方がより本物らしくなる。等身大人形なんかはその筆頭ですね」
「等身大で作るんすか!?」
それは流石にちょっと遠慮したい。この人の手にかかれば双子のようにそっくりなレオナルド人形が出来てしまう。
物自体がジョークみたいなもんになってしまうのは是非とも避けたい。
「いいや、今回は三分の一スケールで製作します。等身大人形はオーダーメイドくらいでしか扱いませんが傍目には一番人間らしく見えますから」
その言葉にほっと息を吐く。なるほど、なるほど。
簡単に身体測定と写真を撮ったら一気に暇になってしまった。完全に用無しという訳ではなく、時折細かい部分を計られたり義眼を開くように言われるが大部分は暇だ。
HLには似つかわしくない静かな空間とペンのシャカシャカ走る音、父の修理部屋を思い出す。作業音だけ響いて無音よりも余計眠くなるというか…。
「なぁん」と響いた鳴き声でハッと意識を戻す。危うく寝かけてた。やることが無いとはいえ初日で居眠りは駄目でしょーがレオナルド・ウォッチ!
鳴き声の主は黒猫で棚の上の猫の人形に擦り寄っていた。そりゃ動物だって本物と勘違いするよなぁ。
「彼、また入ってきちゃったんですねぇ」
作業用の眼鏡を外してテュロスさんが呟いた。
「飼い猫っすか?」
「いいえ、野良ですよ。いつも窓の隙間から入って来てはそこの白猫の人形に愛を語らうんです。なので私はその黒猫をピグマリオンと呼んでますよ」
「あー…それじゃあ白猫はガラテアだったりして」
「その通り、いつかアフロディーテが導いてくれたら彼も報われるんでしょうね」
猫は尻尾を人形に絡ませて甘い鳴き声をあげている。彼の通いは一年以上、その一途さが微笑ましい気も不憫な気もして何ともいえない。次からササミか何かおやつになるものを持って来よう。

「ってな感じでしたねー。ほぼ動かずしてこんなに貰っちゃっていいのか戸惑っちゃいますわ」
「じゃあ尚更貯め込めるうちに貯めとけよ。それなら暫くは困窮しなくて済むだろ」
アトリエから出て来た僕を流れるように拉致したスティーブンさんはそのままご自宅へ直帰した。所で僕はどうやって帰ればいいんすかね、足がねーんすけど、スティーブンさんとっくに酒飲んじゃってるんですけど。
パエリアをつつきながら日報を報告する。魚介の出汁が染みてて美味しい、スティーブンさんの手作りですってこれ。伊達男は何でも出来るんですね、ハイスペックな顔と頭とルックスと美声に料理上手まで加わったら引く手数多っすね。
所でマジでどうやって帰ればいいんだ、無頭人種ブレムミュエの繁殖期シーズンのせいで外の生存率真っ赤だぞ。
「帰るも何も君の家付近ブレムミュエに占拠されてるぞ。繁殖期が終わるまでの3ヶ月間は帰れないだろうね」
「は」
「安心しろ少年、暫くは僕の家から通うと良い。長い事使われること無く眠っていたゲストルームが君を喜んで迎え入れるよ」
「えぇ…」
「宿代は毎日コーヒーを淹れてくれれば問題ない。お得だろ?」
「えぇぇ…」
頭の整理が追いつかない。マジで?マイホーム占拠されてんの?
「リザードマンとの抗争も勃発してるみたいだから相討ちで自滅すればもっと早く帰れるかもな。自宅が残っているかは分からないが」
「うええぇぇぇ」
良かったじゃないか少年、生活費が浮くぞ、これで貯金が捗るな。
などと肩を叩かれても喜べない、高級住宅と言えども流石に上司の家では寛げない。気が張る疲れる無理無理無理無理。むーり無理無理無理無理無理。

などと嘆いていたが広くて手足が思い切り伸ばせるお風呂を満喫して風呂上がりにバケツアイスを渡されれば満面の笑顔にもなる。
えっキャラメルソース好きなだけかけて良いんですか!?いやいやそりゃいかんでしょ太………っても今更っすねへっへっへ。


風呂とバケツアイスで完全にだらけ切った少年に警戒心を説くべきか迷ったが、籠絡させた自分が言うわけにもいかず黙って隣に座る。
少年の短パンは裾が広く、太ももの奥が見えそうになる度唾を飲む。視線を出来るだけ避けようとしても、ひゅるひゅると眩しい太ももに戻って来てしまう。
少年の住むアパートが占拠され帰す訳にはいかないのは事実、だが勢い余って同棲を持ち掛けたのは早まった。
そもそも彼が家に帰れなくなる状況に陥るのはしょっちゅうで、事務所で借りぐらしをするのにも慣れている。わざわざ僕の家に引っ張り込む必要は無かった筈だ。
詰まる所個人の問題であった。僕は少年に邪な想いを抱いている。

いつからかハッキリしたタイミングは無い。宿無しの少年と残業する日が重なって個々で接する機会が増える内に気が付けば好いていた。部下や人としての好感だと思い込むには目が追ってしまう場所が余りにも…人間とは正直な生き物のようだ。
最終的ゴーサインは僕が出したとは言え人形のモデルに少年を差し出したのはどう考えても失敗だった。
結社の金銭的余裕を考えればあの額面では仕方ないし、ある程度のリスクを踏まえても妥当な判断だったと言い切れるがそれはビジネスの話であって僕個人としては完全に失敗だ。
氏と数時間も二人きりにさせて挙句身体測定まで!人形作りに必要かそれは!?服を着せたらどれも同じだろう!?
第一完成してしまえばレオナルドそっくりの人形を氏が所有し続けることになる。最高技術作品の価値感としてしか彼が見ていなくとも冷静になって考えるとそれは許容しがたいものだ。
と、ぐだぐだ御託を並べてみたが要は嫉妬である。
それが少年を拉致して半強制的に同棲させるという暴挙へと繋がった。衝動にしても、もう少しまともな行動にならなかったのか。
隣でリラックスし、伸びに伸びきっている少年は僕の葛藤を知らない。
知らせるつもりもない。


テュロスさんのアトリエにお邪魔して大分経つが、人形らしい形はまだ出来ていなかった。代わりに小さな臓器がころころと彼の机に転がっている。勿論粘土の作り物だ。
僕は人形作りの詳しいことは何も知らないけど、流石に臓器まで作るのはそう無いこと何だと分かる。
実際テュロスさんも臓器まで作るのは等身大のオーダーメイドの時くらいだと言っていた。
「これだけだと人体模型みたいでしょう?でも世の中には臓器を見せるための人形もありますからね、美しい貴婦人の臓器を曝け出した解剖ヴィーナスと言う人形は18世紀には大いに医学生達の助けになったそうです」
「へぇー…じゃあこの人形もお腹がパカパカ開くんですか?」
自分の顔で臓器モロ出しは人形でもちょっと嫌だなぁ。
「いいえ、しっかりと閉じますよ。切断でもしない限りは見えません。ただ臓器を埋め込んだ方が形が忠実になります。私の主観ですけどね」
見えないパーツでも生半可なものは作りたくないんです。技術を活かせる為なら時間を惜しみませんよ。
さらりと言い切るが大した職人魂だ。好奇心がむくむくと湧いてきて邪魔にならない程度に質問をして会話を楽しんだ。
テュロスさんも景気良くポンポン答えてくれるので頭の中には「国宝人形師に迫る!超写実的人形を作り出す彼の秘密とは?」と勝手に見出しを入れる。
「代々一家揃って人形作りってのは楽しそうですね」
「初めのうちだけはね、実家は今作っているような人形とは全く違ってありふれた民芸品の人形で、私はもっと自分の技術を出し惜しみなく使える人形が作りたかったんです。それでかなり父親と揉めて勘当されてしまいましたよ」
「それは…すいません踏み込んだ事聞いちゃって」
「別にレオナルドさんが気にすることじゃありませんよ。私は今の生活に十分満足していますから、ミーハーなんです。父と相反しても単調な伝統より新しい技術に飛びつきたかった。HLに越して来たのもそのせいですからね。ここは外では手に入らない異界の技術が混じった土や道具、未知の素材がたくさんあって毎日が刺激的です」
「やはは、確かに毎日お祭り騒ぎで刺激的っすね。命落としかけそうになるのが難ですけど」
「本当に問題がそこ何ですよねぇ…少し休憩でもしましょうか、喉も乾いて来たと思いますしお茶でも淹れて来ましょう」
「やった!」
僕は何気にこのティータイムを楽しみにしている。
テュロスさんはお金持ちだけあってお茶もお菓子もとびきり美味しいのだ。恐らくは庶民じゃ到底買えないようなやつ。
毎回たらふく食べてはすっかり寝入ってしまうが今の所怒られた事はない。
食べた後眠くなる時は私にもありますし、必要な時は起こしますから好きにしていて良いですよと寛大に言われたらお言葉に甘えるしかない。スティーブンさんにさえ黙っておけば失礼だぞと誰からもお叱りを受けないので良いバイト先だ。
そもそもHLに置いて熟睡出来るような場所が少ないのが悪い。ここは一等地だけあって保護システムが作動しているらしくちょっとやそっとのことじゃ家が爆破したり占拠されたり炎上したりしないそうだ。羨ましい。
もう一箇所熟睡出来るのはスティーブンさんの家だろうか、ベッドはふかふかだし良い匂いがするし、あれは家主が一番の防犯セキュリティーだ。次点が事務所、ザップさんが入室した時点で安眠とはおさらばなのが減点。てか原因ザップさんじゃん、ザップさん減点。
紅茶もお茶菓子もペロリと平らげ、ピグマリオンと遊んでる内に寝てしまえばあっという間に時間は過ぎてしまった。
そう、契約時間を過ぎている。寝過ぎた。
「やっと起きられたんですね。そうだ、来週のモデル何ですが暫くは来られなくとも大丈夫ですよ」
「クビっすか!?」
寝過ぎて!?いや普通流石にそうだけど、そうだけど!
慌てる僕にテュロスさんが苦笑する。
「安心して下さい、違いますよ。以前言っていた目のパーツ元のサンプルが届くまでの間は臓器の微調整が主ですので、無駄に拘束するのも可哀想かなと思いまして。また必要になればお呼び立てしますからそれまではという事です」
「うはぁ、焦りましたぁ。そういう事っすか」
「なので解雇の心配はなさらないで下さいね。私自身作品を未完成にするつもりもありませんから」
ごほんと咳払いしてテュロスさんが姿勢を正した。
「ところでレオナルドさん、展覧会などにご興味はありますか?」


ドールズ、人形達の世界展。
少年から渡されたチケットにはそう書いてあった。テュロス氏から貰ったらしい。彼の作品も目玉として幾つか展示されているとのこと。
「スティーブンさんにはお世話になってるんで、良ければ一緒に行きませんか?」
へにゃと笑う顔にくらりとする。チケットは二枚、少年と僕。二人きりで、それは一般的にデートと言えるのでは…。
「あっ!迷惑だったら別の人誘うんで大丈夫で」
「いや行くよ」
返事の速さに少年がスティーブンさんも人形とかって興味あるんですねーなどと呟いているが君とだったら例え首狩り族の世界展だとしても観に行くぞ。
なんて事は到底言えやしないので適当に頷いておく。美術鑑賞も狸親父共との会話で役立つ事があるのは事実、女性であれば余計だろう。
「えっと、じゃあスケジュールが合うのは…この日なんてどうっすか?平日ですし人も少なくて見回りやすいと思います」
「うん、その日にしよう」
「楽しみっすねぇ」
くしゃりと頭を撫でると少年がはにかむ。今が一番幸せかもしれない、彼には悪いがどうかブレムミュエの繁殖期が少しでも長引いて欲しい。


約束をした日はあっという間にやって来て、所狭しに人形人形人形人形。 会場に入った瞬間から異世界みたいな空間が広がっていた。人形が主役だが、空間作りも徹底しているらしい。作品のスペースによって空気がガラリと変わっている。
パンフレットに目を通すと、目玉となる名工の作品から東洋西洋分けて歴史に沿った人形達、医療用に民芸品から果ては呪いの曰く付きまであるそうだ。
「決まった順路は無いみたいっすね。何処からまわりますか」
「そうだな、適当に見て回っても良いが…少年は何か興味あるものはあるかい?」
興味、興味かぁ。テュロスさんの人形が抜きん出て目を惹いてしまう例外中の例外なだけであって、男子たるや僕はあまり人形に関心がある訳では無い。これがミシェーラやチェインさん、K・Kさんだったらまた違うのだろうけど。
パラパラと冊子を捲ると聞いた名前が飛び込んで来た。
「スティーブンさん、この医療用人形から見て行っても良いですか?この項目にある解剖ヴィーナスって人形気になってたんすよ」
「解剖ヴィーナス?面白い名前だね」
「貴婦人の人体模型みたいなやつだそうです。僕もテュロスさんから話を聞いただけで詳しくは知らないんですけど」
「いいじゃないか、人体模型には思い入れがある。行こうか」
人体模型模型に思い入れって何だそれ?!と思いながらもスティーブンさんに手を引かれて足を進める。
別に人は混みあってないし、迷子になるような歳ではないのだから手を繋がなくともと考えたがアリスの部屋を通った瞬間繋いだ手に感謝した。
何でシャイニングの迷宮とトランプ兵をコラボさせたトラップ空間なんて作ったんだ。
人形で出来た赤の女王の処刑による断末魔を聞きながら僕はしっかりと繋いだ手を握り直した。展覧会とてHL、油断も隙もありゃしない。

いくつかの危険な部屋(客を殺してまでチャッキーを再現する必要があったのかは謎だが)を突破して辿り着いた医療用人形の部屋はふわりと消毒液の香りがした。
目当ての人形は寝台の上でしどけなく首を仰け反らせている。ブロンドの長い髪を編んだ人形の腹からは、無駄にリアルな臓器がでろりと飛び出しているが不思議とそれが神秘的にも見えた。
隣の寝台にはドレスを着せられた人形、比較用だろうか。この人形も臓器が腹に詰まっているらしい。
「解剖ヴィーナス、なるほどね。確かに人体模型で学ぶならこっちの方が俄然やる気が出るよなぁ」
羨ましそうにスティーブンさんが呟く。
「さっき言ってた思い入れってやつっすか」
「牙狩りと言っても人と交戦する場合もあるからな、子供の頃に学ばされたよ。急所を理解していた方がやられた時もやる時も役立つもんさ」
でも部屋の中に人体模型を置かれたのは参ったなぁ、下手な人間の死体より不気味だよなアイツは。
僕はげぇっと顔を顰めた。それはご愁傷さまです。
「学生の頃は人体模型が本物の人間で出来てるなんて噂もあったりしましたよね」
「ああ、あるある。医療部の方に4、5体は本物が混ざってたな。うっかり腕をちぎった時は驚いたよ、よく腐らずに保管出来てるなって」
「すいません話のステージが違いましたほんとすいません」
「はははははどうして距離をとるんだ少年、ん?」
「あはは腕離して下さい怖いよぅこっちは噂程度の思い出話なのにいきなりガチの話振ってくるとは思わないじゃねーっすかスティーブンさんの母校どうなってんすかうえぇ」
「何処にでもある普通の牙狩り特化の訓練校だよ」
イケメンの爽やかウィンクが決まってても怖いよう何すかその憲法が機能していなさそうな学校やだよぉ。
「そう言えば出張ついでに母校へ挨拶に行ったら見知ったクラスメイトが人体模型の仲間入りしてたな。金に釣られて訓練生の情報を売ったとか何とか」
「離じて下さいいいいいうえええ何で怖い話になってんすかぁやだあぁっ!呪いの人形部屋に引き摺らないでぇ!」
スティーブンさんは生粋のサディストだと思う。たまにそういう事を平気でする。
仕事とは別にでだ、そう、仕事とは別に!
「行け」じゃないですやですやです僕この間ザップさん達とホラー映画鑑賞会したばっかなんすよアナベル怖いよぉ部屋が暗い!そういう空間作りは求めて無いんだわ!心臓が裂ける!ポルターガイスト現象やめてぇ!

きゅーんきゅーんと人体から出るはずの無い音を出して僕にしがみつく少年が可愛かったのは認める。
調子に乗ったせいか若干距離を置かれたが、会場内のカフェで飯を奢るとさっきまでのやり取りを忘れたのかケロリとくっついて来た。
それでいいのか、お前誰にでもそうしているのか、食べ物をくれたからって知らない人には着いて行くんじゃないぞと言うべきなのか。ぐるぐる悩んでいる内にテュロス氏の展示室に着いてしまった。疎らだった周囲の客も流石にここは多い。
賑わう人波を掻い潜れば等身大の少女の人形が三体。
近くに寄ってまじまじと見ても少女達の時だけが静止しているかのようで人形には見えない。神秘の技巧に感嘆のため息をつく者も多かった。
三体の内一体は資産家からの貸出しのようで説明と写真が載っている。少女が二人、双子のようにして写真に納まって写っていた。人形の完成から一ヶ月後に事故で亡くなったらしい。今では娘の身代わりとして扱っているのだと記載されている。人形を身代わりになど、と思ったが少女の瞳に熱を感じ、これなら仕方ないと思い直す。
まだ眺めていたかったが新しい人波が押し寄せて来たので雑踏から抜ければ少年が興奮したように称賛の言葉を零した。
「凄かったですねぇ、アトリエにも女の子の人形はあったんですけど小さくて。あれくらい大きくて豪華だと迫力もありますし益々生きてる人間みたいっすね」
「だな。他の部屋にも等身大人形はあったが、ああはいかないよなぁ。普通どれだけ精密で美しい人形でも一目見れば人形だって分かるものなのに何が違うんだろうか」
「ですよねぇ。テュロスさんの人形ってオーラが生きてるんすよ、職人技っすね。凄い人だったんだなって今頃になって実感しちゃいました」
はー、と興奮を無理やり抑えるよう呼吸をする少年に首を傾げた。生きてるオーラ?
聞けば彼の人形は正真正銘本物の人形なのに、オーラは生きている人間と寸分違わないという。他の巨匠達の人形もオーラはあるが、生きた者が身に纏うオーラでは無いらしい。
物に宿る念がオーラとして出ていたりもするが人と同じオーラは彼だけだと。
「本物の死体を使った人形だったりして」
冗談は冗談らしく笑って一蹴された。死体から生きた人のオーラは出ないっすよ。するっと消えちゃうんです。それは初めて聞いた、それじゃあ死体の方がよっぽど人形らしいな。
ならば氏が今製作しているレオナルドの人形も出来上がれば生きたオーラが宿るのだろうか。
「そりゃ宿っちゃうんじゃないですか?猫の人形だってそうなるくらいですし」
でもそれって考えてみたらちょっと怖いっすねと少年が呟く。
「魂を持って動き出したらってか。ドッペル?成り代わり?他に何があるかな…意外と思い付かないもんだ」
「そっ…こまで想像してないっすよ怖ぁ…何となく自分とそっくりの人形て怖いっすね〜って軽さで言ったのに!変な不安増やさないでくださいよぉ!」
「大丈夫大丈夫、少年がドッペル人形に襲われても人形に成り変われても助けてやるさ」
「不吉ぅ!」
ひんひん泣く少年が可愛くて笑ってると脛を蹴られた。くそっ、油断した。
びゃっと逃げ出した少年を追いかける。監視係に注意されながら少年を捕まえてバタバタと別室へと逃げ込んだ。
「上司を蹴る奴があるか!」
「だってスティーブンさんが怖いこと言うからぁっ!僕のトラブル体質舐めないで下さいよ、今年入ってからの持ち込み企画の勝率断トツですからね!?要らないフラグ建てるは勘弁っす」
「否定はしないが、その分当たりが出やすいのも確かなんだ。一種の才能とでも思えよ」
「無茶をおっしゃる…仮にフラグ成立して人形から追いかけられたり成り代わられたりするホラー展開になったら責任取って絶対に助けてくださいよ」
「その位はなんて事ないさ、追ってくるならチャッキーでもアナベルでも氷漬けにしてやろう。喋れない人形になったら君の眼で教えてくれさえすれば何とかしてみせるよ」
「言質取りましたからね」
声のトーンが本気だった。そこまでか、少年。


青い宝石がキラキラと箱の中で輝いている。
異界産のその宝石達はシルキーの涙を垂らすと数百年は微光を放ち続けるのだそうだ。
テュロスさんは義眼と宝石を比較しながら唸っている。義眼の模様は写せてもその青と燐光は再現するのが難しいと彼は言う。
僕がお休みを貰っている間に人形の大部分は出来たそうで、今は目をはめ込む段階。加工済みの試作をいくつか見せて貰ったけど、僕としてはこの目に埋まってるものと対して差は無いように感じた。
一応本人の中で最終候補は固まっているらしいが僅かな違いに迷っているそうだ。
「レオナルドさんの魔眼は元が無機質というか、機械的なのに妖精のような神秘性を秘めているんですよ。反発しているがなぜか調和している。その美しさの秘密はやはりえも言われぬ青と燐光だと私は思っているのですが、宝石ごとに輝きの具合が微妙に違っているのが問題でして。ここさえ完璧に出来れば後の作業は早いのですが、選択を失敗すると全て無に帰してしまいそうで慎重には慎重を期さないと…」
ぶつぶつと考え込む彼を見て、これは長らく時間がかかりそうだとピグマリオンの方へ移動する。

最近は懐が潤っているので今日はちょっとお高めのおやつを買ってみた。パッケージを開けた瞬間からなぁんと鳴いて擦り寄ってくる。
猫用パテを指先までペロリと舐め取られて擽ったさに笑う。ソニックに対してもなんだけど直接手から餌付けするのって楽しいよね。
「ガラテアにはおもちゃを持って来たよ、渡してくれる?」
みゃん、と機嫌良く鳴く彼に小さな魚のぬいぐるみを渡してやる。器用に咥えると棚の上の白猫へと無事プレゼントしてくれたみたい。
人形に恋する黒猫。絵本の中の物語なら最後にガラテアが本物の猫になってくれるのにね。
昨日スティーブンさんにピグマリオンとガラテアの事を話したら「難儀な猫だな」と同情していたのを思い出す。
きっとガラテアが本物の猫だったなら素敵な恋人ならぬ恋猫同士でしょうに。一途過ぎて逃げられるんじゃないか?そのピグマリオンって猫は四六時中側にいるんだろ、鬱陶しがられやしないか心配になるね。だぁいじょうぶですって、あんなに真摯で一途な愛をずっと囁かれてたらガラテアだって好きじゃなくても直ぐに絆されて好きになっちゃいますよ。僕は茶化すようにピグマリオンの甘い鳴き声の真似をした。スティーブンさんはクスリと笑いもせずに「本当にそう思うか」とずずいと近寄って来たもんだから驚いてひっくり返ってしまった。そこからやいのやいのと戯れついたっけ。

棚から降りて来たピグマリオンを緩く抱きしめてゴロンと仰向けになる。
スティーブンさんのお宅に強制的に同居する事になった当初と比べると信じられないくらい僕らは仲良くなった。
プライベートで触れ合う時間が多いからだと思うしスティーブンさんは外見のイメージよりも案外取っ付き易くて子供っぽい所もある人だからって部分もある。
だからだろうか、最近はずっとこのまま住んでたいなと思っちゃったりしてる。彼の住み良い環境も勿論一因だし、ザップさんの襲来が無いってだけで最高の理由の一つにはなる。
だっけど無理だろうなぁ。ルームシェア出来る程僕の稼ぎは良く無いし、恋人を家に呼ぶのにこんなチビが部屋に居たら邪魔だろう。それに何よりラジオからは遂にブレムミュエの繁殖期が終わったとパーソナリティーが嬉しそうに話している。

スティーブンさんの予想通り、僕の住んで居たアパートはぐっちゃぐちゃで住める環境では無くなっていたので再建するまでは一時的に住む期間が延ばされた。
ホッとする自分の浅ましさを感じながら相変わらず人形のモデルを続けていたが、それもとうとう今日で終わり。

目の前には僕そっくりの人形、伏目がちの瞳は光が淡く漏れている。服はテュロスさんの作品達と同じような華やかなものだった。
テュロスさんはやり切った顔をして僕に何度も感謝を述べている。適当に相槌を打ちながらも疑問符が頭から離れない。
確かに繊細に、瓜二つに作られた人形は凄いけど…ソファの素朴な女の子の人形や、ガラテアの方がよっぽど良く出来ているように見える。
だってあの人形には生気のオーラが無いのだ。


「だからって食欲が無くなるほど悩む問題か?」
「一週間後にはチェインさんとツェッドさんと一緒に人形を見に行くって約束しちゃってんですもん〜!」
僕はわっと泣き伏した。
人形展を見に行った後散々凄いだの何だのと褒め称える感想をチェインさん達にも話し、出来上がるであろう作品の期待値を上げまくっていたのだ。
それだけ期待させて置いて出来上がったものは他の作品より劣って見えるだなんて全方位に失礼でしょ!?
「この…このざわつく不安感が分かりますか!?例えば監督からキャストまで最高メンバーが揃っている実写化映画を過剰にお勧めしまくっていざ一緒に見に行ったらとんでもない爆死の時の空気感…!何も言えなくなってるのを気遣ってまぁまぁ面白いよなんて言われた日にゃ…!」
「それ体験談?」
「例え話ですって!」
うわーんと泣き喚く僕に無理やりご飯を食べさせようとするスティーブンさん、地獄絵図にもほどがある。ソニックにはとっくに見限られた。今ごろラインヘルツ邸で美味しい高級バナナでも食べている事だろう。
「しょうもない事で頭を悩ませるより、そこのミートパイ食っちまえって」
差し出されたスプーンを見て具合が悪くなる。
「食欲無いのはマジなんでパスです」
「じゃあアイスは?それくらいなら食べれるだろ?ほら君の好きなクッキー&クリームだ」
その位ならとパクリ。次にミートパイを差し出されて首を振る。「今の僕はアイスしか受け付けませんよ」

なんて事を言ったからなのか、食欲減退は続き文字通りアイスしか食べれない日が続いた。他の食べ物は吐いちゃうし、アイスもスプーンひと匙が限界。
五日目に痺れを切らしたスティーブンさんに病院へ連れて行かれたけど特に問題は無いそうだ。仮にあるならストレス性かなぁと頭部が怪しいお医者様に言われてぐぅと呻いた。
「お前みたいな図太い奴に人形の出来の心配程度で食欲が失せるはずないだろ、他にもっと別の理由があるんじゃないか?」
「うへぇ、すんごい言い様ですね」
「僕との同居に数時間で順応する君が人形程度でストレス性の食欲不振なんて起こす訳無い。言い切るぞ、そんなものは有り得ない」
「いつもの有り得ないものは有り得ない理論どこ行ったんすか〜」
だってストレス以外、他に理由なんてあります?思い付かないでしょうに。
ため息をついてソファに横になる。体が重くて動く気になれない。
「レオ、寝るならベッドだろ」
「うぅ…ソファでも十分寝れますよぅ、スティーブンさん家の家具良い物ばっかなんですもん。腰痛めたりも無いっすよ」
本格的に寝る体勢に入るとひょいと抱き上げられた。
ねぇ僕立派な19歳男子何ですけど皆どうしてこうひょいひょいと…まぁいいや。ゲストルームまで連れて行ってくれるんだろうと思って落ちないよう首筋に抱きつく。
進んだ先はゲストルームを通り越してスティーブンさんの寝室だった。ぼすんと降ろされて茫然とする。
「君の具合が良くなるまで一緒に寝る事にするよ」
「普通逆でしょうに。ベッドに戻しても知りませんよぼかぁ!」
スティーブンさんはやれやれと隣に腰をついた。
「だからだよ。このところの少年はおかしい、妹さん以外の心因性で吐くなんて余程の事だが相応の出来事は起きていないと僕は考えている。明後日の約束までは待ってやるが終わったらすぐ呪術専門の機関に連れて行くからな」
「過保護過ぎやしません?」
血尿出るまでバイトした時ですらそんな優しくされた覚えはないぞと反論するとそれとこれとは内容が別だと言われた。左様でございますか。


あっという間に約束の日が来た。
今日も体調は絶不調だが黙っているので問題なし。対した事ではないからとスティーブンさんには箝口令を敷いていた。
そもそも金欠で一週間水と塩だけで過ごした事のある僕の最底辺の生活事情は知られているので、本当にあそこまで気にする事ではないのだ。レオナルド・ウォッチあるあるの一つくらいに捉えとくべきだ。
それでも血色はいつもより悪いらしく今日は止めておこうかと二人に言われたが僕は頑として首を縦に振らなかった。微妙な空気になるならさっさと済ませておいた方がいい。

久々のテュロスさんのアトリエは相変わらず静かな場所だ。二人を紹介して早速人形を見せて貰う。
ドキドキと嫌な緊張がする。はぁーと深呼吸して人形を見れば驚きに目を見開いた、あれ?何で?
両隣の二人から声がしない。でもそれは正に声にならない感動といったもので、ハッと瞬きするや否や口々に感嘆を零した。
「わぁーレオそっくり。でも凄く綺麗だね、本当に生きてる人と見分けがつかないや」
「これは…凄いですね、雑誌の写真で作品を拝見させて頂きましたが実物は別物ですね。小さくなったレオ君が座ってるみたいです」
「ふふ、そうでしょう?」
チェインさんとツェッドさんが興奮してあれこれ質問してもテュロスさんは快く答えている。
僕といえば人形を見た瞬間からぐるぐると気持ち悪さが増して行く。だって、あの人形、どうして?
たった一週間前までは何のオーラも無かったのに、今じゃ他の人形とそう変わらない生者のオーラが見える。それもどんどん強くなって…。
ふらり、と足が縺れてどすんと尻餅をついた。
慌てて振り返る二人を制してソファで休ませて貰う事にした。自分でも今真っ青になってるとわかる、すごく気持ちが悪い。チェインさんがスティーブンさんに電話している声が聞こえて来てこれは滅茶苦茶に怒られるなと覚悟した。ほら俺の言った通りだっただろうと怒り心頭の顔が眼に浮かぶ。

ぐったりとソファに沈んでいたが突然胸が圧迫されて呻いた。犯人の正体はピグマリオンだ、まん丸なゴールドの目と見つめ合う。
「ねぇ、今はほんと、気持ち悪いから降りて…」
ピグマリオンは話を聞かずに目と目がくっつくんじゃないかってくらいに近付いて来た。胸から退かすほどの力は無い。あまりの近さに義眼が勝手に記憶を読み取ろうとする。ああもうただでさえ具合が悪いっていうのにこれじゃ酔ってしまう。
人形のガラテアばかりが映像として流れ続ける、ガラテアが大好きなのは分かったって。遡って遡って、ふと全く別の映像に切り替わった。路地裏でぐったりと息をしなくなった白猫、ガラテアにそっくりだ。また遡る。居なくなった白猫を探して右往左往彷徨う彼、誰かに連れ去られる白猫、駄目だ猫の視線じゃ足と腕しか見えない。さらに遡る。お互いに毛繕いをし合う二匹。
「ピグマリオン?」
無理やり視線を外して棚の上にあるガラテアを凝視した。死体?いや違う、ちゃんと中身は作られた人形だ、でも何で。
映像の中の白猫とこの人形のガラテアはどうして同じオーラを持ってるんだろう。
まさか、嫌な予感に寒気が止まらない。ピグマリオンがざらりと頬を舐めた所で限界だったのだろう。
ぷつりと意識が途切れた。



女医は一言「変だわ」と呟いた。
レオが倒れたと知らせを受けてすぐさまブラッドベリへと搬送してから三十分も経っていない。
「変、とは」
「急速に身体が衰弱していってるのよ、コップに貯めた水が流れ出るみたいにね。なのに問題が無いの、普通人体に異常があれば何処かしら悪い箇所があるものでしょう?病気では無いわ、呪術の専門医にも診てもらったけど術式も跡すら何も無い、綺麗過ぎるぐらいだって」
頭が真っ白になった。白いベッドに寝かされている少年はただただ眠っているようにしか見えない。
「時間を止める呪符と栄養剤を打ってはいるけど時間の問題だわ、時間を止めても少しずつ弱ってる。保って三日ね」
ミスタ、この事に何か心当たりは無い?ほんの些細な事でもいいの。
僕は一週間前から始まったレオの不調を話すが、初期症状が食欲不振から始まる異常な衰弱なんてのは過去のデータを参照しても何一つ当てはまらなかった。

「面目無いです…僕がレオ君の不調にもっと重きを置いていればこうはならなかったかもしれません」
「私も、人形の事ばっかり考えてレオに負担をかけちゃった…」
肩を落とす二人を励ます。ツェッドやチェイン、事務所のメンバーに黙っていたのは少年の判断だ。
二人に責任があるなら数日前から彼の不調に気付いていた自分が一番重い。
「とにかく一度テュロス氏のアトリエに顔を出しに行こう、随分と迷惑をかけてしまった」
頷く二人に少年のことは気にするなと言うも難しそうだ。すっかり萎んでしまっている。

慌ただしく出たアトリエに戻るとテュロス氏が不安そうに少年の容態を聞いてくるが、大した事はないと躱して騒動を謝罪する。
部屋の中は重い空気が立ち込めているがそれを気にしない生き物が一匹。
脚の間をするりと通り過ぎてにゃふにゃふ鳴いているのは黒猫だ。恐らく少年が話していたピグマリオンだろうか。
奥の部屋に視線を移すと棚の上に白猫が鎮座していた。ならばあれが人形のガラテアか、視線をピグマリオンに戻すと彼はたんっと勢いをつけてアンティーク椅子に座っている少年そっくりの人形に擦り寄った。

テュロス氏が降ろそうとすると牙を剥き出しにしてシャアと威嚇する。全身の毛を逆立て触れるなと言いたげだ。
ツェッドが飼い猫では無いのかと疑問を口にした。「少年曰く野良だとさ」と内心で返答する。
「私はこの子に嫌われてますから…白猫の人形目当てに何年も出入りしてるんですけど一向に懐かれませんよ。レオナルドさんは初日から懐かれてたんですけどねぇ、はは…毛が人形に付いてしまいますね。困ったものです」
「なら僕が降ろしましょう。猫に引っ掻かれるくらいは平気ですから」
手を差し出すとピグマリオンはピタリと威嚇をやめてスンスン匂いを嗅ぎだした。
おや?とそのまましたいようにさせると今度は人形と僕を交互に見詰めてにゃあと鳴く。
何を言いたいのかは生憎分からないが抱き上げても大丈夫そうだ、引っかき傷をつける事無く猫を椅子から下ろす。
と、そのままとんと僕の肩に乗り上がり、しかと離れなくなってしまった。無理やり引き離そうとすると丸い目と鳴き声で必死に抵抗する。
それでもピグマリオンはテュロス氏と視線が合うとまた威嚇し、爪を容赦無く肩に食い込ませた。これは。

慌てる氏を宥め、僕はいち早くこのアトリエから出て行きたかった。
「このままでも大丈夫ですよ、野良なら連れて行ってしまっても構わないのでしょう?それから失礼とは思いますが、魔眼の秘匿の確認に今後も訪問する事があるかもしれませんがよろしいでしょうか」
「それは勿論、契約の条件の中に入っておりますから。確認以外でもレオナルドさんが元気になられたらどうぞ遊びに来て下さい。いつでもお待ちしておりますよ」

ピグマリオンを肩に乗せたまま事務所に戻ると早速指示を飛ばした。
確証の無い直感で調べさせるのは久々だ。虱潰しになるだろうが時間はそうかけてはいられない。
「チェインはこれらの屋敷にある人形とそのモデルを調べて欲しい。ザップとツェッドは人形を使った術師の家系を探れ」
チェインが「テュロス氏のアトリエも調べましょうか」と手を挙げる。誰が一番怪しいかと疑う相手は先程飛ばした指示を聞けばすぐに辿り着く話だ。
「はぁーめんどくせぇ、そのチュロス?って野郎に目星付けてんならさっさと襲撃すりゃ済む話っしょ」
「糞モンキーは頭の中までバナナが詰まってるんだね」
「おめでたい人ですね」
喧嘩を始めようとするザップに氷で釘を刺す。チェインには余裕があればと言い渡した。
「裏の人間か三下相手ならそれで済むが表面上彼は表舞台の有名人だ。下手に手出しは出来ないしこれといった確証は無い。故に確実な物的証拠、または信頼性のある複数人の証言が必要だ」
そら分かったら早く調べて来いと発破をかける。散り散りに出掛けて行った若人達を見送ってクラウスに頭を下げた。
「クラウス、君なら曖昧な内容だとしてもレオナルドを救う情報を得られるだろうか」
「私が出来ないと答えるとでも?諦めない限り道はあるものだ。先ずは話を聞こう」
親友の言葉とはこんなにも力強いものか、こいつの隣に立ってるとつくづく思う。事の経緯を伝えるとクラウスは黙って頷き、ギルベルトさんと連れ立って事務所を出て行った。
シンと静まり返る事務所には僕と肩の上に張り付いた猫一匹。
「さて、これだけの大ごとだ。僕は君に賭けた、レオナルドが倒れた原因はテュロスで間違い無いんだな?」
ピグマリオンは頷きなぁんと高い声で鳴いた。言葉が通じているのかいないのか、分からないがあの時の仕草に違和感を感じたのも事実だ。
人形師の神様の秘密を暴いてやろう。


意識を取り戻したと思ったら真っ暗だ。
手足が動かない、それどころか声もあげられない。パニック状態に陥っているのに震えることすら出来ないなんて何がどうなっているのか。
「あの猫が居なくなってせいせいしたな、これでやっとまともに私の人形に触れられる」
響いた声にどきりと心臓が跳ねた。テュロスさん!俺今どうなっちゃってるんですか!?叫んだつもりでいても声が出ない。身体がある感覚はあるのにだ、どんどん嫌な想像が頭の中に溢れて行く。
「私の最高傑作、私だけの完璧な人形が出来上がるまであと少しの我慢だ。レオくん、君の魂はもうどれだけ人形の中に収まっているんだろうね」
叩いて叫んで突き飛ばしたい。
嫌な予感は完全に的中した。僕の意識は?魂はあの人形の中に埋まってるって?
ピグマリオンの記憶そのものを正しく理解するなら猫の人形はガラテア本人だ。テュロスさんは作った人形に魂を移している。どうやったのか、どうしてそんな事をするのか理由なんて知らない。でもただ一つわかるのは僕が馬鹿をやらかしたってこと。
やばいやばいやばい、ほんっとうにやばい。
何も見えない、手足も声も出せない状態でどうやって助けを求めればいい?!混乱する頭の中、浮かんで来たのはスティーブンさんだった。フラグしっかり回収しちゃいましたよわははは何ぞ言えるメンタルは投げ捨てた。うわー!!どうしようこれ!?どうしよう!
「喋れない人形になったら君の眼で教えてくれさえすれば何とかしてみせるよ」なんてキリッと言ってたけどマジで何とかして下さい。言質まで取ったのにこれじゃあ…あ。
待てレオナルド・ウォッチ、考えろ、考えるんだ。というか考える事しか出来ないんだから。
ピグマリオンの記憶の順番を時系列に整列する。ガラテアは一度捕まって、それから帰されたんだ。亡くなったのはその後。捕まってる間に移す為の器になる人形を作ったのは間違いないだろう。魂が移るのは人形が出来てすぐではない、よな。
恐らく時間をかけて魂を移して行く、うん、そうじゃなきゃ人形を作って直ぐにモデルが死ぬんじゃ怪しまれる。一度や二度なら隠せるかもしれないけど彼の人形はもっとあるんだ。なら僕の身体はまだ生きているのかも。よし、戻れる身体が生きてるならまだ大丈夫…大丈夫だ。
それで人形の方の身体は…手足、動かせない。声、出せない。目、見えない。耳、聞こえる。うーん、詰み。
せめて目が見えれば視線を誘導してどうにか出来るかもしれないのに。スティーブンさんだって眼で教えてくれって、ああどっちにしろ宝石の目じゃ無理か。あんな芸当が出来るのは義眼だけだ。この人形の目じゃ…。
やややや諦めちゃ駄目だろうが!ここで僕は思い付いた、火事場の何たらだとザップさんに教えてもらった奴だ。火事場の知恵だか何だか、まぁいいや。
意識を集中して眼の記憶を再生するイメージを固める。記憶を読む使い方はして来たけど記憶を見せるのはやった事がない。脳みそが無い分加減も分からないしいつまで再生し続ければいいのかも不明だ。最悪脳と目の周りが爛れて寿命を早めるだけかもしれない。
けどやらないよかマシでしょ。


一夜明けて真っ先に情報を持って来たのはチェインだった。
「真っ黒ですね。どれも期間にばらつきはありますが総じてモデルになった人間は死亡しています。衰弱死、自然死、事故も1件ありましたがこちらは偶然だと思われます」
展覧会で見た人形が頭を過ぎる。どちらにせよ死ぬ運命には代わりなかったのだろう。
「それから裏ルートで売買された人形なのですが…その、所有者がですね、人形と…」
端正な顔を歪めて言葉を濁す。とてもよろしくない報告の予感がする、明言されなくとも読み取れる気がしないでも無いが。
「…性交してました」
何とも言えない空気が辺りを包む。
「んだよ、俺ちゃんの言ったダッチワイフまんまストライクじゃねーか」
「黙れクズ」
「良識というものが貴方には無いんですか!」
床に沈み込んだザップを尻目に頭を抱える。隙ありとばかりにピグマリオンが頭に乗り掛かって重い。
「あー…だから裏ルートで桁が跳ねたんだな。片想い相手の女性をモデルに本人と変わりない人形を作らせラブドールとして楽しむ、変態の発想だ」
変態趣味だがラブドールとヤってるだけでは個人の趣向で終わりだ。問題はモデル達が皆等しく亡くなっていること。
チェインに次の指示を出そうと口を開いた瞬間携帯が鳴った。
発信元はブラッドベリ総合病院。
「僕は今からブラッドベリに向かう。チェインはテュロス氏と人形を監視してくれ、ザップとツェッドは引き続き調査!」


「レオナルド君に変化がありました。呪符の効果で気付くのが遅れましたが義眼を発動し続けているのでは無いかと」
「発動し続けているって、少年は」
「無事ですよ。理論上肉体の時間を止めてますから負荷はそうかかってないでしょう、ただ呪符を付けたままだと彼の眼からは読み解けません。一時的に剥がしますか?」
僕は頷いて少年の瞼を無理矢理こじあけた。目線を合わすと女医が呪符を剥がしにかかる。
ぐるん、と目が回った。

強制的に視界に送られて来るのは二匹の猫の映像…少年そっくりの人形に強まるオーラ…テュロス…そしてまた最初に戻り映像を繰り返す。

「呪符を」
熱が強まった目の周りを手で覆い冷やす。
確定した。方法はまだ不明であれ奴は魂を人形に移し替えている。
「解決の糸口は掴めましたか?」
「ええ、直感が真実と分かりました。これで動き易くなります」
「それは良かった。ところでミスタ、Mr.クラウスからご連絡がありましたよ。『肉体が生きている間に人形を壊せ』ですって」
細々とした解術は必要なさそうで申し分ない。こちらには暴れるだけなら大得意の猿がいる。
「早々に原因を取り払えるなら急いで下さいね、呪符を剥がした間にかなり衰弱が進んでます。締めていた蛇口を捻ったようなものですから」
「言われずともそうしましょう」
女医に礼を言って院を後にする。私設部隊から上がったテュロスの来歴とツェッドからの報告が一致した。やはり術師の家系であるようだ。
暇を持て余してるであろうザップに暴れてこいと連絡する。証拠さえ掴んでしまえば後は呆気ない、チェインには念の為少年の側に着いていて貰おう。
さて、そうと決まれば僕も人形を壊しに加勢するとしよう。
あのクソ野郎の目の前で最高傑作を粉々に砕きたいんだ。



眼が覚めると僕は無事元の身体に戻っていたし、テュロスさんと裏ルートで依頼した人形愛好家(これ絶対皮肉でしょ)達の一斉検挙が新聞に載っていた。
「な、な?俺ちゃんの言ったダッチワイフはニアピンだっただろ!」
「違うでしょーあんたが言ったのはバービーのダッチワイフの方が何たらとかだったでしょ」
「ウッセーぞ陰毛ダッチワイフ」
「うわまじ止めてくださいその言い方」
洒落では済まされないのだから怖気がする。
彼の作る臓器入りの人形は所詮ラブドールだった。本人そっくりの器に本人の魂を移し入れる。正真正銘可愛い僕のお人形ちゃんに仕立て上げたのだ。好きな人を綺麗なまま思い通りにずっと犯せるなんて悪趣味だ、それこそただのダッチワイフにでも発散させればいいのに。
本来御魂移しの呪術は生きた人間に使うものでは無いらしい。滅多に行う事でもなく、自然と途絶えたはずの呪術の才を持って生まれた彼は真っ当な使い方をする気など更々なかった。また別の生まれ持った人形作りの才能と重ね合わせるとあら不思議。人よりも人らしい精巧な人形が出来上がった。人形であり人であるのだから当たり前の話だ。

「番頭もなーバチクソ切れてたからなーオメー。丹念に5回は人形壊してたぞ」
「うわ僕エスメラルダされるんです!?やば、うわわわっ」
ああ逃げるにしても病院の四階、窓?窓から脱出出来るか?脱走を企てる僕に無慈悲にもノック音が響いた。ガラリと扉を開けたのはキレにキレてたらしいスティーブンさんその人。
「何だザップも居たのか」
「俺ぁもうお暇するんで」
僕はバッと隣を振り返った。
「えっ帰っちゃうんですか!?」
やだーひとりにしないでー。懇願虚しくアディオス!とザップさんは窓から出て行く。ああくそ僕より先に窓から脱出しやがって、先に目星付けたの僕なんすよ!?
「少年」
「うぬぁっはいっ」
「何だその鳴き声。明日には退院していいと医師が言ってたぞ。あれだけ食わせて肉付きが良くなってたのにすっかり骨と皮に戻っちまって、…不健康な脂肪だけは立派に残ってるのが実に少年らしい」
「そんな目で見ないでくださいよ脂肪だって必死に腹にしがみ付いてんすよ」
失礼しちゃうわ。
スティーブンさんは見舞いだと言ってアイスと果物をいくつか。パイプ椅子に座ると懐から折畳式の果物ナイフを取り出してショリショリ皮を剥きだした。ついでに飾り切りまで。すげーな。
「あのー怒らないんですか?僕てっきり説教タイムが始まるかと」
スティーブンさんが剥いたオレンジを口に突っ込む。ング、みずみずしくて程よい酸味と甘さ、美味しい。
「説教して欲しいならするけどな。不用意に差し出されたものに口を付けない、体調管理に務める。後者は僕のせいでもあるが、睡眠薬まで飲まされてどうして報告しなかった?」
「睡眠薬?何の話ですかそれ」
「自覚すら無いのか…」
呆れて半目になるスティーブンさんに「えへ」と舌を出す。自覚?いや本気で身に覚えないっすわ。
「はぁ、元を辿れば金につられて君を売った僕が悪いしな。あー…それにしても腹が立つあの糞アガルマトフィリアめ」
「アガ?何すかそれ」
「少年は知らなくていいよ、いやむしろ知らないままでいてくれ」
もくもくと与えたフルーツを食べ続ける少年は自分が犯されそうになっていた事など知る由も無い。紅茶に混ぜた薬で眠っている間に触られていた事も。ああ何度思い出してもムカつく。
あの人形には犯す為の場所があった。
二度と人形など作れないように男の手を潰してやったが、やはり警察などに渡さず息の根を止めるべきだったのだ。
「責任は取るからな」
「えっ何すか急に!?怖いですいいです遠慮します!だって責任は十分果たしたじゃないですか、ちゃんと助けて貰ったんだからおっけーですって」
「人形展の事か?僕の言う責任はまた別のものだよ。君が眼を取り戻すまでの間、衣食住を保障しよう。住み心地はもう知ってるだろ?」
少年のあんぐりと開けた口にリンゴを放り込む。
これは独占欲と嫉妬だ、責任などという言葉にかこつけて願望を押し付けてるに他ならない。
「いやいやいや、いやいや…スティーブンさん自分が何言ってるか分かってます?こんなちんくしゃずっと住まわせても何の得にもならないっすよ。第一恋人さんとか連れ込めなくなっちゃいますよ!」
「恋人は居ないから問題はない」
むしろ恋人なら君が良い。
「えぇ…そりゃ今はフリーかもしんないですけど新しく出来るでしょ。その間毎回外に追い出されるのも戻ってくるのも気不味いですよぼかぁ」
「そんな事はしない」
少年はウゥと唸り頭を抱えた。
もしかしてスティーブンさんって頭の中覗けるんですかと訳の分からない事を言い出す。覗けてたらもっと上手いこと君を言い包めてるだろうよ。

「僕が貴方ともっと一緒に住んでいたいって考えてたの、バレバレなんです?」
「あ”?なんだって!?」



エクストリーム棚ぼたっすねぇと葉巻を吸うザップは機嫌が悪い。愛人達からの避難場所を一つ失ったのがそんなに嫌か。
ピグマリオンと遊んでいた少年が切り上げてこちらに駆けて来る。
「誘ってみたけどやっぱ駄目でした。アイツは野良で生きて行きたいみたいっす」
「そりゃオメーホモ野郎二人の家なんざ行きたくねーだろ。尻尾巻いて逃げ帰るわ」
簡単エスメラルダ式クッキングはタップ一回で氷像一つ出来上がり。ザップなら自力でどうにか溶かすだろ。

テュロスの作った人形は全て破壊し尽くした。人形を見た術者達は揃いも揃って作った人形を壊さない限り魂は囚われたままだと言った。ならば壊すのが一番の葬いだ。
ピグマリオンもガラテアが壊されると白猫の人形に関心を示すのを辞めた。その背中は小さく悲しげであったが彼自身がちゃんと理解しているからこそだ。
「それにしたってもう暫くは人形を見たくない」
「あはは、僕も同意です。見るのも成るのも嫌ですねぇ」
大体作る方も作る方ですけど、注文する顧客も大概なっちゃいないと思うんですよね。
指先をくるくる回す少年は続ける。
「片想いの人形を作ったってそれが本人なら尚更希望が無いと思いませんか?だって人形にしちゃったらずっと片想いで終わりですよ。お互いに言葉で伝え合えたなら頑張り次第じゃ両想いになれたかもしれないのに」
僕は人形の恋人よりも生きた恋人が良いです。
「それは僕もだ」

だってそうじゃなきゃ、せっかく可愛い恋人を手に入れても手を繋いで街を歩くことすら出来ないんだ。何より人形相手じゃ笑いかけてすらくれない。
無言で少年の手を握る。
驚いて、照れて、戸惑って、太陽のように朗らかに笑った。

ほら見てみろ変態共め、断然こっちが良いに決まってる。

スティーブンは小さく頷いて、それからはにかみ屋な恋人にキスの雨を降らせた。

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