神学生パロ/モブ

芳春

神学生といっても結局のとこ中身は悪ガキでしかないのだという事は本人達が誰よりもよく分かっていた。
どれほど賛美歌を歌おうが神に祈りを捧げようが、頭の中では年相応に碌でもない事を考えているし、制服のローブの中は食べかけのチョコやらネズミを模したおもちゃの有象無象が詰まっている。
聖堂の裏庭は教科書を見飽きた生徒達の隠れ場であり、喧嘩も馬鹿騒ぎする場もそこだ。調子のいい日にゃ喧嘩を見物として賭事までし出す有様だった。
真面目な生徒だって数多く居るけれど、裏庭に集まる生徒達は大半が悪ガキだった。
他のティーンエイジャーに比べれば俺たちは大層お行儀がいいだろ?それに娯楽が少ないんだから仕方ない。今まで1度もバレた事がない。つまりだ!これも神の思し召しってやつだぜと皆が皆、口を揃えて言うのだった。
「俺はジオルに全額賭ける!」
「今度こそスティーブンを打ち負かせよ!」
「ダリンもいい線行ってたんだが駄目だったなぁ」
「今回ばかりは行けるだろ?負け無しのあだ名だってあるし」
「いいやどうせまたスティーブンの勝ちだろ?俺は30出すぜ!」
「なら俺は40だ!」
紙幣が舞う中レオはどっちに賭けるんだと呼ばれて首を振った。
「僕はどちらにも賭けないよ」
それよりも家族に書く手紙が煮詰まって仕方ないんだ。そっちのほうがよっぽど重要だとぼやいた。
それじゃあつまんねぇだろと四方八方からブーイングが飛ぶが素知らぬ顔で耳を塞ぐ。
そもそも普段から裏庭なんて来ないのだ。レオナルドは比較的真面目な方の部類に入る。ここらに集まっているのは悪ガキばかり。性格は悪い奴らじゃないけれど血気盛んで、巻き込まれるのは真っ平御免。今日だって無理矢理引きずられて来ただけで自分の意思でいるわけじゃない。不可抗力だ。頑なに拒否の姿勢を取っていると賭け金の中心人物が威勢よく声を上げた。
「レオ!それなら俺に賭ければいい!倍になって返ってくるぜ?」
この場に己を引きずってきた元凶、スティーブン・A・スターフェイズは得意そうに言い放った。
その絶対的自信はどこから来るんだと言いたいが裏打ちされた結果があるのだろうと口をへの字に曲げる。自信も度が過ぎれば高慢だと習わなかったのか。いや確かに習ったのだろう。習ったがそれを参考にしていないだけだ。この少年には不必要なものなんだろう。
スティーブンは再度レオに向かって叫んだ。
「俺は安全牌だぜレオ!」
「だーかーらー賭けないって言ってんじゃん!執拗いとジオルに1ユーロ出すぞ!」
無理矢理連れてこられた不満も含めて叫ぶ。断固拒否の姿勢だ。
スティーブンは上げていた口角を不服そうに下方させたと同時に向かいのジオルがやっす!そんなの出してないのと一緒だと喚きだす。腕っぷしの評判が良い彼は1ユーロ程度では不満らしい。
くだらないことに出す金なんて無いのだから仕方ないだろと言い返し、いっそ帰ると立ち上がれば周りからどうどうと引き戻された。観衆は多いに越したことがないらしい。
「分かった分かった。レオがそっちに着くのは癪だから賭け金はもういいよ。その代わりに僕の勝利を祈ってくれる?」
ハンズアップで引いたかと思えば図々しく要求を押し出してくる。それすら様になるのだから美形は羨ましいやら憎らしいやら。口笛を景気良く鳴らす隣の生徒に睨みをきかせてからスティーブンに向けてべっと舌を出す。誰が祈るもんか。
「残念だけど家族と主に祈る分で満員でーす。スティーブンに祈るスペースなんて欠片も残ってない!残念でした」
「みんな聞いたか?僕のマリアは祈ってすらくれないらしい。これじゃあやる気が出ずに負けちゃいそうだ。なんなら不戦敗すらありえるぞ?」
やれやれとわざとらしく肩をすくめた。役者には向かない下手な演技だ。レオナルドに対して当てつけているとしか思えない。
ジオルに賭けた奴らはそのまま負けろと野次を飛ばし、スティーブンに賭けた奴らはレオナルドを小突き回した。祈るくらいしてやれよ!お前のせいで俺の30ユーロが溶けちまう!
そんなの知るかと心底思った。スティーブンという少年はレオナルドの祈りが無い程度で負ける人間じゃない。連勝記録は伊達ではないのだ。それにあれは自分をからかっているに過ぎないのだと。

「僕は、絶対に、祈らないからな!」

もみくちゃにされながら叫ぶ。
スティーブンは糸を引くように目を細め、ニタリと笑った。
おおよそ聖職者とは無縁の、悪魔なんかの方がよっぽど似合いそうな笑い方だった。


「だから僕に賭けておけば今頃懐が潤ってただろうにさ。君は馬鹿だね」
「その馬鹿に手当てして貰ってんのはどこのどいつだよ」

勝敗の結果はスティーブンの勝ち。数発は食らったが客観的には圧勝に近いものがあった。彼の蹴りは使用禁止にすべきだと皆が思った。あの威力は普通の人間がやっていい蹴りではない。
スティーブンに賭けた学生達は喜びの奇声をあげて校外へと早速金を溶かしに行った。今頃ポッケの中には菓子がたんと詰まってることだろう。
賭けに負けたジオル達は打ちひしがれながら天を仰ぎ、ジーザス!と空の財布を投げつけた。可哀想だが仕方ない。賭けなんてする方が悪いのだ。
僕といえば寮に戻ってルームメイトでもあるスティーブンがこさえた傷を手当てしていた。何かと彼は傷が絶えないせいで僕は専属のかかりつけ医状態だ。
手当なんてせずに放っておけばいいとは何人にも言われたが、放っておくと彼はそのままにしてしまう。そこを気にするか気にしないかが分かれ目だがレオは前者だった。
最初こそ恐る恐る下手くそな手当てをしていたが今ではご覧の通りこの鮮やかな手さばき。数を積めば誰だって上達はする。嗚呼悲しきかな。得たくも無いスキルは上がる一方だ。
「切り傷はこれで全部だと思う。他に打ち身したとこはある?」
とりあえず目に見える範囲をガーゼで覆う。切り傷というものはあまり目にしたくないものだから。痛々しさが直接的すぎる。
「脇腹のとこ。僕ほどじゃないけどアイツ中々蹴りが強いな。牧師よりもファイターの方が向いてるぜ」
「スティーブンにだけは言われたくないだろうね、その言葉」
氷水で冷やした布を絞ってため息をついた。スティーブンに蹴り技を褒められても素直に受け取れる人間がどれほど居るだろうか。上着を脱ぐように促すと耳元に唇を寄せられた。
「レオだけだよ、僕のストリップが無料で見れるのは」
ばっしゃん、と僕は容器に持っていた布ごと手を突っ込んだ。ヒクヒクと口の端が引き攣るのは仕方ない。せっかく絞った布がまた水浸しになるわ、床に水は飛び散るわで最悪だ。動揺が隠し切れない僕をスティーブンがカラカラ笑った。別に彼がこういった悪戯を仕掛けてくるのは初めてでは無いが如何せんレオには免疫が無かった。抗体が作られる気配もない。毎度素っ頓狂な反応をしては面白おかしいとスティーブンが笑う。
未だに笑いっぱなしのルームメイトに阿呆なこと言ってないで打撲を冷やせと氷嚢を乱暴に投げた。綺麗に避けられるのが悔しい。
あれだけ暴れ回った後でも冗談が言える余力があるのだ。賭けなんてはなから無駄だと何故皆気付かないのか不思議でならなかった。

「うわ、紫色になってる」
「ん、ここは良い一発だったな」
鍛えられた腹筋から少し横に逸れた部分が目に見えて変色している。痛そう、と顔を顰めると小さく笑われた。
「見た目ほど酷くはないさ。レオがキスしてくれたらすぐ治るよ」
「どうしていつも受けにくい冗談を言うのか僕には理解不能なんだけど。そういったジョークは好きじゃないのに。スティーブンならもっと気の利いた冗談言えるでしょ?はいキンキンに冷えた布のキス」
「レオ冷たい」
「そりゃ冷やしてるから当たり前だよ」
むしろ冷えに冷えていた方がいいだろう。打ち身には冷えた氷嚢。鉄板だ。
「それは布、僕が言ってるのはレオナルド、君だ」
しっかりとした指先がするりと頬を撫で唇を掠める。僕は思わず飛び退いた。明らかに意図的な動きをしていた。
「ちょっと!」
「酷い友人だな、君は」
どう聞いても面白がっている声色だったが、表情は寂しさにいじけた子供のようにも見えた。兄心を擽るような表情をするのは卑怯だ。つい構ってあげたくなるし軽い悪戯ならあっさり許したくもなる。それを狙ってやっているのかは分からないけれど。
「全く、酷いのはどっちだよ」
「怪我人には優しくしてくれよ。レオに冷たくされると心が凍りそうだ」
「大げさな・・・スティーブンが変な風に触るからいけないんじゃん」
ちょっとだけ、わざと冷たく当たっていた自覚がある分罪悪感がひょっこり顔を出してくる。けれど自分は無理やりこの男に喧嘩騒ぎの場へと引きずられた分がある。正当的叛逆だ。怒りは小さく持続していた。よってプラマイゼロ、むしろ気分はマイナス。手当までさせられてる。マイナスに追加点、よって謝る必要は無し。それどころか自分に謝って欲しいくらいだ。本当に。
打撲の熱でぬるくなってきた布をもう一度氷水で絞り、押し付けてから薬箱に閉まっていた打ち身用の塗り薬を取り出す。部屋が一緒になってたった半年で恐ろしく減りが早い。

「レオナルド・ウォッチから高慢なアラン君に本日ピッタリの言葉をあげましょう!自分で種を蒔いたんだから自分で刈入れろ!つまりは自業自得だ馬鹿!」

掬った薬を冷やした箇所にぐりぐり塗り付ける。遠慮無しに、抉るように、ぐうりぐうりと。レオナルドに出来る叛逆なんて文句を言うことと雑な手当くらいなもんだ。 「い゛っ!?ちょっ、レオ!怪我人なんだからもっと優しく!」
「大体その怪我だって自分から突っ込んでこさえてきた奴でしょーが」
「オーケイ、分かった降参だ。今日の事は謝るよ、無理矢理引っ張り出して悪かった。君にとって少しでも娯楽になるかと思ったんだ」
抉るよう塗りたくっていた手を止めて彼を見る。
「退屈だろ、この場所は。争いがエンターテインメントになるくらいには」
「僕は嫌って言ったのに」
「見れば気が変わるかと。興奮は気を狂わすからな」
「興奮なんてしないし気も変わんない!喧嘩は好きじゃないの知ってるでしょ」
「観衆と参加者じゃ別もんだろ?何も君が殴られるわけじゃない。檻の外なら安全だ、動物園と同じさ。楽しく見物してれば良い」
「僕の友達はいつから動物になっちゃったの」
例え話だよ。ニヤリと笑うスティーブンに僕の機嫌は急降下する。僕と彼の思考回路はもしかすれば永遠に交わらないものなのかもしれない。正反対とまでは言わないけれど、噛み合わない事柄が多すぎる。
「喧嘩が嫌いなのはスティーブンが痛いと僕まで痛いからだ」
「別にレオは痛くないだろ?」
「目に見える話じゃなくて、嗚呼もう分かってんでしょ!?君が痛がる姿を見ると僕まで心が傷つくって意味!」
「ふぅん、そうなんだ?」
「そこで嬉しそうな顔する?僕は怒ってんだから。普通友達ってそういうもんだろ」

もうこの際だから言っておくけれど、君が怪我して部屋に帰ってくる度に心配になるんだ。スティーブンは確かに強いけど殴られたり蹴られたりしたら痛いでしょ?僕は君の傷に薬をつける度に痛そうだなって心底思うし気が気じゃないのに。スティーブンにとっては喧嘩も楽しみの一つかもしれないけれど僕にとっては友達が傷つくアンハッピーイベントでしかないんだよ。あとこれ以上僕の手当スキルを上げないで!

「なるほどなぁ」
「なるほどなぁじゃない。真面目に話してんの、こっちは」
「まぁまぁ、レオのお願いだもんな。仕方ない。今後は出来るだけ控えるよ」
「僕が我儘みたいな言い方やめて」
「了解ハニー」
「いい加減にして、すぐそうやってからかうのも嫌い。どうせまた僕の言葉なんて口だけの返事なんでしょ!」
ペチンと情けない音で彼の手を叩いた。赤くすらならない非力さに情けなさがいっそう募る。昔妹と一緒に見たカートゥーンみたい。顔を真っ赤にして両手両足を振り回した子犬を黒猫が指先一つで事も無げに止めていた。欠伸をして指先を弾けば子犬はころころと転がって犬小屋に収まった。
立ち上がると塗り薬を薬箱に仕舞ってからローブを羽織る。
「何処行くんだ」
「教会、ついて来たら絶交だから」
僕の後を追おうとしていたスティーブンに先に釘をさす。彼はばつが悪そうに身じろぎした。
そうやって言って後悔するくらいなら最初から言わなければ良いのにと思う。彼は何をやっても僕が折れて許すと思っている節があるのだ。あまり否定は出来ないけれど肯定もしたくなかった。
「レオ、待ってレオ。不快にさせたなら本当に謝る。ごめん、調子に乗り過ぎたよ」
僕は振り向かずにドアに手をかけた。振り返った先でしおらしく頭を下げていようもんならちょろい僕はすぐさま彼の隣に戻って慰めてしまう恐れがあった。経験則だが確実だろう。

「たまには反省を覚えろばか!」


「なぁるほど。そうやってレオはスターフェイズから逃げ出して来たということかい」
「逃げ出して来たなんてことは・・・」
「言い逃げは確かだろ?戻った時が恐ろしいねぇ」
「うーあーあーあー!この話はおしまい!閉廷閉廷!」
マルクのジトリとした視線から目を逸らす。
彼とは癖毛仲間でそこそこ親しいが癖毛の反動か言葉がストレートで困る。
痴話喧嘩ならさっさと仲直りすりゃこっちも被害出ないんだけどと赤毛をかきながらボヤく彼を小突く。何が痴話喧嘩だ。
「まぁ不完全燃焼なら話くらいは聞くよ。なんなら懺悔室で告解する?」
「ちょっと勝手に人を罪人にしないでってば!せっかく人が掃除を手伝ってあげてんだからチャラでしょ」
「いやいや、聖堂にタイミングよく入って来たレオが悪いよ。主が掃除を手伝えと啓示されたんだ」
どんな啓示だ。箒の柄に顎を乗せてため息をついた。
マルクはざかざかと大雑把に床を掃来ながら手伝うならしっかり手を動かせと急かしてくる。お生憎手を動かしても雑過ぎて無意味になってると指摘する。椅子の下の埃は溜まったままだ。
「でもなぁ、本当に嫌ならウィリアムんとこに部屋替えてもらえば良いんじゃん。あいつ余りで部屋一人だったろ。レオ仲良いんだから言えば喜んで同室になってくれると思うんだけど」
「うん、ブラックは部屋割り決まった時に辛くなったらいつでも来て良いとは言ってくれてたよ」
良い奴だよな。良い奴だよね。
「ま、普通スターフェイズと同室って分かった時点で死に物狂いで空き部屋探すか避難するからな」
「そんな猛獣と同室になるわけじゃないんだから・・・」
「似たようなもんだろ」
確かに猛獣と言われれば猛獣だろう。あれは明らかに肉食獣だ。生態ピラミッドの頂点に立つが相応しかろう。けれど意外と寂しがりやなとこもあるしすぐに拗ねたり素直になりきれなかったり、そういった大人びた彼の子供っぽい部分を好ましく思っているから部屋を替えようという気にはならなかった。困らされてばかりだけど大切な友達なのもまた事実。
「本気で嫌いだったらとっくにブラックの部屋に行ってるってば、そうじゃないから困ってるんだよ。スティーブンは友達だもん」
言った途端にマルクはぎょっと目を大きく見開いた。それから珍獣を見る目付きで首を振る。
「俺今レオのこと初めて尊敬したわ。明日から猛獣使いと呼ばせていただく」
「使いこなせてないのに?言うことなんて何度言っても聞いてくれないのに?召使いの間違いでしょ」
「いやいや肝っ玉の問題さ。レオの友達作りは一種の才能だよ、現にスターフェイズの奴だいぶ丸くなったじゃないか。レオが緩和させたんだってみんな言ってるよ」
「そうかなぁ」
「そうさ」
スティーブンと同室になったばかりの頃、彼はどうだったろうか。僕からしてみれば仲のいい友人としてのスティーブンと過ごした時間が大半で、それ以前の彼を詳しく思い出せない。噂なんかはよく耳にしたけど僕の知る彼とは差異があるから信じられないし、同室にならなければ会話することも一切なかったかもしれない。彼と僕とではカースト的に大いに差があった。スティーブンはイレギュラーな友達なのだ。イレギュラー故に己の中の常識が通用しない。だからよく不安になる。
「マルク、友達と思ってるのは僕ばっかりなのかな。だって君だったら喧嘩も嫌なからかいだって一度言ってしまえばやめてくれる。でもスティーブンは言葉ばっかりで聞き流してるんだ。あんまりだろ」
「俺とスターフェイズは別の人間なんだからんなこた聞かれても知らねーよ。けど、そうさなぁ」
マルクは顎に手を当てて首をひねった。結局悩んで困り果ててたってどうせお前は最後は笑って許しちゃうんだろ。すっごい美化されてるなぁ、ありがとう。まぁ美化したくなるくらい良い奴ってことで。実際俺の知るレオナルドはそういう奴だからな、だからスターフェイズもレオに甘えてんだろよ。居心地がいいんだよお前はさぁ。だから乗っかって頼りきっちまうんだ、何やったって見捨てない友人は貴重さ。頼られたことなんてないんですけど!?精神的な話さ!あいつがよく言う「僕のマリア」ってのも強ち間違ってないと思うぜ。
「それは絶対にからかいだって」
「スターフェイズがそう言ったのか?」
「言ってないけど普通男にマリアはないね。鳥肌立ちまくりじゃん」
「同感だけど普通じゃねーだろあいつ」
ぐ、と言葉に詰まる。ええ、ええ、まさにその通りでござんすよ。だからこう対処し切れず困っている訳でして。
マルクは僕から箒を取り上げて塵取りを手渡した。あれだけ言ったのに雑破にはわき続けたもんだから埃が全く集まっていない。広範囲に散らかしただけと言える。
まぁとにかくだ!お前ら少しの間距離置けばいいんだよ。
僕は首を傾げた。解決の糸口が見えない。
「俺としてはレオが泣きながら懇願すればスターフェイズもおとなしくいう事聞くと思うけどさ」
「それは!絶対に!いやだ!」 「そんなレオ君のなけなしのプライドを思って考えたんだ。スターフェイズはレオに頼り過ぎ、レオはそれに疲弊して来てんだ」
「疲弊なんてしてないって」
間髪入れずに抗議したが往なされた。最後まで話を聞けと頭を叩かれる。
「してんだわ。お前納得してなくても絆されて何でもかんでも許しちゃうだろ。でも納得してない分のわだかまりがなくなったわけじゃないだよ。だから溜まりに溜まって逃げ出して来たんだろ」
「それ今になって蒸し返す?」
「自覚あるから蒸し返されたくねぇんだろ?とにかくレオはウィリアムんとこの部屋借りろ。んでスターフェイズはレオナルド・ウォッチ禁止令にするんだよ。そうすりゃ離れてる間にお前も落ち着いてスターフェイズもレオの有り難みを再認識すんだろ」
「・・・その作戦失敗しかしなさそう」
家族から独り立ちしたら親のありがたみが良くわかるみたいな、そんな感じ。当たり前だが僕はスティーブンの親でもなんでもないので不発になる予感しかしない。
いいや俺はいけると思うね!なんなら来月の畑当番交代にかけてもいいぞ!どちらにせよレオだって少しは息抜きが必要だろ?
少し思案した後に僕は頷いた。確かに少し、少しだけ疲れたのかもしれない。


善は急げと押されてブラックに説明すればあっさり了承してくれた。レオとルームメイトだなんて嬉しいよ、よろしくね。
良い奴だなぁと僕は改めて良き友に感謝した。
「早速今夜からこっちに移る?僕はいつでもいいよ?」
「ではお言葉に甘えて・・・荷物取りに行くついでにスティーブンにも話してくるよ」
「まだ話してなかったんだ。それ大丈夫?」 心配そうなブラックに問題無いと頷いた。ちょっと数日部屋を代わるだけ、ちょっとした気分転換だ。心配する必要はない。
だからスティーブンも軽く了解してくれるものと思ったのだ。

「ダメだ。許可しない」
「えっ」
腕に抱え込んだ荷物がバサリと落ちる。
慌てて拾い上げながらスティーブンを見返した。赤銅色の瞳はキリリと釣り上がり凄みが増している。目で人を殺すというのはこういう事か。機嫌が悪い時のそれよりもっとひどい顔をしていた。ゴクリと唾を飲み込む。
「誰に吹き込まれた?ああそれとも俺が嫌いになったのか?だから離れるって?そんなことが許されるものか」
「あっちょっ待ってスティーブン!やめ、痛い!」
拾い上げた荷物はまたも散らばった。容赦無く捻りあげられた腕から軋んだ音がする。
突然変容してしまった友人が怖い。スティーブンはレオをからかいこそすれ暴力は決して振るわなかった。だから皆が怖いというのが理解出来なかったし友人で居られた。意思を共わず、力で無理矢理捩じ伏せられてしまえばそれは友人とは言えなくなってしまうと思った。それはひとつの目に見える境界線でもあったのに。
僕達さ、少し距離を置かない?別に昼の事まだ怒ってるわけじゃないし出ていけって言ってんじゃなくて、むしろ僕が出ていく形になるんだけど。他の友達もさ、部屋貸してくれるって言ってくれてるし。別にいいよね?
言った言葉はここまで彼を怒らせる内容だったろうか。吹き込まれるなんて悪いものじゃなく純真な提案だった、嫌いなったわけじゃない、離れると言っても数日だけのつもり、軽い息抜きだって、そう言いたいのに痛みと獣の様な瞳に萎縮して僕の口はものを言えやない。無様にカチカチ歯を鳴らすだけ。友人を相手に怯えるだなんて弱虫にも限度があるだろうに。
「なんで俺から離れようとするんだ。お前が居たから、俺は、・・・僕は」
ギリギリと捻られた腕の痛みは限界に近く僕は呻き声を漏らした。瞬間、スティーブンがハッとして腕を離す。直接的な痛みは消えたけれど痛みの余韻がじんと広がる。目で見なくたって真っ赤になっているのは間違いない。涙で視界がボヤつく。
もう一度伸ばされた手に反射的に震えた。それに気付いた彼は腕ではなく震える手の甲を握り込めた。ぬるつくのは汗か。
「・・・だから嫌だったんだ。そばに居るだけで良かったのに」
それだけで満足出来たはずだったのに。
影に覆われ握られる力が強まった。
触れるか触れないかのささやかなものだった。

「レオ」
僕はスティーブンを突き飛ばした。


「遅かったね?大丈夫だったっ・・・て、どうしたのそれ!?」
狼狽するブラックに大丈夫だよと笑おうとして失敗した。くしゃりと顔を歪ませて不細工に拍車がかかる。レオ?優しく背中を撫でられるともうダメだった。決壊だ。
小さな子供の様に泣き喚く僕を黙って慰めてくれるブラックはやっぱり良い奴だと思った。

ずびびと鼻を噛むと大分落ち着いてきた。
「なんか、大変な事になっちゃったね」
腕を組んでうんうん唸るブラックに申し訳ない気持になる。とばっちりも良いとこだろうに彼は真面目に僕の話を聞いてくれた。キスの件に関してはぼかしてさらにぼかしての二重の構えで話したが聡い彼は引き攣りつつも僕の心中を察してくれた。本当になんて良くできた友人だろうか。感涙の極みだ。
「荷物は、ともかく一旦置いといてベッドのシーツ貰いに行かないとね」
暗にスティーブンの部屋に戻る気は無いのだろうと聞いている。頷くとリネン室に行ってくるから待つように言われた。1人では重いし僕のベッドの分だ。自分で取りに行くと立ち上がるとブラックは首を横に振る。
「レオ、リネン室の道筋にある部屋はなんだと思う?」
僕とスティーブンの部屋だ。
「もしもの話だけど、彼と鉢合わせたら対応できる?仮に僕と一緒に行ったとしても僕じゃ押し負けちゃうし」
「大変心苦しいですがお願いします・・・」
今会ったら気まずい所の騒ぎではなかった。うん、任せて!新しいルームメイトの頼みなんだからこれくらいどってことないよ!素晴らしきかな友情。今度絶対に何か奢ってやろうと心に決めた。

シーツに枕、掛布団と数と重さを考えれば往復せざるを得ないだろうと思っていたが、そうでは無かった。提案元のマルクにも手伝わせて来たらしい。
「大丈夫だったかレオ!ケツは無事か!?」
「おおおお前なんちゅーことを・・・!洒落にならないわボケ!」
「落ち着いて、ハウス!ハウス!OK、Goodboy」
やーやー、すまんかったわ。まさかなーそこまで行ってるとは誰も思うまいて、ワハハハ・・・ごめん。
僕もこんな事になろうとは予想していなかった為素直に許した。そもそも許す許さないの必要性も無いものだけど。マルクは提案しただけなのだ。
「とりあえず作戦会議だな」
「っス」
「うん」
マルク、レオナルド、ブラックの順でベッドに腰掛けた。
「提案そのいち。もうそのままレオはウィリアムの部屋で学年末まで過ごす」
「いやそれ迷惑でしかないだろがい」
「僕は構わないよ?」
「「良い奴〜」」
そんな事ないよと謙遜するブラックを2人で崇め讃えた。良い奴だ泣けてくる。身に染みる。そういう事で解決だ。解散解散。
「いや解散しねーし!」
「え?万事解決じゃん?ウィリアムも大丈夫って言ってんだし」
「レオなら全然オッケーだよ」
「ほらこの通り」
いやいや駄目でしょそれは、それは違うでしょ。
不服そうなマルクに待ったをかける。ブラックにはありがとうと一声かけた。それは純粋に嬉しかったからだ。
「だってそしたらスティーブンと喧嘩別れみたいじゃん!」
レオナルドとしては上手い事ミラクルに以前と同じに戻りたいだけだ。友人関係を切りたい訳じゃない。それが一番難しいかもしれないけれどそこは譲れなかった。
「レオーそれは厳しいだろ。腕の痕についちゃあ治ればやり直しは効くだろうけどよぉ」
お前キスされたんだろ。それで友人に戻ってくださいとか無理だろ。破綻するだろ。どう考えたって。
三人の間に沈黙が落ちる。何とも微妙な空気にそろそろとブラックが手を挙げた。
「部屋に残した荷物の回収についての作戦から建てないかな?」
「うんうんそうだな、ホモの厄介より明日の問題からだな」
「僕はホモじゃないって」
「おっと失礼」
マルクを睨んでからポッケの中身を漁る。鍵はあった。
「どうにか会わずに荷物を取りに行きたいんだけど、カリキュラムほとんど同じなんだよなー。どうしよう?」
チャリチャリと鳴らして首を傾げる。ブラックも同様に傾げた。
「スターフェイズさんが部屋に居ない間かぁ。レオ心当たりない?」
うーん、どちらかと言えば部屋で過ごしてる時間の方が多かったりするし。授業サボって取りいけば?却下。学費分は真面目に受けたいし。融通が効かねぇなぁいっそ掘られちまえ。なっ!おっ?はいはいこの部屋じゃ喧嘩は無しだよ。あとさっきのはマルクが悪いから。あーあーすみませんでしたー。ブラックこの心のこもってなさどう思う?落第点だと思う。おいそこ徒党を組むなよ省くな省くな。
「ミサはどうだ?朝のミサ」
「それなら授業外で皆集まるから部屋はがら空きだと思うけど、レオは大丈夫?」
「それくらいなら平気だよ」
「俺がレオナルド君は体調不良で朝ミサは欠席するって伝えとくぜ」
「聖マルクさま・・・」
「何の守護聖人だ。ケツか?ケツの守護か?」
「そのネタいい加減にやめない?」
手近な問題はこれで安心ってこった。明日は上手いことやってやるからそら解散だ。
マルクが伸びをしてじゃあまた明日と立ち上がる。僕とスティーブンの問題はどうする気だ。
「そればっかりは神のみぞ知るってやつでねぇ?」
時間の流れに身をまかせるのも一理あると思うぜと弁ずるが、分かりやすく「面倒臭い」と顔に書いてある。薄情な。
「レオ、君も今夜は疲れてるみたいだし元々数日は僕の部屋で過ごす予定だったじゃん、明日に備えてもう休んだ方がいいって僕は思うな」
「うぐ・・・」
それは確かに的を得ていた。肉体的疲労ではない。精神的疲労ではあったがまさにその通りだった。
疲れてると考えもまとまらないし、色々レオの中で整理する時間も必要なんじゃないのかな?
全部が全部マルクが言うみたいに時間が解決してくれるわけじゃないけど時間を置くことで見えてくるものもあると思うよ。今は特にね、そう思うよ。だから今夜はもう休もうレオ。

いかにも心配そうに自分を見つめる碧眼に僕は負けた。疲れていたのも消灯時間が近いのも、ブラックの言葉が正しい事も、全部に負けた。
本当のところはまだ眠りたくなかった。眠ればすぐに明日が来る。荷物を取りに行くときに会わなくても授業の時にはどうしたって視界には入るだろう。
何を話せばいいのか分からないし何より話してくれるかも分からない。僕が避けてしまうかもしれないしスティーブンが僕を避けるかもしれない。それが酷く怖いと思った。友人、大切な友人なんだ。彼があそこまで激昂した理由もキスの意味も分からない。出来ることなら気の迷いだったんだって全部なかった事にしてまた前と同じ日々を送りたい。さよならは嫌だった。せっかく仲良くなったのにそれは寂しい。そのくらいには彼のことが好きだったのだ。たった数分の出来事で今まで積み重なったものが全部ぐちゃぐちゃになるのは許容し難かった。



震える指先で何度も名前を確認するが、紙に書かれた文字は確かに自分の名前と悪名高い彼の名前だった。おお、神よ。ついに我を見放したか。

「レオ!レオは部屋割り誰とだった?」
息を切らしてかけて来たブラックに眉をハの字にさせながら紙を指差す。本当は今年こそ仲の良い彼と同室になりたかった。妹がいること、波長が合うこと。性質が似ている彼とは過ごしやすかった。ルームメイトとの相性は1年間同室になることを考えれば何よりも大事だったのに。今年は地雷を踏んだようだった。
指差した先には部屋の番号と生徒の名前が二つ。
レオナルド・ウォッチ スティーブン・A・スターフェイズ

ブラックはあんぐりと口を開けてから可哀想なものを見る目でレオを見つめた。
彼が駆け寄って来るまで他の友人たちがそうしたようにブラックもまたレオの肩をポンと叩いた。どんまい。お疲れ様。葬式には出てやるから安心して逝け。様々な意味合いがあったがブラックは果たしてどの意味だったろうか。
スティーブンという少年の事は実際のとこ噂ばかりでその実態を詳しくは知らない。
遠目で見た事が数回あるくらいだ。己の目で見た時の彼の印象は頬に大きな傷はあるが整った顔立ちで背が高く、知的そうだった。パーフェクトヒューマン。同じ人間として恥ずかしくないのかと問い詰められても誰も彼も首を横に降るだろう。あれは別次元だ。
噂で聞く彼は生意気だと呼び出した上級生を打ちのめし、街の女の子達を取っ替え引っ替えしては手酷く捨てる上に教師に対しては完璧な優等生を演じているだとか。全ては彼の手のひらでくーるくる。
彼のルームメイトは初っ端から別の部屋に移るか持って三日。しまいにゃ裏で消されたとかなんとか。一体どこの不良だと言いたくなる話ばかりだった。都市伝説の域にある。
絶望だ、絶望の淵にいる。
虚ろな目をしたレオナルドを気遣うようにブラックが背を撫でた。
「僕部屋割りが余りで二人部屋に一人なんだ。レオが良いならいつでも来てくれていいから、辛くなったら僕の部屋に避難していいよ」
「うわああああありがとうブラック!ありがとう友情!」
友人株が急上昇だ。なんて素晴らしき友人かな。隣人を愛する前に友人から愛そう。
ただ僕は初めからブラックの部屋に邪魔することは無かった。百聞は一見に如かず。中国のありがたいお言葉だ。
いくらなんでも初日から部屋を出て行くなんて失礼にも程があるだろうと思うし、噂を除けばスティーブン少年は優等生だ。波風立たず、当たり障り無く空気のように居れたら上出来だろう。何事も自分の目で注意深く観察し見極めることがウォッチ家の家訓だ。ウォッチだけにね。
荷物を持ち運んだ部屋は誰もいなかった。どうやら一番乗りらしい。
今のうちにと物を整理する。たいして持っている荷物がないせいか手早く済む。レオの持ち物なんて教材と制服、カメラと手紙に薬箱程度だ。二段ベッドはやはりお互いに相談した方がいいだろうと考えて最低限のベッドメイキングだけしておこうとリネン室に向かった。部屋のすぐ側にあって非常に助かる。1年の時は部屋から遠くてルームメイトとひいひい言いながら一式運んだもんだ。
両手にシーツと枕を二人分抱えたところでしまったと後悔。扉、開けずに、来た。
絶妙なバランスで抱え込まれた寝具を床に下ろすという考えはなかった。埃だらけの廊下に下ろすのは不衛生すぎるしルームメイトの分もある。どうしようかと扉の前でえっちらおっちらしていると声をかけられた。
「何をしてるんだ」
「あ、の、扉閉めたままシーツ取りに行っちゃって」
遠目でみてもそうだったが近くで見ると本当に綺麗な顔立ちをしていた。雑誌に載っている俳優みたいだ、同じ人間とは思えない。
彼は訝しそうに僕を一瞥してから扉を空けた。続けて中に入る。
「ありがとう」
お礼を言っても返事は無かったがまぁいいやとベッドにシーツを放った。
机にボストンバッグを置いた彼に手を差し出す。挨拶は大事だ、何事にもファーストコンタクトで印象が決まる。出来るだけ友好的に微笑む。
「今日からよろしくお願いします。書いてあったとは思うけど僕が同室のレオナルド・ウォッチ。皆からはレオって呼ばれてる」
「・・・スティーブンだ。どうも」
素っ気ない挨拶。差し出した手は空のままだった。何だか恥ずかしくて手を後ろに隠した。気に触ることをした覚えば全くないのでこれは彼の性格なのだろう。
「あ、えっと、スティーブンさんはベッドはどっちを使いたいですか?」
「別にどちらでもいい。君の好きな様にすれば」
「・・・分かりました。じゃあ下を使わせてもらいますね。僕寝相悪くって上だと落ちちゃうんです。へへ、へ」
「・・・」
無言が痛い。渾身のネタが空振りした時と似た羞恥と気まずさを感じる。
「えっと、じゃあ残りの寝具も取ってきますね・・・」
「いい」
「え?」
「僕の分は自分で取ってくるから君は君のものだけ取ってくるといい」
「・・・りょーかいです」
遠回しに無駄に関わるなと言われているのはよく分かった。
居たたまれなくて僕はリネン室へと駆けた。この先やっていけるだろうか、不安ばかりが募る。ミシェーラ、兄ちゃんは新学期早々人間関係で躓きそうです。

気まずさと緊張で寝れたもんじゃないだろうと想像した予想は大きく外れ、目覚めはスッキリとしたものだった。
友人達から呆れられるように言われた言葉がリフレインする。レオって意外と図太いよな。なるほど己は図太いようだった。ベッドから起き上がると上の段の持ち主は既に部屋を出ていた。少しばかり安心する。昨日の今日では居心地の悪さが拭いきれない。
「レオ大丈夫だった?」
「お前もまた随分と最悪な引き運だったな」
「殴られたりしなかったか?いじめられたら俺たちに言うんだぞ。何も出来ねーしやらねーけど」
「ほら辛気臭ぇ顔してねーで食え食え!俺のパン分けてやるよ」
食堂に行くと一斉に友人達が集まった。レオのルームメイトの話は既に広まっているらしい。
皆同情的で優しさを噛み締めながら朝食を頬張った。スティーブンは噂通りのやつだったか、怖くはなかったかと食事も終わり時になれば皆の興味はそちらに傾いていた。得体のしれない人物なばかりに怖いもの見たさで興味を引くのだろう。だが残念なことにレオは部屋での最初の会話以降全く話せていないし、彼も必要最低限でしか部屋に居着かなかった。
「そう気を落とすんじゃないよ、世の中にはそういう奴も居るだけってことさ」
レオはこっくりと頷いたが、せめてあの冷たい空気だけでもどうにかならないかと心底思った。
当たり障りない範囲の、お互い部屋にいても気にしない程よい関係を目指そうとレオナルドは行動に移す事にした。とは言っても話しかけるなんてものでもない。授業中や部屋に居る間、暇があれば彼を観察する事にしたのだ。お互いを知ることから関係は始まる。あちらは知らせるつもりも知るつもりもなさそうなのでレオの一方的な観察ではあった。
彼の好きなもの、されて嫌そうな事、そういった単純な事がわかればそれでいいのだ。嫌なことがわかれっばそれを避ける。好きなものがあればできる範囲で施す。人畜無害な生き物と知れば流石に空気も和らぐだろうと。ぼんやりとした考えだった。

彼を観察して初めに思った事。
友達がいない。失礼極まりない感想だがレオの見る範囲ではスティーブン少年は誰ともつるむ様子は無かった。人嫌いなのかも知れない。もしくは友人と思えるラインに立てる人物がこの学校には居ないというとこか。
それから肝心の好きな事、嫌いな事。これがさっぱり分からなかった。
好きな食べ物とか、そんな単純なものですら分からない。そりゃそうだ、彼は食堂に姿を表さなかった。別に食堂を必ず使わないといけないわけじゃないし共同キッチンで作って食べる奴も居る。レオみたいな食事が作れないとか、面倒くさがりだとか食堂で食べる方が楽だとか、そんな生徒が大半の中で彼は食堂、共同キッチンも使用していない。一人、誰もいない場所で食事をして居るのかもしれない。寂しくないのかなと思ったが本人が聞いたら余計なお世話であろう。
そして最後に1つ。
しょっちゅう誰かと喧嘩でもしているのか、よく怪我をしている。しかも医務室に行くことも無く怪我を放置しているようで、レオとしては非常に気になった。
レオナルドはとろくさくてよく怪我をする。何も無いところで躓いたり、街でカツアゲにあったり理由は様々だが怪我をする。毎度医務室に行っては心配をかけるのも申し訳なくなり自分用にとちゃんとした薬箱を持つようになった。痛いのは誰だって嫌なはずで、人の傷を見るのも嫌いだった。本人よりも痛そうな顔をすると妹に言われるくらいだ。
だから彼の痛々しい傷には顔を顰めるばかりだ。
1度だけ彼の机に薬箱を置いていた事がある。良ければ使ってくださいとメモ紙を下に挟んだ。レオなりの気遣いでもあったが結局薬箱は使われていなかった。邪魔だとでもいうように御丁寧にもレオの机に追いやられていた。
「うーん、めげそう」
散々たる結果に項垂れて突っ伏すと寝るんじゃないと先生に怒られた。1週間、初日以降未だルームメイトと会話はなかった。

その夜、消灯時間を過ぎても彼は部屋に帰っていなかった。
外は豪雨で薄い窓ガラスに叩きつけるような雨粒の音が鳴り響いていた。気まずくとも寝れる図太い神経のレオだが、物理的な音には弱い。何度も寝返りを打つが寝れそうにない。いっそホットミルクでも作りに行くかと丁度思い立ったその時だった。

カチャリ、ぎぃ、ひた、こつこつ、ひたり。

どうやら彼が帰ってきたらしい。外にでも出ていたのか濡れた布ずれの音がする。
レオは被っていたシーツの隙間から緩く覗いた。彼はズルリと床に蹲ったかと思うと、腕を抑え苦しげに呻いた。
その光景を見てからの行動は早かった。
レオはベッドから起き上がると慌てて電気を付けてスティーブンに駆け寄った。結構な傷だった。どれ程激しい喧嘩でもすればなるのか、獣に引っ掻かれたような傷を腕に負っていた。
「ちょっとそれ!医務室の先生起こしてくるから待っ「黙れ、余計なことはするな!」
低く呻く声にビクリと制止したがすぐさま首を振った。
「駄目です。そんな深い傷負っといて何言ってんですか」
「お前には関係ないだろ」
「関係あります。そんな血みどろで上に寝られたら僕のベッドまで血が滴り落ちるかもしれないじゃないですか。嫌ですよそんなの」
「なら立って寝る」
「床を血まみれにする気ですか?駄目です。先生を呼ばれるか僕に手当されるか、二つに一つです。断ったら問答無用で先生引っ張ってきますから」
スティーブンは忌々しげに舌打ちしてからレオを見上げた。

勢いって大事なんだなと感心しながら床に溜まった水溜まりを雑巾で吹き上げた。所々に血が混じっているのが恐ろしい。
スティーブンはシャワー室に押し込んである。分かったからさっさと手当しろと噛み付く彼に傷口を洗う方が先だと言った。ついでにずぶ濡れの制服もなんとかしろと着たままシャワー室に連行したのだ。時折呻き声が聞こえている。傷が染みるのだろうか、箱から包帯、消毒液、ガーゼ、塗り薬と取り出していく。絆創膏ばかり使っているからかそれ以外は余裕があるようだ。これで足りないなんて事になれば示しがつかなかったろう。
ガチャリとシャワー室から出てきたスティーブンにここに座れと自身のベッドを叩いた。彼は渋々といった様子で隣に腰掛けた。
「腕見せてくださ・・・うわ痛そう。何をどうやったらこんな怪我出来るんです?」
「君には関係ない」
「あーもうそれ無限ループになりますからね?!っと、ちょっと染みると思いますけど我慢してください」
「・・・〜ッッ!・・・っておい、なんで君がそんな顔になるんだ」
「だっていくらなんでも痛々しすぎますよこれ!グロ画像か!あっ待って待ってガーゼがズレる!」
「啖呵切っといて手当が下手くそとか」
「綺麗に手当して貰きたかったら先生をお呼びしますけど!?」
舌打ちされた。でもここまで来たらめげないぞレオナルド!頑張れレオナルド!
緩すぎだのきつ過ぎだの散々文句を言われながら何とか包帯を巻き終えると思いのほか二人ともぐったりとしていた。時計の針は2時を指している。眠さと疲労がじわじわと迫り来るのを感じながら覚束ない手で薬を塗っていく。そこまでしなくていい、後は自分でするとスティーブンは言ったが背中の傷はどうするんだと無視して塗っていく事にした。 大まかな傷は大丈夫だろうと一息つくと彼がぐらりと傾いた。
突然のことだったので支え切れずに共に倒れるがベッドの上であることが幸いし痛みはなかった。何だ何だと覆い被さる身体から抜け出してみれば安らかな寝息が聞こえ、ガックリと肩を落とした。
自分もいい加減寝たかったので道具を雑に箱に戻してからベッドの隅に縮こまって眠ることにした。毛布は彼に譲ってやる。上の段を使うのは気が引けたし寝相が悪いのだ。落ちたら洒落にならん。
「はぁ、もう、疲れた」
それだけ呟くと気絶するかのようにパタリと眠った。

翌朝目覚めると隣にスティーブンは居なかった。
欠伸をかいてのたのたと起き上がる。毛布はレオの肩に掛かっていた。はて、昨夜の出来事は夢かと思ったが薬箱から乱雑にはみ出た包帯が現実だったと示していた。
寝ぼけた頭が覚醒してくると自分はとんでもない事をしでかしたんじゃないかと一気に青ざめた。大怪我に動揺していた、眠かった、疲れていた。言い訳が次から次に浮かんでは消え頭を抱える。手当ての為とはいえ、あのスティーブン・A・スターフェイズに無礼な態度をとったんじゃねぇのかレオナルドよ。
どうしようどうしようとちっぽけな脳みそを働かせようとして失敗する。想像の中のミシェーラが「やっちゃったことは仕方ないわ!もうそのまま突っ走るしかないでしょ!まぁ私はコレがコレなもんで走れないんだけどね!」と笑えないジョークを飛ばしてくる。想像の中でさえレオの妹は何処まででもミシェーラ・ウォッチであった。ああそうだよなミシェーラ、時間は巻戻らないし怪我を放っておく選択肢はどの道なかったんだから。
「包帯を、変えさせて頂きたいのですが・・・」
「・・・」
「傷が酷いので変えないと逆に悪化しちゃうんです・・・お願いします」
「・・・」
「後生ですからぁ」
レオは泣きそうになりながらも懸命に懇願した。普通逆だろうと思うがこの場合、手当をさせてくれと頼み込むのはレオナルドで合っている。
スティーブンは不肖不肖といった態度で上着を脱いだ。包帯に滲み出る赤を目にして、レオはなけなしの勇気で頼み込んだかいがあったと思った。これを放置するのはレオの中で完全にアウトだ。人道的に反する行いだ。
あまり血を見ないようにただでさえ細い目を更に細める。赤く染まった包帯を巻き取り、ゆっくりとガーゼを外す。皮膚に張り付いている部分は水に馴染ませた。どうにか綺麗に取り外せば生々しい傷が姿を現す。自分でもサァ、と血の気が引くのがわかった。こんなひどい傷のまま放置しようとしていたスティーブンの精神が全く分からない。できる事ならこんな素人手当ではなく医務室か病院に行くべきだが昨日を顧みるにそれを進言したところで拒絶されるだろう。これがきっと彼の譲歩の限界だ。
消毒液をかけ、再度新しいガーゼで抑えて包帯を巻く。相変わらずの不器用な手捌きだったが文句は言われなかった。
「・・・君は、誰にでもそうなわけ?」
「はい?」
彼から口を開くのは珍しい。道具を箱にしまう手を止めた。
「怪我した人間がいれば誰彼構わずそうお節介をかけるのか」
そうだろうとは思っていたが言葉にされると傷付く。お節介。お節介なんだなぁ。
「自分が正しいと思ったことをやりなさいと家族に言い聞かされましたから」
「感謝される事なく、手酷く扱われてもか。お人好しがすぎるな」
彼は上着を着直すと立ち上がりローブを手に取った。また傷を増やしに行くのだろうか。
良かれと思ってやった事に感謝されないのは物寂しい。手酷く扱われれば自分は何をやっているんだろうと落ち込む。お人好しと言うよりも愚か者だと言われているのだろう。それでも。
「それでも、あなたの傷が癒えるまで僕は繰り返すと思います」
「・・・そうかい」
「それに、怪我して欲しくないんです。スティーブンさんが言うように余計なお世話かもしれないけれど、もっと自分を大事にして下さい。あなたがどんな人であれ、傷付いてる姿を見たくない」
「ッッ!」
彼はまるで異質なものでも見るかのように大きく目を見開いて、酷く狼狽し後ずさった。何かを言いかけようとしたが結局口を強くつぐんだ。
何かヘマをしてしまったのかと考えたが思い当たる節はない。
これ程動揺する彼ははじめてで、大丈夫かと声を掛けたが返事は無く、逃げ出すように部屋から出ていった。
扉が閉じられると僕はへにゃりと崩れた。だいぶ緊張していたらしい。大きく息を吸い込んで吐き出す。自分なんかの言葉で彼の怪我が減るとは思わないが、せめて傷が癒えるまで毎日包帯を替える程度のことはさせて欲しかった。
お節介と言われて悲しかったし、空気どころか嫌われているのではと思う。それでも放っておくことは出来ないのだろう。
ウォッチ家の家訓その二だ。『1度決めたら最後までやり通すこと』
なのにだ。それから三日間、スティーブンは部屋に帰ることも学校に姿を表すことも無かった。それを気にするのは校内でただ一人、レオナルドだけだった。
禍去って禍また至る。
朝からこっ酷い事ばかりだった。目覚ましは壊れて朝食を取り損ねたし、授業中は苦手な問題に限って連続で当てられた。ようやく昼食にあり付けると思ったら呼び出しがかかって敢えなく退場。夕食だけは何が何でも取るぞと決心したのも束の間、衛生管理の調査で今日だけ二時間早く食堂は閉める予定だったとか。レオ、朝に聞いてなかったの?既に夕食を終えていたらしいブラックに飴玉を貰った。
今日の僕は飴玉ひとつと水でもって生きている。
こんなのはあんまりだとベットで大の字になった。ひもじさを味わうのはいつぶりだ。
惨めにぐずぐず泣いていると扉が開く音がした。顔をそちらに向ければ三日ぶりの彼だった。気のせいか身にまとっている空気がスッキリしているように思えた。
傷の調子を聞こうと口を開く前に盛大な不協和音が僕の腹から鳴り出した。彼はしばし呆然とした後、嫌に長く溜息を吐き出してから懐から取り出したものを僕に投げた。どうにかキャッチしたそれは赤くて丸い。
「りんご?」
「調理場からくすねてきた。名実共に禁断の果実ってとこ」
なるほど禁断の果実なわけだ。見つかったらゲンコツは確実であろう。
彼はもう一つ取り出してシャクリと齧ってから促すように僕を見た。食べろと言う事だが果たして本当に食べて良いものか。
「食べないなら僕が貰うけど?レオはそれで良いわけ?」
「ぐぬぬっ!そ、れは!ありがたく頂きます!」
速攻で空腹が勝った。人間三大欲求には逆らえまい。
ガブリと噛み付けば甘い味が口の中全体に広がる。今日1日の中で唯一まともな食事だ。五臓六腑に沁み渡る。シャグシャグとみっともなく夢中で齧り付けばあっという間に芯だけが残った。
まだ空腹感はあるが先程より大分マシだ。改めて感謝を述べようとしてある事に気づく。
「名前」
「うん?」
「レオって、僕の名前初めて呼んでくれました!」
今まで君だとか、お前だとかの二人称で個人名を呼んでくれたことがなかったのだ。
正直名前すら覚えられていないと思っていた。諸手を挙げて喜ぶと顔を背けられたが今更そんなのは些細なことだ。全然気にしない。調子に乗った僕は「そうだ傷の手当もしましょう!昨日スティーブンさん用に包帯もガーゼも買い足したんです!」と隣をバフバフ激しく叩いた。名前一つでこの浮かれポンチだ。
スティーブンさんは片手で顔を隠し何やらボソボソ呟いたが僕には聞こえなかった。それでも素直に隣に腰掛けてくれて僕は益々にやけた。お兄ちゃんってば単純ね!想像のミシェーラに指摘されるもその通りとしか言えない。

「スティーブンで、いい」
「はへ?」
「僕がレオと呼ぶんだから君だって呼び捨てでいいだろ。敬語も使わなくていい。そもそも僕たちは同学年だしルームメイトなんだろ」
「えええええ!?」
飛び上がらんばかりに驚くと「そこまで驚かれるとは心外だ」と頭を鷲掴みにされた。わぁ凄い握力!脳みそ潰れそう!
やめてくださいスティーブンさん!敬語、呼び捨て、リテイクだぜレオ。やめてスティーブン!ほとんど叫ぶように言えば満足そうに頭を撫で回されてから解放される。お手を初めて覚えた犬みたい。一体居なくなった三日間の間にどのような心理変化が巻き起こったのか。レオにはちっともわからなかったがこれは間違いなく好意的な変化だった。
目を白黒させながらも包帯を解き、ガーゼを外すと驚いた。たったの数日間であれだけ酷かった傷があらかた治っていたのだ。
「遺伝的な奴さ。僕の家系は傷の治りが早いんだ」
なんでも無いようにスティーブンが言った。傷の治りが早いのは壮健で何よりだろうに彼はどこか冷めた目をしていた。
「だからって放置しちゃダメっすよ」
「平気だよ。それに今度からはレオが手当してくれるんだろ。君が言ったんだ」
僕は目を見開きかけて慌てて閉じた。幸い彼は下を向いていたが誤魔化すように包帯を巻き直した。
「残念だけど傷が減る事はないよ。でもレオは傷が癒えるまでずっと続けてくれるんだろ?」
「そう言いましたけ・・・言ったけど!あれだけ酷いのは本当はちゃんとした病院に行くべきなんだってば!」
「それは出来ないなぁ。僕の手当を出来るのは世界中でレオナルド・ウォッチただ一人なわけだ」
「わけわかんないぃ」
「分からないままでいいよ」
動物園で見る気の抜けた熊みたいにへたりと仰向けになった僕をだらしないなぁとスティーブンが笑う。
笑った顔、初めて見たなと思いながらぼんやり微睡む。気難しい顔よりそっちのが良い。何が彼をここまで柔軟に変えたのか気にならない訳では無いが、親しい友が出来るのは喜ばしい事だった。最悪な1日だと思ったけど最後にいい事があって良かった。

スティーブンは小さく寝息を立て始めたレオの頬を手の甲でそうっと撫でた。
自覚したら転げ落ちるのはあっという間だった。こんなのは初めてだった。
離れれば勘違いだと、ただの思い違いという結果が出るだけだったのに、そうはならなかった。
何故よりによって"彼"だったのか、この想いは禁忌だ。
スティーブンは教会に属しているが神様を信じているわけじゃない、必要性があったからに過ぎない。十字架だって文字通り常に踏付けている。隣人を愛す気も無いし彼を想う今、同性愛が罪と言われても何も思わない。聖書の文言なんてクソ食らえだ。少なくともスティーブン自身はそう考えている。
けど彼は、レオナルドは違うだろう。
彼はあまりにも、嗚呼、あまりにも・・・

僕の隣に居てくれればもうそれでいい。
きっとそれだけで救いになる。満たされるはずなんだ。


「おはようレオ、いい夢は見れたかい?」
「ふぎゃっ!?」
耳元で囁かれ飛び起きた。心臓がバクバクする。心なしか色気をふんだんに含ませた声色だった気がする。鳥肌がぶわりと立ち上がっていたので撫で摩った。
スティーブンは着替え済みで、スラリと長い足を組み直してニッコリ笑った。不思議と寒気のする笑顔だ。
「返事は?」
「おはよう。夢は見る暇もなかったよ・・・今日は先に出てなかったんだね」
「まぁね、とにかく顔を洗ってきな。7時を20分も過ぎてるぞ」
「うっそ!?あっそっか目覚まし時計!」
壊れたままだったー!ドタバタと支度をする僕をスティーブンは愉快そうに眺めていた。
「準備は?」
「バッチしっすわ!」
癖毛は元からなんでノーカウントだ。癖毛同盟にだって入っている。ワックスで友を裏切る気は無い。
「じゃあ行くか」
「はーい。って、何処へ?」
食堂だよ。レオはいつもそこで朝食を取っているんだろう?
お前は何を言っているのかと不思議そうに彼が言ったがその感想を持つのは僕の方が相応しいはずだ。
「ス、スティーブンさんも行くんすか」
「レオ、スティーブンだ。僕が食堂に行っちゃ悪いわけ?」
ブンブンと首が取れんばかりに頭を左右に振って否定した。だって食堂なんて使ってるとこ見たことなかったのに、そんな急に。
「問題無いならさっさと行くぞ、ほら」
スティーブンは鼻歌でも唄いそうなほど上機嫌で歩き出した。
僕が戸惑っていると足が固まってるぞ、手でも繋いでやろうか、それとも抱っこがいいかい?と目をニヤリと細めて揶揄う。
冗談だが彼ならやりかねない気もするので僕はせかせかと隣を歩くしかなかった。コンパスの差が恨めしい。

スティーブンが食堂に来ること自体もしや初めてなのかもしれない。物珍しそうに生徒達皆が視線を寄越した。こちらを指差しして話している者も居るくらいだ。
毎日一緒に食事する友人達は僕を視界に入れ、いつも通り駆け寄ろうとしてピタリと止まった。主に隣の人物のせいだろう。
彼らはサササッとジェスチャーで状況確認を試みてきた。
『ソイツ、どうしたんだ、脅されてんのか?』
僕もササッとジェスチャーをし返す。
『違う、僕は大丈夫、気にしないで』
『気になるわボケ、どういう事だ?、ああん?』
『普通に、朝食を取りに来ただけ!』
『普通じゃねーだろ、後で詳しく話せよ、無茶はすんな!』
『了解、また後でね、ありがとう!』
交信完了。ふはーと一息つくとスティーブンが訝しそうに見ていたので笑って誤魔化した。誤魔化せてはいないと思うけど特に何も言われなかったので不問に処すといった所か。
時間も少ないしと二人は手早く料理を取り、空いてる席についた。
レオナルドは四方八方から飛んでくる視線にソワソワと落ち着きが無いがスティーブンはさして気にはしていなさそうだった。
彼の皿には野菜が主でベジタリアンかと聞けば単に朝から肉は重いだけだそうだ。ちなみにレオナルドの皿は肉、肉、パン、肉、スープの茶色オンパレードだ。テーマは昨日取り損ねた脂質の皆さま。三食分キッチリ。スティーブンの感想としては身体に悪そう。
「初めて食堂で食べたけど、まぁ普通って感じだな」
可もなく不可もなく。
「僕は美味しいと思うけど、てかやっぱり初めて来たんだ。いつもはどこで食べてるの?スティーブンが食事してるとこ見た事ない」
「知り合いの教師のとこ」
ざっくばらん過ぎる。食事も当然美味しいが、なんでも食後のコーヒーがピカイチらしい。
あれを飲んだら他は泥だぞと言われれば気になってしょうがない。いいなぁいいなぁと鳴き声かってくらい連呼した。今度連れて行ってやるよ、二人だけの秘密だ、他の奴らには内緒な。僕は小さく頷いた。
でもそれだけ美味しかったら食堂も利用しない訳だね、僕てっきり・・・。てっきり何だよ。怒んない?怒らない怒らない。本当に?疑い深いな、神に誓って・・・そうだな、神のコーヒーに誓って怒らないよ。これでどう?コーヒーの方が優位なんだ。レオも飲んだら宗教変えするぞ。まじで。
「僕、スティーブンの事すっっっっっごく!人嫌いで人見知りなんだって思ってたんだ」
「すっっっっっごく?」
「そうそう、そりゃもうすっっっっっっっっごく!尋常じゃないレベルで!」
言葉では足りないだろうからと爆発する手振りまでして見せるとスティーブンは小さく震えながらクツクツと笑った。
「そこまで行くと人類滅ぼしそうじゃないか?僕」
「あーでもスティーブンなら出来そう・・・やば、僕消される?」
「消さない消さない。君の中で僕はどれほど凶悪なんだ」
「だって、ねぇ、ほら」
自覚はあるから留め置く。スティーブンは人見知りでは無いが人嫌いの気はある。人類を滅ぼす程ではないが。
「酷いなあレオ、これでも神学生だぜ?俺は」
「そこまで悪い顔が似合う神学生も珍し、いや、なんでもないでーす」
「隠しきれてないぞコラ」
「ふぐっ!?」
無理やりパンを口に詰め込まれ、彼の肩を激しく叩く。窒息死しちゃう!死因、パンなんて代々恥として語り継がれるのは御免こうむる。
笑いながら見ていたスティーブンも流石にヤバいと思ったのか。口の中に長い指を突っ込まれて喉奥にパンを追いやられた。ご丁寧に水差しを用意してくれたが荒治療過ぎる。盛大に噎せると甲斐甲斐しく背中を撫でられた。自分でやっといて!自分でやっといてからに!
テーブル2つ先から友人達が『生きてるか!?死んだか!?』とジェスチャーを送っているのが見えたので何とか親指だけでも立てて生還を知らせた。おぇっ。
「さっきのは駄目っすわ」
「確かにやり過ぎたな、すまん」
「こんな物騒な友達初めてっす」
もう一度喉を潤そうと水差しを手に取る。ついでにスティーブンのグラスにも注いだがどうにも動く気配が無い。
「スティーブン?さ、ん?」
「ん、ああごめん少し考え事してた」
「?なら良いんすけど」
「僕も君みたいなタイプの友達は初めてだなって」
そりゃそうだろう。こんなちんちくりんはスティーブンの様なタイプからしてみれば珍しいに違いない。レオナルドだって勿論そうだ。思わずくふふと声が漏れる。
スティーブンという少年が距離を近付けて話してみれば割と取っ付きやすい奴だと知ってるのはレオナルドぐらいでは無かろうか。数日前までは考えられない事だった。
人生何が起こるかはわからない。
「初めて同士、新鮮な初体験がいっぱい出来そうで楽しみですわー」
「いいね、それ。僕も楽しみだ」

これからどうぞよろしく。
改めて差し出した手は今度はしっかりと握り返してくれた。



人気の無い廊下はシンと静まり返っていて、鳥の鳴き声しか聞こえない。人が途絶えるだけで知らない場所のようにも思えた。異質な感じ。ある意味では昨日今日で異質に変化してしまった部屋にこれから入る訳だが。
部屋の中には誰も居ないと、スティーブンは居ないとわかっていても二の足を踏む。扉の前でズルズルしゃがみ込むと祈るように組んだ手を額に付け、息を大きく吸い込んだ。大丈夫だレオナルド。
よし!立ち上がって鍵を差し込む。部屋はいつもの通りだった。
荷物を散乱させたまま逃げ出したはずだったがスティーブンはあの後元の場所に直してくれたらしい。
一体どんな気持ちで散らばったそれらを拾い集め直していったのか。こんなみみっちい事をこそこそせずに面と向かって話し合うのが一番だとは分かってる。一晩寝て頭はようやくまともに機能し始めた。
逃げてるばかりじゃ進まない、解決しない。そうは言っても何を話せばいいのかまではまとまりきらない。だってなんて言えばいい?なんて言えばスティーブンは傷つかないで円満に元に戻れる?
リュックに必要最低限の道具だけまとめる。マルクが言うように学年末までブラックの部屋で過ごすつもりは無かった。長引かないうちに解決しなければいけない。友人二名に置いては随分と手遅れだが出来るだけ周りに迷惑をかけたく無い。これは僕とスティーブンの問題なんだから。
薬箱はそのまま置いて行くことにした。最初は自分用に買ったのに今やすっかりスティーブン御用達になったしまった。
ふと、手を止めひとしきり考えてからメモに字を綴る。スティーブンの机に薬箱を移動してメモを貼り付けた。

─ 怪我したらちゃんと使って、放置するのは駄目だよ ─

彼が素直に聞くとは微塵も思っていないが無いよりはマシだ。
そろそろミサが終わる。惜しむように部屋を見渡してからレオはリュックを背負い部屋をあとにした。


「君がここを使うのは随分と久しぶりだ」
「そうだね」
中庭を眺めながら赤毛の紳士は珍しそうにそう述べた。
そうだとも、ここ半年はレオと一緒に食堂を利用していた。食事を楽しみたいだけならばこの部屋で取るのが一番だろう。学生寮から離れたこの場所は穏やかに過ごすには適している。ただ僕は静かな食事よりも彼と一緒に居ることを一番に決めていた。
「今日はレオナルド君を連れて来なかったのかね?」
「ぐっ」
「坊っちゃま」
人の情感に疎い所があるこの男は触れられたくない部分を悪意なく抉り出した。
ギルベルトさんを手で制し、顳かみを抑える。クラーウス。
年の離れた仕事仲間兼友人はぴよぴよと汗を飛ばしている。すまない、悪気はなかったのだが。そうだろうそうだろう、君に悪気があるならば今すぐ天変地異が巻き起こるだろうさ。
「彼が来ていたのなら、是非渡したい花があったのだが・・・どうにもそれは難しそうだ」
「僕を介さず直接渡せばいいだろ。レオなら喜んで受け取るさ」
「そうだろうか、そうならば喜ばしいが。しかし何故レオナルド君は来られないと?」
眼鏡の奥で翠眼が光った。こりゃ完全に教師モードに入ったな。
ああそうさ、何故来れないかって?全ては僕のせいさ!
「喧嘩ならば、お互いに納得するまで話し合うべきだろう。時間が経つほど問題は煩雑に絡むものだ」
「喧嘩、喧嘩ねぇ、果たしてこの問題が喧嘩と言えるのか。謝って解決するものでも無いのが余計厄介だぜ」
「と言うと?」
顎に手を当て、思慮する。
クラウス、同性愛に偏見は?些かも、人を愛する事を否定する事は出来ない。尊重されるべき事だ。よし来た、流石我が友、それなら問題無いだろう。
「レオにキスした。同意じゃない、それに怪我も負わせてしまった」
立ち上がりかけた友人を執事がそっと宥めた。
「スティーブン、それは」
「あー・・・言いたい事は分かってるよ、自制が効かなかったんだ。と言っても言い訳でしかないな」
手で目元を覆った。自制が効いてりゃ今頃隣にレオが居たはずだった。
「お互い距離を置こうってさ、部屋から出て行くと言っていた。気が付いたら頭に血が登っていたよ」
「ふむ、しかしスティーブン。君であればそういった事柄にはもっと上手く立ち回れたのではないかね?」
僕もそう思ったさ。少なくとも半年前の僕なら。
「どうやら本命になると、そうも行かないみたいだ」
キスのせいで本来の原因から大きく問題が逸れている。そこが重要だった。お互いの距離なんてもうさしたる問題ではなかろう。
レオナルドからしてみれば、今まで仲の良い友人と思っていた相手が自身に劣情を抱いていたのだ。大きな問題はそこに集中する。
「全て無かったことにしては?」
きっとそれはレオナルドが今1番欲しい解答だろう。
全部気の所為にして蓋をしてしまえばいつもと同じ毎日を過ごせるかもしれない。だがいずれ破綻する。小さな綻びが違和感となって、以前との違いに彼は戸惑うだろう。
何せスティーブンはレオが好きなのだ。好意を知られる前と後では別物に変化して当然だ。以前なら我慢出来た。少々おいたが過ぎる程度のスキンシップで満足出来た。だがもう無理だ。レオナルドという名の底無し沼に、気が付けば引き返せないところまで沈んでいた。
スティーブンは目元を覆っていた手を下にをずらした。そのままするすると口元に持って行き、上がった口角を隠す。
瞳は爛々と燃えるように輝いていた。
「それは酷く難しいな、クラウス。僕は後戻りはしない主義だ」
今更無かったことになんて、出来ようはずもない。

部屋にあったはずのレオナルドの私物が減っていた。
朝のミサに居なかったのはこの為か。
机に置かれたままの薬箱はスティーブンの為にそのままにしたのだろう。あんな目に遭ったのに未だスティーブンを気遣おうとする。そうやって見捨てきれずに救いを差し伸べるから駄目なんだぜ、レオ。
貼り付けてあったメモを手に取り微笑む。1度唇に当て、そのまま丁寧に折り畳んでポッケに入れた。
「さて、どうするかな」
コツコツと机を指先で叩き、思案する。
レオナルドが自分と同じ感情を返してくれるとは正直思えない。
彼からの愛はどこまでも友愛と親愛でありその域を出ようとはしないのだ。ならば同情を買うのはどうだろうか、少しずつ食事に毒を加えて神経を麻痺させるように、情で感覚を狂わせる。弱った振りをして、引き摺り込んで、友愛と情愛の境界をあやふやにしてしまえばいい。そこまで行けば後はパクリと一吞みだ。
己の思考がまるでヴィランの様で思わず笑いそうになる。
僕が魔女なら誰も助けに来ないだろう。
そうと決まれば行動するのがスティーブンだ。
レオに話し掛けようと何度か試みた。
彼は後の授業にはきちんと全て出席してた。何時もなら席は隣に座るとこだが流石に向こうはまだ顔を合わせる気になれないらしい。スティーブンと知り合う前からの友人達の席へと移っている。
『なんだどうした?スターフェイズの奴と喧嘩でもしたのか?良いさ良いさ、隣に座れよ。こうやって並ぶのも久しぶりだなぁ、いつでもこっちのグループに戻って来て良いんだぜ?レオ』
離れた席に座っているスティーブンの耳に届くほどに彼らの話し声は大きい。取られていた友人が帰ってきた喜びもあるのだろうが、スティーブンにとって彼らの喜ばしいこと全て反比例する。

──苛々する。
笑いかけられるのも、肩を寄せ合うのも、全部が全部俺のものだったのに。
お前達はレオが居なくても何とかなるだろう。スペアキーでいくらでも代わりを見つけれる。
僕は違う、レオナルドで無ければ駄目なのに、代用は無い、一点モノだ。彼だけが僕を救えるし満たせる、彼しかありえない、お前しかいないんだぞ。レオ。
じっと強く見つめ過ぎていたようだ。
視線を感じるのだろう、レオナルドは1度振り返りかけてから雑念を霧散されるように頭を振って正面に向き直った。振り向けば良かったのに。
授業の間ずっとレオを見つめていた。振り向け、振り向けと突き刺すような強い視線を送っていたがレオは振り返らなかった。ただ時折腕を摩る仕草を見せていた。
そう言えば昨日捻りあげてしまった腕は大丈夫だろうか、彼に手を上げてしまったのは初めてだった。あそこまで自制が効かなくなるとは思ってもみなかった。本来想いを伝えるつもりも、傷つけるつもりも微塵も無かったのにな。満足出来ているつもりだったんだ。レオが自分から離れると聞いた瞬間目の前が真っ赤に染まったのだ、その後の行動はもはや獣の本能だ。理性とは程遠い所にあった。あの時レオに突き飛ばされていなければどこまで事に及んでいただろう。ゾッとする。
彼からの拒絶はひどく恐ろしい。
タイミングが悪いのか、人徳が成せるのか、誰かに植え付けられたのか、レオの周りには常に友人達が居て彼をひとりにはさせなかった。
レオ自身も一人にならないよう多少は考えて動いているように見受けられた。とは言ってもスティーブンを完全に避けようとしている訳ではないらしく、ちらほらこちらを気にしている空気が感じられる。
声を掛けるべきかどうかとオロオロ戸惑っているのは小動物を思わせて可愛らしい。その隣で友人達が馴れ馴れしく肩を叩きながら話しかけているのは不快でならないが。
いっそ周りを固めている友人達を押し退けて掻っ攫って来ようか。
レオの友人に腕っ節が立つ奴は一人も居ない。レオがつるむ友人は皆総じて温和な性格をしていて、喧嘩に弱い。面倒ごとは避けて通る。そんな奴らばかりだ。
無理矢理にでも押入れば蜘蛛の子を散らすように周りは逃げ出すだろう。逃げ出さないならそれはそれで叩き伏せるし。

「スティーブン」
やや危険な思想に耽っていたのに待ったをかけるがの如く、やって来たのはクラウスだった。
壁から背を離し首をかしげる。「やぁ、如何されました先生?」
男は周りを見渡し、場所を変えようと目で促す。それだけで何の用かはすぐに察する事が出来た。

緑のアーケードに囲まれた庭園は良く手入れがされて美しいのに生徒達はほとんど立ち入る者はいない。単純に草花に興味を持つものが少ないのだろう。
暦上では春に入ったばかりで、晴れの日は増えたが花々が咲き誇る姿を見るにはもう少し日が暖かくなるのを待つべきだった。陽射しから避けるように木の影に入るとようやくクラウスが話を切り出す。
「急で済まないが仕事だ。本部から連絡が入った、明後日には現地に入る」
だろうと思った。基本的に彼から話がある時はお茶会の誘いか仕事の話だ。レオナルドを一度茶会に連れて来てからは仕事よりもテーブルを囲んでお茶をする回数の方が増えた。 「分かった。内容はいつも通りに手配してくれれば良い」
「・・・しかし今回は多少手こずるかも知れないのだ」
「大捕り物かい?」
「恐らくは」
クラウスは深く頷き腕を組んだ。死人が出なければ良い。彼の言葉にそれは難しいだろうと心の中で返事をする。僕らの仕事はそういうものだ。

悪魔祓いという職位がある。
歴史を辿ると1000年以上前にもなるが、表の仕事としての悪魔祓いはカウンセリングの一種だろう。精神的錯乱か果たして本当に悪魔に憑かれたのかはスティーブンには分からない。
スティーブンの知る悪魔に憑かれた者の姿というのは嗜食鬼だ。身体能力は人並み外れた向上をみせるが知能は著しく下がり、人を襲うことしか知らない化け物に成り果てる。そしてそれを生み出すのが吸血鬼だ。奴らは悪魔の一種だという。あんなものが悪魔の種の内の一つと考えると他にも色々なモノがうじゃうじゃひしめき合っている可能性に中指を立てたくなる。
だが奴らは一般的な悪魔よりも賢い。悪魔祓いは取り憑いた悪魔の名前を吐き出させば後は神の名において退けることが出来る。聖書を読み聞かせて、十字架を翳し、聖水でも振り掛ければあっさり名を明かす。一転吸血鬼、あいつらと来たら十字架を翳したところで名前を明かす事などまず無いわ、しっちゃかめっちゃかに暴れ回るわで手が付けられない。理性があるやつはやり口が残忍で目も当てられない。手足を捥いで、心臓を握りつぶし、十字架に磔にしても息が絶える事は無い。体を百八つに切り刻んで銀の箱にぶち込み夥しい数の呪符を貼り付けて漸く大人しくなるくらいだ。
問題は手足を捥ぐ前にこちらの手足がもぎ取られる方が確立として高いところ。この前なんて目の前に居たチームの一人、運が悪かったアイツ。引き摺り出された臓物と生暖かい血がビチャリと後ろに構えて居たスティーブンの顔を汚した。いくら耐性があると言っても不快感がなくなる訳では無い。満身創痍で打ち勝ったがこちらの被害の方が多かった。肉体よりも精神の方が辛かった。実際精神が病んで発狂する仲間もいた。前線から退いてもPTSDに悩まされる同胞を何人も見た。
いつもいつも生き地獄を体現するかのような悲惨な情景だ。周りが死ぬ度に生き残れた安堵と生き残った罪悪感が押し寄せる。負った傷をそのままにしていたのは治りが速いだけじゃ無い。償いのつもりでもあった。そうしなければ押し潰されると。それを救い出したのがレオナルドだ。レオは僕の傷を喧嘩で負ったものと思い込んでは叱りつけて、心配そうに手当をする。何も知らない優しい彼が己の傷を癒すのは救いでもあったし赦された気もした。だからレオだけ、スティーブンの傷を癒して良いのは他の誰でも、自分自身でもなくレオナルドただ一人だけなのだ。


ブラックが右手で僕を後ろに下がらせた。
マルクとロレンツォは僕を盾にしてブルブル震えている。ブラックを見習って欲しいと思ったがレベルに差がありすぎて、その意見は余りにも酷だ。僕らは蛇に睨まれた蛙同然なのだから。
「レオに話ってここじゃ駄目なの?僕らが居たら困る内容?」
「困ると言ったら困るし困らないと言ったら困らないな。まぁ、どちらかと言えば聞かれて困るのはレオの方さ」
「・・・レオが嫌がってる」
「嫌がってないよ、嫌がって無い。だよな、レオ」
突然こちらに話を振られて声に詰まる。
距離を置いてから三日後の事だった。これからどうするか、指針を決められずに友人達と図書室に移動している途中だった。僕が友人達に囲まれている間、視線は痛いくらいに送られてきても直接接触して来ようとはしなかったスティーブンだけど、いい加減に痺れを切らしたのか真正面から突っ込んで来た。
レオ、話がある。午前中には用事で離れなきゃならないんだ。今すぐ来れるか?
出来る事ならなぁなぁに断って先送りにしたかった。まだまとまり切れない事が多すぎる。
だけど僕にも聞きたい事、話したい事が全く無い訳じゃなかった。
「心配なら目に見える範囲に君たちが居ればいい。話と言っても数分で済む」
どうだ?と提案を持ちかけるスティーブンにブラックが難色を示したが僕は首を縦に振って了承した。
「レオ」
「ブラック。大丈夫だって、数分で済むってスティーブンも言ってるし、何かあったら来てくれるんでしょ」
「俺はパス」
「ボクもパス」
後ろ2名のなんとも情けない事か。ブラックが余計心配そうに僕を見てから何かあればすぐに呼ぶんだよと僕の両手をぎゅっと握った。この格差、どう思うよ。
「時間があまり無いんだ。置いてっちまうぜ僕のマリア」
ローブを翻してスティーブンが進む。
僕はマリアは止めろと文句を言おうとして口を結んだ。拍子抜けしてしまうほどにスティーブンはいつもの彼だった。
少し離れた場所からブンブンとブラックが手を振っている。マルクとロレンツォは逃げ遅れたのかロープで簀巻きにされて居た。強制的な一蓮托生である。僕も両手をこれでもかと振り回して大丈夫とアピールした。
「レオ」
ギクリとして振り返る。スティーブンは不機嫌そうに眉間に皺を寄せていた。
ため息をついてから僕の腕をとる。袖をまくられるとスティーブンから捻られた跡が赤く残っていた。慈しむように撫で、謝罪の言葉を吐いた。ごめん、痛かっただろ。
自身を責めるような表情に胸の奥がぎゅっと絞られる。彼の指先から逃げるように腕を引いた。
「今は別に痛く無いよ。跡も二、三日で消えるって」
「そうか」
「僕もごめん。突き飛ばして、あの後荷物直してくれたんでしょ?」
「そして君はその荷物をミサの時間に持って行った」
「・・・ごめん」
「どうしてレオが謝るのさ」
君が傷ついた顔をするから謝るんだ。そんな顔をされたら全部許したくなっちゃうの、分かっててやってるんでしょ。僕も分かっているのにいつも引っかかる。
俯く僕の頭をわしゃわしゃと遠慮なく撫でる手に安心した。前と変わらない温度と心地よさに頬が緩む。今、これまで通りにやって行こうって言えば笑って頷いてくれる気がして、見上げて、駄目だった。
愛おしいってそんな顔、どうしてするんだよ。手つきは前と同じ癖に伴う感情がまるきり違う。僕にでも分かるくらいの、そんな好きだって顔。友愛なんて誤魔化しの効きようもない表情。
困惑する僕に気づいて、情けない顔でスティーブンが笑った。
「好きなんだ、これが割と本気」
「友達なのに」
口にすべきでは無い言葉だったと言った後になって後悔した。スティーブンは心得たように頷いた。友達でもさ。
「裏切られたって思った?気持ち悪い?失望した?俺のこと嫌いになった?」
「なる訳ないじゃん。スティーブンだもん」
嘘だ。本当はちょっと思った。友達なのにって。でもそれを相手に言うほど愚かじゃ無い。
「じゃあ好きには?」
「意味を測りかねます・・・」
「なら保留だ」
「保留?」
そう、保留。彼は頷いて、校舎の壁に背を預けた。
期間は、詳しくはわからないな。一週間は確実に超えるとは思う。僕が帰ってくるまでにちゃんと考えといてよレオ。帰ってくるまでにってまた怪我しに行くの。そうそう、怪我しに行くお仕事。喧嘩って言うんだよそれ。次の喧嘩は盛大にやる予定だからさー。ちょっと、話聞いてる?聞いてるぜ。だから僕が帰って来て、レオが温かく迎え入れて手当してくれるだろ、そしたら保留した結果を聞くんだ。
「結果がスティーブンにとって良くなかったら?」
「流石の僕もそれはその時にならないと分からない」
友達じゃなくなるの?震える声で尋ねた。
僕が一番恐れていること。『友人に戻ってくださいとか無理だろ。破綻するだろ。どう考えたって』マルクのあの言葉は結構効いてる。あの穏やかな、時折刺激がある関係が崩れるのが嫌だった。
「前みたいには居られないかもな」
「どうしても?」
「さっきから質問ばかりだ。我慢がきかなくなったんだよ、レオ。もう限界だって嫌なくらい分かったんだ」
「いっつも我儘だった癖に、我慢って」
「欲しくて欲しくて終わりがないのさ。多分死ぬまで渇望するんじゃない?」

君のこと。

僕は耳まで真っ赤になってずるずるしゃがんみこんだ。顔を覆って呻く。頭上では笑い声がする。ふざけんなと思った。ふざけんなふざけんなふざけんな。
レオー!大丈夫!?ブラック達の声がする。あいつら数分って言ったのに待ても碌に出来ないのか、仕方ないな。スティーブンは舌打ちするとポンと軽くレオナルドの頭を叩いてから目線を合わせる。
「ちゃんと考えて、レオの答えを聞くために僕は戻ってこれる。君が僕をこの世に押し留める目印なんだ」
そんな大層なことを言われたって分からない。
もう全部分からない。どれもこれもスティーブンのせいだと思った。この世の不条理の全てが目の前の少年のせいだと。理不尽にぶっ飛んだ思考になるくらい埋め尽くされた。

良いも悪いもレオナルドの頭の中はスティーブンでいっぱいだった。
それこそ彼の思惑通りだなんて、レオナルドには知る由もなかった。

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