龍アリ/現パロ

片道切符

ゴトン、ゴトンと列車が揺れるたび、寄りかかっている窓にコツリと頭をぶつけた。
変わっていく外の景色は、幼いころの記憶にある母と一緒に出かけた公園や街と同じだった。
まるで走馬灯のようだとため息をつく。あながち間違いではないだろう。

アリババサルージャ17歳は幼少にシングルマザーだった母を亡くし、天涯孤独の身だった。
15歳までは孤児院で過ごし、そこからは生活保護の少しのお金とバイトで生計を立てていた。
高校は特待生で学費は掛からなかったし、自分の身の上を考慮して学校側が制服、教科書や授業道具類は卒業生の寄付したものを貸しだされた。
バイトの時給もそれなりに良く、生活は裕福ではなかったが貧しいとも感じなかった。
普通の学生よりは忙しく大変な毎日だが充実感があり、それは明日も続いていくものだとばかり思っていた。
車に轢かれそうになった子供を助けて死ぬだなんて、今朝の自分は想像もしていなかっただろう。
急ブレーキの耳障りな音、ボールを持ったまま固まる子供の姿、考えるよりも先に体が動いていた。
痛みは無く、次に目を開けばこの無人の列車に揺られていた。

人間いつ死ぬか分からないとはまさにこのこと。子供の安否が確認できないのが唯一の心残りだが、いや、他にもたくさん心残りはある。
本当は学校だって卒業して、出来ることなら大学に行って勉強をして、安定した仕事に就いて、可愛いお嫁さんを貰って子供と遊んだり親子喧嘩なんてしちゃったりして、老後は孫の顔を見ながら縁側で緑茶でも啜り年金で悠々と暮らして老衰で死にたかった。
第一自分が死んでしまったらおふくろの墓や仏壇はどうする。もう瑞々しい花を携えて墓参りに行く人もお仏飯を供えて線香を焚く人もいないじゃないか。アパートの裏に住んでいるあのノラ猫に餌をやる人もいないし、忙しいバイトの空きを埋めるのはなかなか大変だろう。
父方の方とは縁を切っているから親類と言えども葬式をあげてくれるか怪しい。それ以前に妾の子である自分が一体どこに住んでいるのか、どうやって生活しているのか自体を知らないだろう。
無縁仏は嫌だなと思う。遺体は適当に寺に放り込まれるのだろうか。宗派で弔い方は違ってくる。どうするんだろうなと他人事のように思う。
いくら思考を巡らしたって生き返るわけじゃないのは分かっているがそれでも自分の死後の日常を考える。
せめてもの救いは、心残りは多けれど後悔は無いことだ。
子供を助けた事に後悔は無い。率先して生きるべきは幼い命だろう。
自分もまだまだ若いが、きっとあの子供には死んだら悲しむ両親や友達、これから出逢う大切な人たちも居るはずだ。
それに心のどこかでは亡くなったおふくろや幼馴染にまた逢えるだろうと弾んでいる自分が居るのも真実だ。
それを考えると、やっぱり子供を助けたのは正解だったのだ、うん。間違いない。

ゴトン、ゴトトン。列車は不規則に揺れた。


「あの、お隣失礼してもいいですか」

自分に掛けられたと思しき声に目を覚ました。
―ドアが閉まります。ご注意ください。
動き出した列車が大きく揺れた。ぐらつく体を支えるために声の主は慌てて座席の手摺りに重心を置いた。
手前の椅子を進行方向とは逆にガシャンと動かす。向かい合わせの形になった。
「どうぞ」
手摺りに身を預ける彼を見上げて言えば、気恥ずかしそうに少し笑った。つられて俺もへらりと笑う。
「誰も乗っていないんですね」
不思議そうに目の前の少年は呟いた。
「そうなんだ。俺の他にはあんたが初めての乗客かなぁ」
「・・・そうですか」
不安そうな様子に少しでも気を和らげればと話題を変える。不自然なほどの無人の列車なんて誰でも不安が出てくるものだろう。俺は持ち前の順応性と先に乗っていた余裕がある。
「俺はアリババって言うんだ、お前は?」
「白龍と申します、ところでアリババ殿はいつからこの列車に乗っているのでしょうか」
「気が付いたら乗っていたって感じかな、不思議だよな」
「俺も、気が付いたらこの列車に揺られて」
「そっか」
他の車両には人がいないんですよね。
うん。俺も最初は誰かいないか全部の車両を見回ったけど誰も居なかったよ。

ゴトン、ゴトトン。外の景色が俺の記憶には無いものに変わっていった。白龍がごくりと息を呑むのがわかった。

「綺麗な景色だな、こんな澄んでる湖は初めて見るぜ」
「そう、ですか。俺は一度幼い時にこれとよく似た湖を見たことがあります」
いいや、よく似た、なんてものじゃない。この風景はあの時の記憶そのものだ。
大きな湖を過ぎれば霧深い山に変わっていった。ありえない。同じ標高でここまでの霧はある程度の条件が揃わなければ発生しない。それどころか、自分の記憶にあるあの風景と一緒だ。なにかがおかしい、流れ去る風景も段々と記憶の新しいものに近付いてくる。
これではまるで、走馬灯のようだ。


「俺さ、車に轢かれちゃって気が付いたらこの列車に乗っていたんだ」
頬杖をつきながら彼が不意に言葉を零した。視線は外の風景に向いたままだった。
もしかすると、彼も自分が列車に乗る前に同じような記憶の中の風景を見たのだろうか。
随分前から記憶に一番新しい風景は、そこからフェナキストスコープの様に繰り返していた。
唯一変わって行くのは太陽が低く、日が沈みかけてきたことだった。
「この列車、どこに向かっているんだろうな」
夕陽に照らし出された彼の金の髪がキラキラと輝いた。眩しくて目が眩みそうだと視線を下げた。
長い間使っているのだろうか、汚れたスニーカーは底が擦り切れていた。
「アリババ殿は、この列車を一体何だと思いますか?」
「お前はなんだと思う?」
視線を俺の方に向けてアリババ殿が質問を質問で返してきた。聞いているのはこちらだというのに。
「冥界への渡し船だと思います」
「俺もそう思う。ただ俺たちの場合は無銭乗車だけどな」
こんな経験なかなかないぜとケラケラと面白そうにアリババ殿が笑う。俺はまったく笑えない。
「そういえばさ、白龍はこの列車に乗る前は何してたんだ?」
俺だけ死因話したのに白龍は話してないとかフェアじゃ無いじゃん教えろよ―っと足先で突かれる。案外この人は遠慮がない。
段々と凶暴な動きになってきた彼の足を両足で挟み込んで動きを止めると、余計に内側で暴れ出したので汚れ一つないローファーでスニーカーを踏みつぶすとようやく大人しくなった。

「ここに来る前は寝てました」
「は、」

お前言葉ちゃんと話せよといった雰囲気をありありと感じさせる声色だった。
「だから、寝てたんですよ。部活が終わって家に帰って疲れたから少し仮眠のつもりで」
「何それお前死んでないじゃん」
「だから不思議なんですよこの列車。外の景色、あれって走馬灯でしょう」
眠っていて急死することとかあるんでしょうか。さぁ、でも1年下の奴で、その日は頭痛が酷くて母親に学校休んで部屋で寝てるって言ったらしいんだよ。それで寝てるとは言ったもののあんまりにも長い時間寝てるもんだから、母親が起こしに部屋に行くと冷たくなって死んでたんだってさ。クモ膜下出血ってやつ?だったらしいぜ。へぇ、そうなんですか。でも俺は特に持病も頭痛もありませんから。ほんと、何ででしょうね。なんなんだろうな。
「それにしてもそいつも若いのにご愁傷さまだよなぁ」
「それを言うならあなたも随分若いじゃないですか」
「そりゃそうだけどさぁ、親とか悲しんだだろうな。親孝行もまだなガキだろ、逝くのが早過ぎる」
「そんなのアリババ殿も同じじゃないですか。親御さん、心配してると思いますよ」
「俺はいいんだよ。追うだけだから」
困ったように笑う彼に、追うってなんですかと聞き返そうとしてやめた。つまりはそういうことだろう。
戸惑った俺に察してか、アリババ殿は夕陽に目を細めながら言った。追うのは平気だよ、逢いに行けるから。置いていかれるつらさよりもずっと楽だよ。

ガタン、ゴトン、ゴトトン、どこに向かっているのか、分かるようで分からない無人列車は変わらない調子で揺れた


本も音楽プレイヤーもない車内は暇で、お互いの事をたくさん話した。家族の事、学校の事、部活、バイト、友人関係やどうせ死んでいるんだからと、普段なら絶対人には言わないだろう秘密まで。出会った時間は短いけれど、心の距離は今まで出会った誰よりも近く感じた。
話すのに疲れると少し眠った。それでも列車で熟睡するのは難しく、30分もすればどちらもパチリパチリと目が覚めた。話題が尽きるとしりとりをして時間をつぶした。白龍がしつこくま攻めをしてくるので最終的に言葉が思いつかずにアリババが負けた。
年下に負けたのが随分悔しいらしく地団太を踏んでいる様子がどうしても自分より上の年齢には見えず、吹き出したら睨まれた。涙目で睨まれても全然怖くない。余計に笑った。

「この列車さぁ、いつになったら終点に着くんだろうな」
「そうですね、もうずいぶん長い間乗っていますからね」

終点なんかなくて、永遠にぐるぐる走っているのかもしれねぇなぁ

「それもいいかもしれませんね」
言えば、きょとんとした顔でアリババ殿がじっとこちらを見た。永遠に列車の中とか、怖くねぇのお前。
人間贅沢なもので、永遠が欲しいと言いつつ終わりの見えないそれに怯える。でもいざ終わりが近づくとなると永遠が欲しいと喚くのだ。厄介な生き物でほとほと困る。
「そうですね、一人だったらそれこそ気がおかしくなるかもしれませんが、アリババ殿と一緒ならそれもいいかなと思います」
「永遠に二人きりでもか?」
「生きている時よりも今こうしてアリババ殿と一緒にいる方が俺は嬉しいです。永遠だって構いやしませんよ」
「お前、うっわ・・・」
よくそんな恥ずかしいこと言えるなぁ。そう言って俯きながらそっぽを向く彼が可愛く思えて、もっとよく顔を見ようと覗き込むと、ばっかやめろよ見るんじゃねぇとだんご虫の様に丸まってしまった。
自身が意地の悪い性格だと言うのは自覚しているので、彼に跨って脇腹をくすぐる。だんご虫はくすぐりに弱いらしく、足をバタつかせてはひぃひぃ笑いだした。だんご虫から降参した犬に変わるとくすぐりの刑から解放してやる。昔々、とある国ではくすぐることが刑罰の一つにあったらしい。笑う事が続けば酸欠になる。笑いながら死ぬなんて恐ろしい、あなどりがたしくすぐりの刑。
短く呼吸をし、息を整えているアリババ殿を見ると本当に犬の様だと思う。笑い過ぎて涙の滲んだ目元は少し赤く染まっていた。
涙を拭ってやるとへらりと笑う。お前手加減なさすぎ。良いじゃないですか腹筋が鍛えられて。性格わっる。どうもありがとうございます。
すました顔で言えば何が面白いのかアリババ殿が吹き出した。イラついたのでまた脇をくすぐり出せばやめてください白龍さまぁっ!とわざと高くした声で身をねじらせた。正直気色悪い。脇をくすぐっていた手を止めてお互い顔を見合わせて吹き出す。

ああ、やっぱりこの人となら永遠に一緒でも構わない。モノクロの日々よりもこちらがいい。金の色がじわじわと侵食していくのがわかった。


ゴトン、ゴトトン、代り映えしない列車に変化が起こったのは次の日の朝だった。

「切符を拝見させていただきます」
くるみ割り人形の車掌バージョンとでも言うかのような風貌と、ボタンを押せば声が出るぬいぐるみの様な甲高い声に、俺と白龍はビクリと肩を震わせた。なんだこのちっさいの。
「切符を拝見させていただきます」
さっきよりも口早に言われた。はやく切符を出せと言わんばかりだ。
「いや、あのさ、悪いんだけど気が付けばこの列車に乗っていて。切符、持ってねぇんだ」
ハハハ、と乾いた笑い声を出して白龍と視線を合わせる。誰も乗っていないものだとばかり思っていた。でもこんな人形昨日は何処にもいなかったはずだ。つか、検札なんてあったのかよ。
「いいえ、必ず切符を持っていらっしゃるはずです」
甲高い声で人形が詰め寄る。あまり足元に近づかれると蹴りそうで怖い。
「そんなこと言われても・・・」
人形は自身の制服のポケットをトントンと両手で軽くたたいた。ポケットの中身を見ろと言う事か。仕方なくごそごそとポケットの中身を漁る。カサリと、紙に触れる感触がした。目を見開く。
恐る恐る紙を取り出すと真新しい切符が出てきた。文字はなんの言語か分からなかったがとりあえず人形に差し出した。
満足そうに人形が切符を受け取るとハンコを押す。
「終点までですね。はい、どうぞ」
「どうも」
これまた何の模様か分からない赤いハンコの付いた切符を睨む。まじでこれ何語だろう。なんとなく地球上にある文字では無いなと思った。
「そちらのお客様は?」
ギギギ、と人形の首が白龍の方を向く。彼もポケットを漁ると切符が出てきた。しかし俺とは違う、白紙だった
戸惑いつつ人形に白紙の切符を渡す
「こりゃあ珍しい」
白龍と二人で首を傾げる。お客さんあんたホントめずらしいねぇ、白紙の切符なんて以前に拝見したのは70年前だったかな。あの時は私の7倍くらいの小さなお嬢さんだったよ。迷子の乗客なんて久々だね、本当に。
「迷子の乗客?」
訝しそうに白龍が眉間にしわを寄せた。
「そもそもこの列車は一体何なんですか、乗客は誰も居ないし外の景色はまるで走馬灯だ」
捲し立てる様に言葉を吐いた白龍は、いささか乱暴に人形をつまみあげた。首根っこを母猫に噛まれたような人形が少し可愛そうに思えてくるが、俺もこの列車の事に関しては気になる。
白龍の指先でプラリプラリと揺れている人形は落ち着いた様子で話しだした。
「せっかちなお客さんですねぇ、お客さん達も本当は気付いているんでしょう?この列車はあの世行きの片道限定列車ですよ」
やっぱりか、深く息を吸い込んで吐き出す。
「じゃあこの白紙の切符は一体何なんだ?迷子の乗客っていうのも意味が分からない」
人形を一にらみして白龍が問質す。人形は楽しげにカタカタ笑った。
「本来はですね、そこの金色のお客さんの様に終点までの片道切符なんですよ」
自分の持っている切符を見る。なるほど。
「しかしですね、たま―にいるんですよ。全く危篤状態からかけ離れてピンピンしてるくせに迷い込んでくるお客さん」
白龍を見る。そういえばコイツはこの列車に乗る前はただ眠っていただけだと言っていた。
「死んだ人間に一番近いのはね、眠った姿の人間なんですよ。死人をよく『安らかに眠っている』なんて言うでしょう?極たまに、寝ているだけのお客さんが間違って乗車しちまう事があるんですよ。寝てりゃあ誰でも乗れるって訳じゃないですよ、もちろん。お二人さんはたいそう波長が良く合っているのでしょうね。なにせ70年ぶりだ」
ちょっと待てと、人形を覗き込む。
「なぁ人形さん、白龍は生きてるんだろ?じゃあこの列車に乗ったらやばいんじゃないのか?だって、ほら、あの世行きじゃんか。だめだろそんなの」
人形はおかしそうに笑う。お客さんもまだ一応生きてるじゃないですか、まぁ危篤状態だろうけど。どうやら俺はまだ死んだわけではないらしい。時間の問題だとは思うが。
「大丈夫ですよ、安心しなお客さん。こういう時のための白切符だ。迷子の乗客が間違って逝っちまわない様に、迷子用の停車駅がありますよ」
なるほど、それなら安心だ。
ホッと息をついて白龍を見れば、ピクリとも動かず固まっていた。
不思議に思い、はくりゅう、と声をかける。ハッとした彼は人形を摘まんでいた手を放した。
「どぅわっとっと!お前っ!人形が壊れたらどうすんだよ!」
咄嗟にキャッチした人形は、流石にこの落下は予想していなかったらしく俺の両手の中で小刻みに震えていた。不憫だ。
何度か背中を優しく撫でるとどうやら落ち着いたのか、白切符のお客さんは3つ目の駅で停車いたしますのでそこで御降車ください!と、甲高い声で叫んだあとぴょんと俺の手から下りて行ってしまった。

「白龍、なぁ白龍」
ゆさゆさと彼の肩を揺らす。人形をジャンクにしようとした彼は一駅通過してもまだ放心状態だった。
停車駅まであと二駅だ。距離がわからないのだから早いとこ彼に意識を取り戻してもらわないと困る。ばかりゅう、と呟いた。泣き虫ばかりゅう、お前のトラウマ1から100まで挙げてくぞ。そう言えば、今まで何の反応も示さなかった彼がモテない愚痴ババ君が何言っちゃってるんですかと生意気な口をきいた。根掘り葉掘り自分の事を話すんじゃなかった。
「お前さー、あと二駅で降車なんだからしっかりしろよ」
不貞腐れた顔の白龍を前にどかりと座席に座りこむ。なんでコイツ不貞腐れてんの。生還できるなら喜ぶだろ普通。それともあれか、トラウマをだしにしたから怒ってんのかコイツ。
ムスリと押し黙ったままの白龍の頭をゆっくり撫でる。そう怒んなよ、泣き虫とか言って悪かったって、お前も俺の事非モテとか言って馬鹿にしただろ、おあいこだろ。仲直りしよーぜ。

いつの日か孤児院の赤い髪の少女をこうして宥めながら撫でていたのを思い出す。孤児院の子供たちはまだまだ幼い子も多く、暇な日は世話をしてあげていた。子守り代も院長からいささか貰えるし、子供の面倒を見るのは割と好きな方だ。
赤髪の少女はあまり積極的な子供ではなかった為、乳を欲しがる犬の子の様に俺に戯れてくる子供たちの輪の中に入ってきたことはそんなになかった。その代わり、俺が一人の夜の間はべったりと付きっきりだった。昼間に思う存分遊んでもらえなかったことが寂しかったのか、日の落ちてすぐは声をかけてもムスリと頬を膨らませ、部屋の端で丸くなっていた。
そうした彼女を宥めつつ公園で作った花冠を被せてご機嫌を取るのが習慣だった。花の冠を頭に載せた彼女は、部屋の隅で丸まっていたのが嘘のようにころりと懐き出すのだ。その変化がなかなか面白かったのを覚えている。
今さらながらにこんなあっけなく死ぬなら、一度くらい孤児院に遊びに行けば良かったな。

「アリババ殿」
「ん?」
撫でていた手をゆっくりと外され両手で大事そうに包み込まれる。
首を傾げれば、包み込む手に力が加わった。どうかしたのかと目線を合わせると、今までにないくらい真摯な目をした白龍と視線がかち合う。

「一緒に降りましょう」


列車の景色からは、白龍が降車する予定の停車駅の看板が見えていた。
本来ならばそこで別れを告げ、墓があるかわかんねぇけどたまには墓参りにでも来てくれよな!と列車の窓から爽快に手を振ってやろうと思っていた。
だが現状は汗まみれの爽やかとは言い難いものだった。

「いやいやいやいやいやいやいや!だから駄目だって言ってるだろ!?」
「何故ですか!アリババ殿だって生き返りたいですよね!?危篤状態から奇跡の復活を遂げたいですよねそうですよね!」
「だから駄目だって言ってるだろうが!せっかく死ぬ決心しておふくろと幼馴染に再開した時のセリフまで考えてたのに今さらさぁっ!」
渾身の力でドアまで俺を引っ張って行く白龍と、これまた渾身の力で白龍を振り切ろうとする俺の壮絶な体力バトルが繰り広げられていた。というか汗臭い。車内の中でこの車両だけ異様な熱気に包まれている気がする。あと白龍君痛い痛いもっと優しく腕を掴んで下さい、いやむしろ離して下さいお願いしますお母さんお前をそんな聞きわけの悪い子に育てた覚えはありません。
「大体、お前だけ降りればいいだろう!?お前は間違って乗っちゃったかもしれないけど俺は元からこうな「煩い!!」

車内に声が反響する。白龍は唇をかみしめて少し泣きそうな目をしていた。
なんでお前泣きそうなの、泣き虫ばかりゅう

「置いていかれるのはつらいって、アンタそう言ったじゃないですか」
弱弱しい声で白龍が呟いた。声はかすれていても俺の腕を掴む力を緩める気は無いらしい。ギシリと腕が鳴る。鈍い痛みに眉間にしわが寄る。
「お前の言いたいことは分かるよ、でもさ、割り切れよ」
「割りきれません」
「割り切れ」
「嫌です」
「馬鹿」
「阿呆」
「泣き虫」
「非モテ」
いっそこいつを殴って振り払ってしまおうかと思う。お前がそこまで執着する理由が俺には分からない。
それに本能が終点へ向かえと言っている。人間誰しも潮時があるのだろう。俺の潮時はここまでだ。
電車が大きく揺れた、――停車いたします。開くドアと足元に気を付けてお降りください。
ブレーキをかけた揺れで全身がぐらつく。
そのまま開いた自動ドアに白龍が背中から飛び込む形で、これが最後の好機と言わんばかりに俺を引っ張った。
重心は手前に傾いており、足は浮いている。もうどうにでもなれと目を瞑る。だが急に片足が何かに掴まれたように動かず、上半身だけをだらりと白龍にもたれ掛る姿勢になる。

『白切符以外のお客様の途中下車はお断りしております』

しわがれたような老人の声に、ノイズが混じったような、そんな不快な声だった。


ようやく見つけたと思った色は、自分とは違い、あの世である終点まで行かなければならないのだと言っていた。それはもう本能の類で、下車することはできないと彼は首を横に振った。俺は嫌だと言った。聞きわけの悪い子供の様だと困った顔をされた。
それでも、そうやすやすと手放すわけにはいかないでしょう。だってここで貴方と別れてしまったら今生の別れになってしまうじゃないですか。料理が得意だと話せば、俺の手料理を食べてみたいって言ったじゃないですか。あの世に食材と調理器具がなかったら、俺がいつか遠い未来貴方の傍へ行くことが出来ても、自慢の手料理を振る舞えませんよ。
無理やり引き寄せた彼の体は、列車からその身をすべて乗り出す事は無かった。それは彼自身も不思議そうな顔をしたが、しわがれた老人の声のする方を振り向けば、端正な顔立ちが恐怖で凍りつくのがわかった。
アリババ殿の右足にどろどろに溶けた鉛の様な赤ん坊がしがみつき、再度、繰り返し言った。
『白切符以外のお客様の途中下車はお断りしています』

ヒッッと、アリババ殿が息を呑むのがわかった。どろどろとした赤ん坊に表情は無い。目と口はは黒く窪み、どろりと溶けだすその体には良く目を凝らせば小さい顔がびっしりと張り付いていた。
『終点まで行かなくちゃ、さぁほら戻って、戻って、皆一緒だから怖くないよ』
さぁ列車に戻ろう、と優しい言葉遣いではあるが、その声は赤ん坊の肢体には似つかわしくない老人の声で、余計に気味の悪さが膨らむだけだった。
「アリババ殿っ、こんな化け物と一緒に居てまで死にたいんですかっっ!」
「無理っ!嫌だ!こんなキモい生き物と一緒とか生きてる方がマシだっ!」
「だったら俺と来て下さい!」
そう言えばアリババ殿は涙目になってこくこくと何度も首を縦に振った。了承は得た、もう後から文句は言わせない。
アリババ殿の上半身をぐいと肩に背負う。一瞬驚いたようだが空いた手をすぐに俺の服に掴み直した。普段皺ひとつない制服にぐしゃりとしわが寄る。
赤ん坊はどろりとした手をアリババ殿の足に必死に絡ませてくる。汚い手でこの人に触るな。赤ん坊の顔面にローファーをめり込ませる。くぐもった声が聞こえたが無視して蹴る。それでも手はしがみ付いたままだ、しつこい。

ゴトン、と列車が動き出した。ヤバイヤバイこれはヤバイ。にたり、と赤ん坊が笑った気がした

「はっ白龍!列車が!!」
「分かってます。それよりもアリババ殿っ!貴方のそのおんぼろスニーカー、一足無くなったって困りませんよねっ!?」
「えっ、いや、何言ってんのお前、コレは俺の持ってる唯一の靴で「そうですか分かりました捨てても構わないという事ですねありがとうございま、すっ!」
アリババ殿のスニーカーと踵の隙間に足先を割り込ませて、思いっきり蹴りあげた。アリババ殿が色気のない悲鳴をあげて白龍てめぇ殺す!などと喚いた。しがみついていたほとんどの面積であるスニーカーごと外され、赤ん坊は潰れた蛙のような醜い声をあげた。キモッ
それでも、またすぐにアリババ殿の足へ手を伸ばそうとしたところをウザイ、と赤ん坊特有の大きな頭部に容赦なく蹴りを入れる。俺にしがみ付きながらもチラリと一部始終を見ていたアリババ殿は最近の若者は短気で怖いとボソリと呟いた。

ゴトン、ゴトトンと遠退いて行く電車を二人重なるように地面に寝転がったままの状態で見送る。
蹴りつぶされて頭部が変形した赤ん坊は、車両から頭だけをのぞかせて悔しそうにこちらを見ていた。
「ざまぁみろ」と胸中で吐き捨てる。
赤ん坊を散々蹴りあげたせいで、ローファーはどろどろになっていた。どろりとした粘液が、あの赤ん坊の一部だと思うと気持ち悪かったので脱いだ。おそろいじゃん、とアリババ殿がヘラリと笑った。つられて俺も笑う。
「白龍、あのさ」
「なんですか」
「ありがとう、助けてくれて、本当にありがとう」
日に照らされて笑う彼に、眩しさを覚える。体中の熱が顔に集まったように熱い。
何々、白龍ちゃん照れちゃったの―?と面白がって俺を突いてくるアリババ殿を黙って下さいと包み込むように全身で抱きしめる。苦しいだの汗臭いだの非難の声が腕の中から聞こえるが聞こえないふりをする。
「・・・どういたしまして」
絞り出した声は裏返って、腕の中の彼は笑いをこらえるように肩を震わせていた。


目を覚ますと天井は白一色だった。

起き上がろうと体を動かすと声にならない悲鳴が出た。痛いなんてもんじゃない。なんじゃこりゃ。
どうやら部屋は病室の様で、ナースコールをしようにもこれじゃあ無理だと大人しく布団に収まる。治療費いくらかかるのだろうかと考え出すと、やっぱり死んだほうがましだったのではないかという思考がよぎるが、せっかく繋いだ命だ。返済に何年かかるか分からないけれど、生きていればどうにかなるだろう。
ガシャンとガラス製のものが割れる大きな音がした。首を音のした方に向けると、青い髪をした子供が今にも零れそうなほどの涙を目に浮かべてわなわなと震えていた。なんかこいつ見たことある気がする。どこで見たっけ、というか子供の足もとに飛び散った花と花瓶の欠片が危ない。怪我するぞお前。
「おい、おま「お兄さんが目を覚ました―――――――――っ!!」
お前足元危ないぞと注意してやろうと思えば、子供独特の高い声が病室いっぱいに響いた。傷に響くだろうが。それから病院内は静かに。めっ。
ぱたぱたと駆け寄って来た子供は嬉しそうに「お兄さん大丈夫?痛くない?」としきりに聞いてきた。大丈夫だけどお前の声が響いて痛い。と言えば多少は大人しくなったが、それでも興奮気味に俺に話しかけてくる。なんでこのガキはやたらと俺に構うのだろうかと小首を傾げると、お兄さん、車にひかれそうになった僕を助けてくれたじゃないか!と頬を膨らませた。
「そっか、お前あの時の子供かぁ」
もう道路の近くで遊ぶ時は周りに注意してから遊ぶんだぞ、お前は怪我は無かったか?、無事でよかったな。
子供の頭をわしゃわしゃと混ぜる様に撫でると嬉しそうに喜んだ。
お兄さん名前は?アリババ君って言うんだね、僕はアラジンって言うんだ、あの時は僕を助けてくれてありがとう!アラジンが俺に抱きつく。痛い。げんこつを繰り出すことですら今の俺には気力と体力と痛みを伴うのにコイツめ。
げんこつを食らいふるふると震えるアラジンにナースコールを押すように頼む。飛び散った花瓶の破片は清掃の人に片づけてもらうように伝えると、二つ返事で駆けて行った。一人きりになった病室で大きく息を吐く。ひどく疲れた。

ナースのお姉さんや初老の先生が病室に来てからは、俺の疲労困憊した脳みそにめまぐるしく情報が入っていった。
俺が目を覚ますまで、非常に厳しい危篤状態だったこと。アラジンには両親が居らず、後見人はあの有名冒険小説家シンドバッドさんだということ。治療費・入院費諸々をシンドバッドさんに出してもらう事になった瞬間には、今度は心労で死に掛けるんじゃないかとクラクラ目眩がした。
車にもろ真正面からぶつかってしまった俺の体は、奇跡的に後遺症は無いものの、リハビリには数カ月掛かるらしい。申し訳なさそうにしているアラジンの頭を撫でながら当面の事を考えると流石にため息が出た。特待生だけあって長期間学校を休むのは危ない。リハビリ期間中は通信教育に変えてもらえるそうだが出席日数からして進級出来るかがヤバイ。バイトもクビだろう。入院期間中のお金の面倒を見てもらえるのは有難いが問題はそれからだ。


「住み込みでハウスキーパーなんてどうかな?」
「はい?」
ある程度動けるようになったらリハビリを兼ねて俺の家で家事をするのはどうだろうか。とシンドバッドさんが切り出したのは入院3週間目の事だった。
今まで一人暮らしだったんだろう、それならアリババ君家事出来るよね、生憎我が家は家事ができる奴が居なくてね、アラジンも育ち盛りだし外食よりも家庭料理をたくさん食べた方が健康にもいいだろう?それに一人暮らしよりも何かあった時に周りに人が居た方が万が一のことを考えてそっちがいいだろう。お金もちゃんと出すから後の生活費の心配もしないでいいよ。
ニコニコニコニコ、何か異論はあるかい?といった様子である。
アラジンはというと、俺のパジャマの裾をぐいぐい引っ張って「アリババ君僕のおうちに来るの!?一緒に住めるの!?ねぇねぇ!」と瞳をキラキラ輝かせていた。 言葉は右から左に流れて行って、俺はシンドバッドさんの言葉の意味を十分理解するのに1分ほど必要とした。

言葉を理解し、俺が自らの叫び声で治りかけていた傷口を開き身悶え、のた打ち回るまであと30秒


あの冥界行きの片道列車の夢から数カ月が経った。

日が経つにつれて明瞭だったはずの記憶も今では断片的で曖昧な記憶になっていた。ただ、それでもアリババ殿の日の光の様な笑顔は鮮明に覚えていた。
なんとなく、あの夢で出会ったアリババ殿はきっと現実に存在しているのだろうと思った。自分があの夢から目覚めたのは家に帰宅して眠りこけてから1日半も経っており、その間どんなに声をかけても、揺さぶっても叩いてもピクリとも起きなかったと不思議そうに姉上が話していた。
そんなことそう簡単に起こるはずがない。アリババ殿の通っていると言う学校もネットで調べたところ実際に存在していた。何より起きた時に制服のポケットに白紙の切符がその存在を誇張するかのようにありありと夢で見たままの形で出てきた。
再開したモノクロの日常は、すぐに俺を鬱陶しげな気分にさせた。あの金色を追慕した。吐きだしたため息は空気に混ざった。
最近は大会が近いだけあってか、部活の練習は完全下校時間ギリギリまで続いた。努力は日々積み重ねるものだし、それが肥料となり枝をのばすものだと分かってはいるが、あの日から練習にまったく身が入らない。喪失感で心にぽっかり穴があいたようだ。
今日も顧問のザガンに「白龍君やる気あるのぉ?そんな枯れたアレカヤシみたいになよなよしちゃってさぁ」とまったく理解のできない例えでなじられた。顧問に耐えきれず退部届を出す日も近いかもしれない。
家に一番近い道筋の公園を突っ切る。いつもなら人目を避けずにベンチでいちゃつくカップルが居るため避ける道だが今日は早く帰りたい。さっさと公園を過ぎると車道に繋がる階段を2段飛ばしで駆け下りる。
ゴウゴウと空に音が響いた。見上げればチカチカと光る飛行機が夜の闇に軌道を描く。今日は雲が少ない、星が良く映えた。人工では作れないきらきらと光る輝きにあの人を思い出す。
不意にケータイのバイブレータが鳴った。慌てて取り出す。見たことのない番号だったがとりあえず電話に出ると子供の楽しそうな甲高い声が響いた。顔をしかめながら耳元からケータイを離す。いたずら電話とは悪趣味な子供だ。
通話を切ろうとボタンを押しかけたところで息を呑んだ。
『ねぇねぇアリババ君!誰に掛けているんだい?』『だぁ―っ、もうアラジンちょっと静かにしろ!向こうの声が聞こえないだろうが!』

アリババ君、と呼んだ子供の声。懐かしさと愛おしさが込み上げる彼の声。アリババ殿の、声

齧りつくようにケータイに耳をあてると調子のいい彼の声が鼓膜に響いた。
『あー、もしもし白龍?俺だけど、俺俺ってこれじゃあオレオレ詐欺か。アリババだぜ。憶えてるか?』
憶えているもなにも!あの日から貴方を忘れたことなんて一度もありませんよ、それどころか貴方が気になって部活も碌に身がしまらずに顧問になじられ続けていますという言葉は呑み込んだ。ごくり。
「なんで俺のケータイ番号知ってるんですかあんた!それより今まで一体何してたんですか!?」
『いやいや、なんでって言ったって列車の中で教えてくれたじゃんか。アリババ様の記憶力なめんなよ―』
これでも特待生なんだぜ、とケタケタ笑いだした。そんなの知ってますよ。
一息つくと、アリババ殿はあの列車のその後についてポツリポツリと話しだした。あのシンドバッドの家で、住み込みでハウスキーパーをリハビリと兼ねてやっているいうのにはさすがに驚いた。何やってんだアンタ。どうしてそうなる。
『そうそう、それでさー白龍。今度家に泊まりに来ねぇ?』

咽た。

『うわっ、ちょ、何いきなりむせてんだよ大丈夫かよお前』
「ケホッ、コフッ。いきなり突拍子もないことをあんたが言うからですよ!」
『突拍子もなくねーって、白龍料理上手いんだろ?俺、そろそろ料理のレパートリー怪しくなって来てさぁ、温情からのハウスキーパーって言ってもお金は貰ってるんだしいろいろ食べさせてあげたいじゃん。家、大食漢の子供が居るんだよな。幼いうちからいろんな味覚を知るのは成長にも良いらしいしさ、泊まり込みお料理教室開いてよ白龍せんせ』
「俺にメリットがあるようには思えない内容ですね」
『一緒に死に掛けた仲じゃないですか白龍せんせー。それに俺、白龍の手料理食べてみたい』
「しょうがないですね、俺の手料理しか一生食べれないって叫び出すぐらい美味しい料理振る舞ってやりますよ」
電話口から「やったー」と気の抜けた声がする。さっきの言葉は割と本気だ。
『それじゃあ、何時頃空いてる?』
「さ来週の土日なら、大会も終わってますし空いてますよ」
『分かった。さ来週の土日っと、3日前くらいに詳しい事また話そうぜ!あ。今さらながら夜にごめんなー』
「いいえ、部活帰りだったので別に構いませんよ」
『そっか、部活生はお疲れさまだな。じゃあまたな!おやすみ』
「ありがとうございます。おやすみなさい」

パタンとケータイを閉じる。さて、家に帰ったら宿泊の許可とレシピの選抜をしなければ。

「とりあえずは、胃袋を掴むのが先ですかね」
どこか弾んだ少年の声が、夜の空に溶けた。

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