龍アリ

宝石

からん、ころん、からん。
小さな音がして、隣を見ればアリババ殿が泣いていた。

彼が泣く度に涙は色とりどりの宝石になって、からん、ころん、と床に落ちた。今日は青が多いな。
落ちた宝石を一つ一つ拾い上げて布に包んだ。からん。またアリババ殿の瞳から落ちた宝石を拾い上げる。
奇麗ですね。小さく呟くと彼は首をゆるゆると横に振った。
俺はもう何も言わずに、からんころんと床に落ちた宝石を拾い集めた。
目からガラスが出て来る少女の話はどこかで聞いた事があった。だったら宝石の涙を流す人が居たって可笑しいとは思えない。現に彼はこうして宝石の涙を流すのだ。それを知っているのは俺だけで、それだけで酷く優越感があった。
拾い上げた宝石はきらきらと輝いていて、やはり彼から生まれたものだからこんなにも奇麗なのだろうと思った。
「ごめんな」
「何がですか?」
「気持ち悪いだろ?こんなの」
「美しいの間違いでは?」
彼は酷く顔を歪めたかと思うと、ずるずると踞ってしまった。
俺には奇麗な宝石にしか見えない。アリババ殿にこの宝石が醜く映るのなら俺は大層汚れた世界で生きてるんだろう。
「きれい、ですよ」
「こんなのは呪いだ」
「呪いでも俺からすれば愛おしいですよ」
「お前は変だから、変だから、そう感じるんだ」
変、とは。酷いなぁと思いながら自分もしゃがんで彼の足下に散らばった宝石をまた拾った。
アメシスト、カイヤナイト、サファイヤ、スタールビー、ピンクオパール、ラリマール。
彼の秘密を知ってから、それと同時に宝石の名前もたくさん覚えた。最後に真珠を布に包んで立ち上がった。
アリババ殿は目元を拭うと「気持ち悪い」と、か細い声で呟いた。俺は無言で首を横に振った。気持ち悪いよ。もう一度彼が呟く。
自傷的なその呟きをもう何度も否定してきたけれど賛成してもらえた事は一度も無かった。からん、と袋の中の宝石がぶつかる音がした。


日付なんて分からない日々だったから、正確な日付は覚えていなかったけど満月の日だったことは覚えてる。
刺す様な痛みがして目をこすったら余計に痛くなって変な声が出た。
母さんが俺の声に気付いて慌ててこする手を止められた。母さんの瞳に映る自分の目から、赤いガラスみたいなのがころりと落ちた。落ちた赤いガラスを良く見れば宝石だった。宝石なんてそれまで見た事無かったけど母さんがそう言ったから宝石なんだろう。
驚きと混乱でまた俺が泣き出すと赤だけじゃないいろんな色の宝石がからんころんとまた瞳から出て来た。
「なんだよこれ、こわい、やだ、いやだ」
「アリババ、大丈夫、大丈夫だから」
気味が悪くて泣き出せば泣き出すほど宝石は俺の瞳からこぼれ落ちて余計に泣いて、気づけば母さんの膝の上には宝石が散らばってた。涙も枯れ果て、嗚咽だけになったころに母さんが困った様な顔で言った。

これはね、お母さんとの二人だけの秘密よ?人に見せちゃ駄目よ、絶対に。約束ね。
俺は何度も頷いた。宝石も隠すように言われた。生活の足しになるのではないかと聞いた事もあったが首を横に振られた。駄目よ。約束でしょ?
腑に落ちないまま小さく頷いた。今になって考えればスラムの人間が持っていたって盗んだ物としか思われないだろうし女子供の家だ。それに俺の涙が知れたら強盗どころじゃなかっただろうなぁとばふんと寝台に埋もれた。
俺にとってあの宝石達は何の価値もない。今じゃ違うだろうが思い出の方が強い。だって痛くて気持ち悪かったのだ。

カランと音がした。ガラスがぶつかる様な澄んだ音だった。
アリババ殿は困ったように眉を八の字にしていた。カランとまた高い音がした。彼の瞳から何かが落ちた。地面にころりと転がった。

それは宝石だった。

俺は俯いたアリババ殿と宝石を交互に見てああなるほどと案外すんなりと納得した。この宝石は彼の涙なのか。
宝石を拾い上げて俯いたままのアリババ殿を下から覗いた。
「この事はアラジン殿達も知ってるのですか」
「いいや、バレたのはお前が初めて」
「そうですか」
とりあえず、夜とはいえ人が通るかもしれませんので中庭に移動しましょう。俺はアリババ殿の手を引いた。常夏の国だというのに彼の手先は酷く冷えていた。震えてた。つないだ手の力を強めた。
昼間とはまるで違い借りて来た猫のような彼は珍しかった。何もしゃべらないので少し気まずかった。
「いつからですか」
「ガキん時から」
「目、痛くは無いのですか」
「慣れた」
人気の無い中庭には噴水の落ちる水の音と時々鳴く鳥の声しか聞こえなかった。噴水の縁に腰を下ろして隣に座るようにアリババ殿に促す。 彼はゆるく首を振って荒く目元を擦った。擦った方が悪化するのに。
「この事誰にも「言いませんよ」
聞かれるよりも早く答えた。アリババ殿は目を大きく見開いていた。他人に言ってたまるものか。
「俺とアリババ殿の二人だけの秘密ですね」
笑って言えばアリババ殿は益々目を見開いて困った顔をした。気持ち悪くねぇの?不安げな表情の彼は年上には見えなかった。
「むしろ奇麗だと思いますよ。神様に愛されてるみたいじゃないですか。奇跡の涙」
その手の信者には聖人として崇められそうなくらいには。彼は顔をしかめた。俺は褒めたつもりだったがアリババ殿には嫌みにでも聞こえたのだろうか。残念だ。
アリババ殿は小声で「異常だ」と呟いた。俺は聞こえない振りをして涙の宝石を欲しいと言った。
「売るのか?」
「お金には困ってませんよ。観賞用です」
「もっと奇麗なものにしとけよ」
「宝石は奇麗な物ですよ?」
「そういうんじゃなくて、人体から出たんだぞそれ。気持ち悪いだろうが」
あーはいはいそうですね、気持ち悪いですね、アリババ殿にとっては。非難の視線を避けて宝石を包みに入れた。


カタンと机の引き出しを開ければ宝石達がじゃらりと鳴った。一つ一つ手に取っては満足げに眺める。
別に宝石が好きという訳ではないがこの光る石達がアリババ殿と俺を繋げるものだと思うと満たされる。
彼の秘密を知ってるのはきっとこの世界中で自分ただ一人なのだと考えると愉快でしょうがない。あのいつもアリババ殿の側に居るアラジン殿やモルジアナ殿達ですら知らないのだ。俺だけ、俺だけが。
どろりどろりとした黒い固まりの俺が彼の宝石を持つのは不相応なのだろう。
だけど、けれど、これは俺のものなんだ。

手の中の宝石達を握りしめた。心が満たされたようだった。

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