いとしのきみ

スティーブンは猫だ。 頬に傷のある、シルバーグレーの毛並みのスラッとした美しい猫。それが僕。
スティーブンという名前は今の同居人が付けた。スティーブンを招いた日にちょうどスティーブン・キングのペットセメタリーを読んでいたそうだ。僕の名前の由来は小説家だ。
スティーブンは元々野良猫だった。
狩りが上手く、身のこなしも軽い。縄張り争いに負けたことなど1度たりとして無かったのだ。孤高の猫であった。
しかし、紆余曲折を経て今は同居人、レオナルド・ウォッチの家に住んでいる。そして彼は同居人でありスティーブンのパートナーであり番である。スティーブンはそう確信している。
でなければ怪我を負ったスティーブンを動物病院に抱えて行ったり、暖かい寝床や食事を与えブラッシングをする説明がつかない。求愛行動以外の何物でもないじゃないか。
それにレオは「愛してますよ」「最高に可愛い!」「今日も一段とクールでイケてますね」と毎日褒め称えるのだ。
最初こそ怪我が治ったら出ていこうと思っていたのに、あまりにも熱心に愛を囁いてくれるのでスティーブンは番うことを決めた。
自分の好みとはだいぶ違うが、彼の指先や唇、柔らかい声が自分の名前を呼ぶ事に愛おしいと気付いたから。
彼の愛に応える為、鼠や蛇を寝床に持って行ったりもしたが、彼は悲鳴をあげて外へと逃がしてしまうので今では落ち葉や花を置くようにしている。それしか受け取ってくれないのだ。しかしベッド下の箱には僕からの贈り物を大事に取っておいてある。可愛い奴め。
眠る時は何時も同じ布団の中。路地裏で寝起きしていた頃には戻れない温もりだ。
あまりにも居心地が良すぎて無意識のうちにふみふみとレオの腹を揉んでしまったのは失態だった。なんだってこんな良い位置にふよふよした腹があるんだ!くそっタレめ。ふみっ。
ともかく僕らはとても良い関係を築けていた。
途中、音速猿のソニックも加わったが彼との関係も良好だ。
それが永遠に続くと思われた矢先の事件である。僕はレオとの間にある認識を見直さなければならぬ事態となった。

そう、そうなのだ。レオナルド・ウォッチはスティーブンの事を番だとは思っていなかったのである。

これは大いにショックな出来事であった。
あの蜜のとろけるような日々は一体なんだったのか。更にショックを上乗せするかのように彼は職場の人間に惚れているらしい。その名もスティーブン。僕と同じ名前のせいで時折呻かれていた「スティーブンさん好き・・・!」の言葉はてっきり僕に向けたものとばかり思っていた。
いや普通そう思うだろ。今日も僕は熱烈に愛されているなと悦に浸っていた自分が滑稽だ。こんな仕打ちってない。詐欺だ。情愛と信じていたものが親愛だなんて今更言われても困るしどう責任取ってくれんだ。
レオナルド、僕はもう君を愛してしまったんだぞ。

猫に既視感を感じる事などあるのだろうかとスティーブンは一瞬疑問に思った。
頬の傷も、スーツに似たグレーの体毛も、赤銅の瞳も、人を小馬鹿にした様な見下す視線も。実に良く似ている。猫ではあるがスティーブンに似ているのだ。
首輪に注目すればこれまた(Steven)と彫られていた。
ここまで来るといっそ笑える。
柵の上の猫にチッチッチッと舌を鳴らし指で誘ったが滑稽な生き物を見る目で一瞥されただけであった。何だこの可愛く無い猫は。愛玩動物ならもっと人間様に愛想を振りまけ。媚びろ。
興が削がれて歩き出せばトコトコと一定の距離を保ちながら着いてくる。
「用があるなら言ってくれなきゃ分からんよ」
当然返事などなく見定める様な視線しか返って来ない。
「僕に着いてきても餌なんかやらな「スティーブン!やっと見つけた!遅くなっても帰って来ないから心配し・・・えっ嘘スティーブンさん?」
心底驚いたという顔をしているのはレオナルドであった。でも僕も心底驚いた。表情に出すようなヘマはしないけど。ましてやこの子の目の前でなど。
「何だ少年、この猫は君のペットだったのか」
随分と親近感が湧く名前をしているね。少年は顔を赤くさせたり青くさせたりと忙しない。見られたくないものを見られた、そんな感じ。
「ライブラに入る前に付けたんです。深い意味は無いというか偶然の産物と言いますか」
僕の事を知っていて名前を付けたのなら意味合いは大きく変わるのだが、僕からすると希望的観測で。まぁ嘘が下手な彼の事、本当に偶然一致してしまったのだろう。
「てっきり僕に似ているからだと思ったんだがな」
「猫の方が先ですよ、僕視点の話っすけど。ほら、早く降りて来いって!」
話を逸らしてレオナルドが腕を広げる。猫は一声鳴くとその胸に飛び込んだ。少年の耳朶を甘噛みして首元に擦寄る。君も少年を好きなのか。なるほどなるほど益々そっくりだよ僕らは。
「急に出て行って心配したんだぞ。夜は危ないんだから家に居なきゃ駄目だろ」
軽く持ち上げて鼻先にキスを落とした。言葉は叱っているが行動は正反対と来たもんだ。それにしたって可愛いことしやがるなおい。僕にもしてくれよなんて口が裂けも言えない。

猫はふふんと見上げてくる。
散々似てる似てると思っていたが前言撤回しよう。僕らは全く似ていない。こっちのスティーブンは片想い、そっちのスティーブンは両想い。エベレスト級の差がそこにはある。差を埋めて登頂に成功できるかは自分次第。
「えっと、じゃあこれで。おやすみなさいスティーブンさん」
「ああ、おやすみ」
レオナルドの肩から覗かせるそのふてぶてしい面。愛玩動物なら愛でたくなる顔をしたらどうだ。こんな畜生に敗北を期してしまうのかスティーブン。それってかっこ悪きゃしないか?
レオナルドとの距離は高々数メートル。長い脚なら二、三ステップで隣に滑り込める。
たったそれだけの距離なのだ。

「止まれ少年!」
「はいっ!?」

一、二、三、おっと一歩足りない、残念四ステップだ。ま、誤差みたいなもんだろこれは。
彼の横に立てば猫のスティーブンは毛を逆立てた。

「もう遅い。せっかくだ、家まで送って行くよ」

頬を赤く染めた少年は可愛かったが如何せん隣のスティーブンの唸り声は汚い濁点塗れだ。
僕はニッコリと笑いながら少年の腰に手をまわす。
猫の表情は案外豊かだとその時気付いた。
残念だったなスティーブン。人間のスティーブンにこれからお前はダシにされるのだ。レオナルドと僕を繋ぐ架け橋になってもらうぞ。ははははは、威嚇したってもう手遅れだ。せいぜい愛のキューピットとして頑張ってくれ。

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